教会教育講座2005

聖書は何を語るか より)

6.旧約聖書 文学としての旧約聖書「生と死」―

◎ 今回は旧約聖書を文学の側面からみていきましょう。

1.文学形態からみた旧約聖書

   ―詩文―

イザヤ書をはじめとする預言書の大部分

詩編は典型的な詩文。

ヨブ記等の諸書(知恵文学)に属する文書も大半が詩文。

  どの古代民族の場合と同様に散文に比べて、明らかに詩文が先に成立した。

  古代イスラエルの最古の詩文と考えられているのは

  出エジプト15:1−18「海の歌」

  モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。

  主に向かってわたしは歌おう。

  主は大いなる威光を現し

  馬と乗り手を海に投げ込まれた。

  主はわたしの力、わたしの歌

  主はわたしの救いとなってくださった。

  この方こそわたしの神。わたしは彼をたたえる。

  わたしの父の神、わたしは彼をあがめる。

 主はファラオの戦車と軍勢を生みに投げ込み

 えり抜きの戦士は葦の海に沈んだ。

 深淵が彼らを覆い

 彼らは深い底に石のように沈んだ。

・・・・

・・・・

    主は世々限りなく統べ治められる。

・イスラエル最古の詩文は、イスラエルの人々がエジプト脱出の途上、
 「葦の海」で経験した救いの出来事を感謝し、神を賛美するものであった。

                        詩編106:7:12 、ヨハ黙13A

―散文―

創世記をはじめとする「律法」の大部分。


・ヨシュア記から始まる歴史書の大部分。

・預言書の一部(特にヨナ書は物語形式をとっている。

・黙示文学であるダニエル書も散文。

・イスラエルの救いを叙述した散文として最も古く、かつ基本的なものは

    申命記26:5−10

あなたはあなたの神、主の前で次のように告白しなさい。
「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、
そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。
エジプト人はこのわたしたちを虐げ、苦しめ、重労働を課しました。
わたしたちが先祖の神、主に助けを求めると、主はわたしたちの声を聞き、」わたしたちの受けた苦しみと労苦と虐げを御覧になり、力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきことと
しるしと奇跡をもってわたしたちをエジプトから導き出し、この所に導き入れて乳と蜜の
流れるこの土地を与えられました。わたしは、主が与えられた地の実りの初物を、今、
ここに持ってまいりました。」


エジプトでの苦難、そして、そこからの解放、さらにカナンという「乳と蜜の流れる地」への到着
までの歴史に根差した救いの経験を素朴な語り口で、淡々と、しかし力強く散文で叙述している。

―黙示文学―

為政者の宗教弾圧を契機に生まれた新しい文学類型で、前2世紀から後1世紀にかけて流行した。
ダニエル書はこの黙示文学の先駆をなすものである。
一種の暗号文書であり、象徴的表現によって、世界勢力の没落と神の国の永遠の勝利を描く。
表面的に見れば、妄想に見えるが、信仰の同志目には意味深長な内容が見えるという二重性を持つ。



ダニエル書7章「四頭の獣の幻」

四頭の獣:バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマ

2.文学としての旧約聖書のテーマ「生と死の問題:神の前での生と死」

・「律法」において

   生:祝福

      あなたたちを生きながらえさせて、大いなる救いに至らせるためです。

                            (創:45:7)

   死:呪い

      わたしは今日、死と災いをあなたの前に置く。(申30:1518

「預言者(書)」において

     生:救済預言  死:審判預言

        見よ、わたしはお前たちの前に命の道と死の道をおく。

                            (エレミヤ21:8)

「諸書」において

コヘレトの言葉詩編などが生と死の問題を扱っている。

 聖書を基にする「生と死」

全世界で用いられている救助信号 SOS は Save Our Souls(魂)であり、
わたしたちの肉体を救えでも、わたしたちの船を救えでもなく、わたしたちの魂を救えと
言われている。
人間が生きるとは、その生命、その魂を大切にして生きることだと勧めている。


二つのポイント

1.旧約聖書では「死んではならない」という戒めはない。「生きる」ということの大切さは
自明のことであり、「死ぬな」という戒めはあえて規定する必要が認められなかった。


  人の血を流す者は 人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ
                                 (創世記9:6)

 虚無的なコヘレトの言葉」でさえ

    わたしは知った 人間にとって最も幸福なのは

    喜び楽しんで一生を送ることだ、 と (3:12)

・自刃したサウル王(サムエル上16:18)やクーデターに失敗して焼身自殺したジムリ(列王上16:18
などの自殺者の記事は出てくるが、自殺行為そのものが責められるのでなく、それが罪の結果で
あり、そこまで追い込まれていったことが悲劇であり、神の罰であると考えられている。

  2.生きるとは、生活するということ

 左近淑(サコンキヨシ)「神の民の信仰」を基に

・日本における聖書信仰の変質(次のように変質されていったのではないか。)   

 信仰生活と日常生活の二元性 ⇒ 教会に会社を持ち込むな

  信仰は、それぞれの人の趣味であり、教養でありリタイア後の生きがいであり、

  家族にとっては手のかからない都合の良いものであり、

  現役の忙しい者にとってはまったく関係のないもの。

  父親の趣味:家族に迷惑をかけるな。お金をつかいすぎるな。

  まず、家族のことを第一に考えろ。

本来の意味の聖書宗教:

信仰と生活は結びついていて、信仰によって新しい生活が出来上がっていくという、
そういう形で歴史を創ってきたことに特徴がある。


日本人には、嫌がられてきたが、聖書の民は、一に徹した。
そういう形で世界の歴史の中で無比な生き方を創り出した。
これが旧約聖書から発した人間の生き方であり、これからの多人種の交流の中で、
多様な文化、多様な価値観の混在する社会で、古代文化の通過点に位置する
弱小民族の中で生まれ、多人種国家のフロンティアの中で大きく成長した
聖書信仰といえる。
その中で宣教師の伝えてくれた信仰の厳しさも理解できる。 


まず自分の生活の中に主体性を確立し、その上での契約に基づく共同作業としての
教会として大きく成長していくところが横浜や武相地区(武蔵・相模国境地区)に
おいては増えてきているといえるのではないか。

(文責 日本基督教団 原町田教会 教会教育講座担当 信徒 澤野 國雄)

次回は 6月26日(日)文学としての旧約聖書2:「ヨセフ物語」です。


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