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<一知半解の独り言>
第765回 おでんの由来
                      平成13年12月6日

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寒い冬がやってきました。
こんな時期には「おでん」が恋しくなります。
仕事が終わって、「おでん」でもつつきながら、ビールをきゅっと飲めば1日の疲れが吹っ飛んでしまいます(^^;

この「おでん」は、大阪では『関東煮(かんとだき)』というのだそうですが、一番西に住んだのが、静岡県なものでこの言い方さえ知りませんでした。皆様はご存知だったでしょうか?

『関東煮』の語源は、もちろんその名前の通り“関東から来た料理”だったからなのです。当時の“江戸”では今と同じく「おでん」と呼ばれていたようですが・・・

この「おでん」の“元祖”といえば“茹でたこんにゃくに味噌をつけて食べる”「田楽(でんがく)」なのです。かき餅を“おかき”、炬燵(こたつ)を“おこた”と呼ぶように、田楽を“おでん”と呼んだのです。

おでんは、もともとはこんにゃくを使ったものではなく、串に刺した豆腐のみそ焼だったのです。その呼称は、竹串に刺さった白い豆腐に色が変わった味噌をつけた姿が、田植え時に豊作を祈念して白い袴に赤・黄・青など色変わりの上衣を着て、足元に鷺足と称する竹馬で跳ねて踊る室町時代の「田楽舞」に似ていることから田楽と呼ばれるようになったのだといいます。

田楽につける味噌は、当初は”唐辛子味噌”のみであったようです。

江戸時代になって田楽に豆腐以外の物が使われ始めるようになり、おでん種として大根・牛蒡・山芋・芋などの野菜類が使われたようですが、豆腐の代用として長方形にした豆腐田楽の“亜流”でしかありませんでした。

この串刺しを味噌味で煮込むようになったのは江戸時代も半ばを過ぎてからのことで、味噌煮込みおでんは江戸の町で天ぷら屋、すし屋、そば屋などと並んで“屋台料理”として広まったのだそうです。
 
このおでんの味噌味が醤油味になったのは、醤油が大流行した江戸末期になってからのことだといい、大阪に伝わった醤油煮込みおでんは、「関東煮」という呼び名で、それまでの味噌おでんと区別されたそうです。(もちろん、名古屋のように現在でもおでんといえば“味噌煮込み”のところもあります。)

しかし、“関東煮”は元々、醤油で煮ることから“広東煮”だっという説もあるのだとはいいますが・・・。
 
明治以降、洋食などの食文化が多様化して、一時期、関東では人気が衰えていきました。

このおでんが関東で復活するきっかけになったのが、大正12年9月1日におきた関東大震災だそうです。この地震で、日本はもとより世界中から“援助”が寄せられたのですが、このとき“炊き出し”として復活したのが「おでん」だったのです。

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