“めん類”に関するミニコラム![]()
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“天ぷらそば”、“あんかけそば”など種もののそばは数多いが、変わったところでは、コロッケをのせた“コロッケそば”、甘辛く煮たニシンをのせた“ニシンそば”、貝柱と海苔をのせた“あられそば”などが全国各地の名物そばとなっている。
そばとうどんを比べると、歴史はうどんの方がはるかに古い。関西のうどん、関東のそばと言われるのは、長い間日本の食文化の中心だった関西でうどんが歳月をかけて発達したから。そばは江戸っ子に好まれ関東で広まった。
そばは日本特有の植物ではなく、全世界の涼しい地域にみられる植物である。古くから人類は主食として食べていたが、メン類にして食べていたのは日本だけで、ヨーロッパではクレープのように、薄くのばして焼く調理方法が一般的だった。
『引っ越しそば』という習慣が、昔の東京にはあった。引っ越しをしてきたら、近所のそば屋に行ってそばを注文して隣近所に配った。「そばのように、細く長いお付き合いをお願いします」という意味合いがあった。
イタリア北部ミラノ市のレストランでメニューに“パスタ”と書かれている料理を注文した日本人観光客の中には、貝の形をしたパスタに生クリームとチョコのかかったデザート菓子が出てきて、ビックリする人も多いという。
日本のそうめんのように細いパスタのことを、イタリアでは“フェデリーニ”という。パスタ類のゆで方にうるさいイタリア人は、熱が通りやすく、微妙なゆで加減を必要とされるフェデリーニをゆでさせて料理の腕を見るのだという。
イタリア料理でパスタといえば、スパゲッティ、マカロニなど日本でもなじみの深くなっているものはもちろんの事、肉や魚介類をつめて料理する“マニコッティ”、火であぶって調理する“ルオーテ”など風変わりなメン類も多い。
昔のそばは、団子状に丸められたものをゆでて、タレにつけ食べていた。ゆで汁を残すのがもったいないと、最後にはゆで汁を入れて飲むようになった。この習慣が今だに残り、冷たいそばを頼むとそばをゆでた時の“そば湯”を持ってくる。
ライメンと同じく、焼きそばも日本で広まった中国料理のひとつである。焼きそばに近いものを中国料理で探すと、上海風の“炒めそば”がある。ただし、炒めそばのメンは柔らかく、硬いメンを使う焼きそばは日本独特のものだ。
ザルそばやもりそばには、普通、薬味としてネギ、ワサビがついてくる。ところが、今から50年位前の東京では、ワサビで食べる人より七味で食べる人の方が多かったのだという。今でも、ソバ好きの老人の中には“七味派”が多いという。
名物そばの中でも、食べ方に特徴があるのは岩手県盛岡の“わんこそば”である。おわんに少量盛られたそばを次々に平らげていくというもので、少量でも50〜60杯でたいていの人はギブアップする。100杯以上は大食いの勲章である。
日本の“坦々メン”はスープに入っているが、本場の中国では、メンにひき肉をメインとした具をかけるだけでスープは入っていない。昔の中国では、街の中を担いでメン屋が売り歩いたことから坦々メンの名前がついたといわれている。
そば屋の屋号で多いのが『藪』だが、もともとは東京・駒込団子坂近くのそば屋『蔦屋』が竹薮の中にあったことから“藪ソバ”の名前が世間に広まったという。現在では、東京・神田の『藪』が最も有名である。
『20世紀の日本人発明大賞』に選ばれたのは、“即席メン”。1958年、日清食品が即席メンの第1号として“チキンラーメン”を発売し、71年には“カップヌードル”を北米で先行発売している。その後、即席メンは世界的なファーストフードとなった。
イタリアのパスタ料理で使うのはオリーブ・オイルと決まっている。イタリアの俗説には「たっぷりのオリーブ・オイルで調理したパスタを食べていれば便秘をしない」と言われているが、これは医学的にも証明されているという。
小麦を石ウスで粉にしてパンを作り主食としていたヨーロッパに、メン類の作り方を伝えたのはマルコ・ポーロだと言われている。中国に長期滞在している時、メン類の作り方を学び、故郷のイタリアへ戻ってパスタ料理を生み出す原型を作った。
日本で<おふくろの味>の一つになっているのがスパゲッティ・ナポリタンである。トマトソースとハム、野菜類などを混ぜて作るが、本場では“サルマドーレ”という、多くのイタリア料理のベースになるソースをからめている。
日本全国の飲食店のうち、ナンバー1は中国料理店であるが、第2位は意外な感じもするが、イタリア料理店である。これは、ピザのチェーン店が急増したということも関係しているが、日本人の舌にはパスタを中心とする<イタめし>が合っているからかもしれない。
スパゲッティを食べるとき、フォークだけか、スプーンをそろえるかで一時期大論争が巻き起こった。イタリアでもフォーク派、フォーク&スプーン派はあるが、陽気なイタリア人はどちらでもおいしければ関係ないという話だ。
隠れそばの名産地とされているのが、アフリカ・キリマンジャロ山の中腹地帯である。朝夕は冷気に包まれ、日中には暑くなって、霧に包まれることも多いのだという。この気候条件は、ソバの生育にはぴったりで香り高いソバの実が収穫されているのだという。
マカロニを作るイタリア製パスタマシーンを利用して、世界初の燃えカス減少花火を作ったのが日本の花火会社・関東火工である。花火の火薬を調節して燃えカスを減らすことを研究したところ、マカロニ型が良いことに気がついた。
江戸時代まで、うどんに必ず添えられていた薬味が“梅干し”である。うどんと梅干しの組み合わせの歴史は古く、平安時代の末期からセットになっていたという。当時のうどん汁にはダシだけで味付けがなされていなかったからと考えられている。
中国ではメン類を引っ張りながら細くしていく名人芸を披露してくれる職人も多い。また、小麦粉を練り上げて、直径15〜20cmの球状にしてこれを薄く削り取りながら、次々にゆでていく技法も披露してくれる。
現在のようなソバができたのは、16世紀半ばであるといわれている。朝鮮半島から日本にやってきた僧・元珍がボロボロするそば粉に小麦粉を混ぜて粘りを出し、切り分ける方法を紹介したから。そば粉8に小麦粉2の割合の“二八そば”が基本となっている。
メン類の作り方は、小麦粉とそば粉を水で練るところまでは世界共通である。日本では主に薄くのばして切り分け、中国では引っ張って細くしていき、イタリアでは機械を通してさまざまな形にする。お国柄によってさまざまな形に成型されている。
12月31に年越しそばを食べる風習は、昔、金細工職人が、1日の仕事を終えた後こぼれた金粉を練ったそば粉の団子で拾い集めていたことから、「新年もお金が集まりやすくなるように」という縁起かつぎから生まれたという説もある。
古代から人類の主食だった小麦は、皮が硬くて取り除きにくいため、粉に加工してから食べていた。インドより西では“パン”、“チャパティ”のように焼いて、東の中国ではゆでてメン類として、さまざまな料理に活用されていた。
日本のソバは、小麦粉とソバの割合を重視しているが、それはイタリアでも同じこと。特にスパゲッティではデュラーム小麦粉と粗引きのセモリナ粉をどのような割合で配合するかによって、歯ざわり、舌ざわりが大きく変わるとされている。
そばは荒地にでもできる丈夫な植物である。荒れた土地の多い信州(長野県)で多く栽培されたため、信州ソバは『更科』に代表されるように、日本のソバの代表的ブランドとなった。信州のソバには、穂高の名産のワサビがよく似合う。
フォークが食卓に現れたのは、パスタ料理を上手に食べるため、とイタリアでは信じられている。確かに、パスタ料理が広まった14〜15世紀のイタリアでフォークは普及し始め、全ヨーロッパに伝わったのは16世紀の末だといわれている。
初期の中国のメン類は、スープに団子状の小麦粉の固まりを浮かせたもので、現代でいえば“水団”のようなものであった。これが、3世紀頃になると、スープにからみやすく、熱も通りやすく、調理しやすいという理由から、長細くなってきたといわれている。
中国語で「麺」といえば小麦粉のことで、「餅」というのがメン類など小麦粉から作られる食材を意味する。日本語とは違うので注意を要する。中国でメン類が生まれたのは今から7000年も前のことだそうで、パンよりもはるかに歴史が古いという。
日本風スパゲッティの定番ミートソースは、イタリア北部ボローニャ地方の名物料理である。パスタ料理の中でも最古の部類に属するもので、ひき肉だけでなく、細切りの肉、内臓なども使ったボローニャ風ソースにからめてパスタを作るのである。
ソバとお酒が大好きだった江戸っ子の好みが“ヌキ”というメニュー。“天ぷらそば”などの種ものの具を別にしてもらい、酒の肴として酒を飲んだ後に、残った(ヌイた)そばを“盛りそば”として仕上げに食べることにしていたのだという。
マカロニに穴をあけたのは、16世紀初め、イタリア・ローマ法王庁の料理人で、早くゆで上げるためとソースを十分にからませるための工夫だった。初めて食べた法王が「マ・カロニ!(うまい!)」と叫んだことにより、この名前がついたとされている。
香川の“讃岐うどん”も郷土うどんの代表だが、シコシコした腰の強いメンが特徴である。この腰の強さは、水を混ぜて練った小麦粉の固まりの上からムシロを敷きその上から足で踏みつけるようにして粘り気を出してから太く切るため生まれた。
そうめんと冷や麦は、よく似ているようにみえるが実は作り方が違う。元々そうめんは中国のメン類と同じように油をつけながら手で引き伸ばして細くしていくが、冷や麦は、うどんよりもさらに引き伸ばして薄くなった生地を切り分けて作る。
中国から入ってきたうどんのルーツは、水で練った小麦粉の団子をダシ汁に浮かせた「混沌(こんとん)」と呼ばれた食べ物である。この混沌が訛ってうどんになったといわれている。室町時代の資料には、早くも「うんどん」という名前が出てきている。
名古屋名物の“きしめん”の名前の由来は、昔、キジ肉を具にした“キジめん”からとか、現在の和歌山県・紀州の国で生まれた“紀州めん”からとか、さまざまな説がある。別名・ひもかわとも呼ばれるが、これはひもに似ているからだという。
郷土うどんの代表的なものが、名古屋の“きしめん”である。メンの形が平べったくて、初めて食べた人たちの中には「こんなベルトのようなものが食えるか!」と怒った人もいたとか。でも平べったい形の“きしめん”ノドごしの良さは抜群なのである。
平安時代になると、小麦粉を水で練って団子状にしていたメン類は、細く長く伸ばして乾燥させ、利用されるようになった。初めは高級食であったメン類も、小麦栽培の成功によって、少しずつではあるが一般に広まっていった。
メン類が中国から日本に伝わってきたのは、奈良時代の中ごろで、初めは『唐果物(からくだもの)』と呼ばれ、皇族や貴族の食べ物であった。小麦粉を混ぜて練ってから、煮たり油であげたりしていた。今のドーナツによく似ていたといわれている。
メン類が日本で急速に普及していった背景の一つが、水で練った小麦粉を薄く伸ばして切るという作り方が生まれたからである。この細長く切るという技法により、うどんやソバは大量生産ができるようになった。
もりそばといえば、普通、冷たいそばのことを指すが、そば通はゆでたそばが冷水につけて冷まされるときに香りが逃げるといって好まないのだという。そば通の注文するのは“熱もり”といって、ゆでたままの熱いそばを熱いタレで食するものだという。