10月27日の説教


キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、
プリスカとアキラによろしく。
命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに
わたしだけでなく、、異邦人のすべての教会が感謝しています。
また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。
わたしの愛するエパイネトによろしく。
彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です。

(ローマ16:3〜5)



挨拶で、自分が相手に認められているかどうか、ということを確認する方が多いようです。
挨拶をされない、ということで(挨拶をしない方は別に気にしていなくても)、自分は認められていないのだと思ってしまうのです。
逆に、挨拶をされることで、自分は忘れられていない、覚えてもらっている、と感じ、涙が出るほど感動することもあります。

挨拶の「挨」の字には<押す>、「拶」の字には<押し返す>という意味があるのだそうです。
つまり、されたらされ返す、という意味があるのです。

今日の聖書個所の挨拶の相手には、身分の高い人も、低い人もいます。
むしろ身分の低い人のほうが多いようです。
パウロは身分に関係なく、すべての人に平等に挨拶をおくりました。

ヨハネ福音書の中に、十字架のイエスを見た後、弟子たちが自分たちも捕まるかもしれないと思い、家の中に閉じこもっていたとき、
復活された主が来て、「あなたがたに平安があるように」とおっしゃいました。
この言葉はヘブライ語では「シャローム」です。
ここにまことの平和があるから、心配しなくてもいい、大丈夫だ、というのです。

イエス様は今もなおわたしたちに「シャローム」と呼びかけてくださっています。
わたしたちは祈りという方法で、しっかり応えていきたいと思います。


                                                            (説教:菊池丈博牧師)


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