ホームに戻る

バックナンバー1に戻る

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

<一知半解の独り言>
第4回 鹿島と鹿嶋(補訂版つき)
                     平成11年9月26日

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

鹿島と聞いて皆さんは何を思い浮かべますでしょうか?
私、何を隠そう大のサッカーファンなのであります。
ですから、最初に思い浮かんだのは鹿島アントラーズなのです。
でも、今日はサッカーの話じゃありません。
サッカーの話はまた別の機会にしまして今回は名前について。

ご存知のように鹿島神宮・鹿島臨海工業地帯を抱えるカシマ市は、茨城県の南の端の海に面したところ(利根川をはさんで千葉県銚子市)にあり、つい最近になって鹿島町・大野村の2町村が合併して市になりました。その際、市の名前を何にするかということで、鹿島市という名称が浮上しました。しかし、その名前はすでに佐賀県南部の人口4万足らずの市によって使われていたんです。それで、行政上の名前だけ鹿嶋市になったわけです。先の方が権利があるわけですよね。
その時は、しょうがないとは分かっていながら納得いかなかったんです。

そんなことはその話が決まる頃は新聞ネタにもなり、興味を持ってみていたわけですが、今となってはすっかり忘れていました。それを思い出させる事件がおきたのがついこの間のことです。それは、皆さんの記憶にも新しい高校生の次男を保険金殺人してしまった、というやつです。鹿島市に住んでいたんですね、あのご家族は。そのニュースが流れると、鹿島市鹿島市と言われるものでそういえば、鹿嶋は鹿島になれなかったんだっけ、というのを思い出しました。
行政上の取り決めなのでしょうがないことですが、市の名前以外は鹿島で市の公式名称だけが鹿島でなく鹿嶋というのは違和感がありますよね。
しかも、広辞苑とかをひも解いてみてください。
鹿島何某というような言葉がいくつも出てくるのですが、それは全部茨城県のカシマなんです。

地方分権を推進するにあたって、現在の市町村を統合する計画があるそうです。その段階では、鹿島の文字を返してあげても良いのではなどと考えてしまいます。(佐賀県の皆さん、その他関係者さんごめんなさい)
勝手な言い分だとは思いますが、最近感じたことです。

あ、ちなみに鹿島建設はカジマケンセツです。濁るんですよね。(ここまでが、オリジナル)

実は「かしま」と言う地名は全国に6市町村あるようです。
佐賀県鹿島市、福島県相馬郡鹿島町、石川県鹿島郡鹿島町、島根県八束郡鹿島町、茨城県鹿嶋市、鹿児島県薩摩郡鹿島村(HP未)です。
さらに調べてみますと、時代はさまざまですが、古くは紀元前から、縄文・弥生時代、奈良・平安時代からなどめんめんと歴史を積み重ねてきた場所柄だったのです。「鹿島」は凄い歴史を持った知名なのだと言うことが改めて分かりました。
そして、これらの自治体が「全国かしまサミット」なる「友好と連帯の絆を深めあい、ともに住みよいふるさと「かしま」の振興と発展を目指し、情報の交換や相互の交流まで図る」催しも開いているということもはじめて知りました。

あと一つ、“川西さん”からの情報その1です。
佐賀県の鹿島と茨城県の鹿島は上古において、無縁ではなかったはずです。
常陸風土記に「タケカシマノミコト?」が常陸の国を征服する話がでてきたと記憶しています。タケカシマノミコトはたしか本人もしくはその配下が筑紫出身で、杵島曲(キシマブリ)という歌をうたったとあったように記憶しています。
杵島というのは佐賀県の現鹿島市をふくむ郡名だと記憶します。
佐賀県の鹿島はこの杵島と縁のある地名のはずです。

そして、その2です。(ここから先が5月更新です。)
*杵島と鹿島
1)肥前国風土記の杵島郡の条に景行天皇の巡幸の時の話として、船の泊まったところが自然に島となった。
そこで天皇が「此の郡は、カシ(文字は牂、[歌-欠+弋])嶋郡と謂ふべし」といった。杵島(キシマ)郡というのは訛りだという説話がのっています。
船の「かし」というのは船を留める水中に立てる杭のことです

2)常陸国風土記や肥前国風土記、万葉集によると「あられふる」という言葉が「鹿島」とともに「杵島」にかかる
枕詞となっています。

3)また常陸国風土記で建香島命が国栖をだましたという「杵島曲」について、肥前国風土記(逸文)では「杵島曲」は歌垣(カガイ)の歌としてでてきます。歌垣はテレビでもときどき紹介される中国中・南部の少数民族の民俗事例にある若い男女の出会いの場であり、ここで男女が歌を交換する場です。常陸国風土記では筑波山で男女が集うという記事があります

このように、「かしま」、「きしま」は関係が深いということがあります。

*佐賀県の鹿島市は杵島郡の隣の郡の藤津郡の地名で、風土記でも別の郡となっています。角川の地名辞典は「鹿島志」というのをひいて鹿島の地名のもとは、(茨城の鹿島神社を遷した)鹿島宮からとあります
これなら、最初にいわれた茨城からという説が正しいことになります。
しかし、同じ地名辞典に鹿島は古い地名でその最初は平安時代はじめの延喜式にみられる「鹿島馬牧」だそうです。
武神として鹿島神社の遷移は中世の武士の時代からと思われますので、鹿島志の鹿島神社が元というのには疑問があります。

以上、佐賀県の鹿島については
1)隣接の杵島は茨城の鹿島と関連が深い
2)しかし、鹿島の起源はあまり明確ではない
ということでししょうか


そもそも鹿島神宮は神話にみえる出雲を屈服させた“タケミカヅチノミコト”をまつる神社です。
上古はヤマト朝廷の東国・蝦夷征服のための神として“クロイタノミコト”や“タケカシマノミコト”を祖とする国造の一族である多氏がまつったものと、思われます。

鹿島神はヤマト朝廷の蝦夷征服とともに、東北で多数設立された鹿島神社、鹿島御子神神社が、延喜式に朝廷の祭る神社がとしてあげられており、これらの後裔として福島県や宮城県に鹿島神社鹿島御子神社がかなりあります。

福島県の鹿島町はそういう鹿島御子神神社があることかでた町名だそうです。福島県には、いまではいわき市に併合された鹿島神社があることによってでた鹿島町もあったそうです。
宮城県の鹿島台町もそうした地名でしょう。

ところが、大化改新・奈良時代くらいには中臣氏が祭祀をうばい、中臣氏からでた藤原氏との関係がふかまり、奈良の春日神社に遷り藤原氏の祖先神とともにまつられます。

中世には武神として各地に遷移します。鹿児島県の鹿島村はこうした鹿島神社があったことにより、なづけられたそうです。佐賀県の鹿島市についてこの説があることを紹介しました。石川県に(いまの鹿島町とはべつに)こういう鹿島神社があったことによりなずけられた鹿島村が加賀、能登にあったそうです。全国にこうした町村がもっとかつてはあったものとおもわれます。いまでも各市町村に鹿島神社がある地区に鹿島という地名があります。
石川県の鹿島町は鹿島神社とは関係ないようです。鹿島町は鹿島郡にあります。この郡はその昔は能登郡と能登の中心で、鹿島郷というのがありました。鎌倉時代までに郷名をとって鹿島郡といわれるようになりました。鹿島郡には鹿西町というのもあります。

ところで、カシマという地名の自治体に熊本県に嘉島町というのがあります。
加島という地名・島名もあります。鹿島神社とは別の地名でしょう。

島根県の八束郡鹿島町は全く別の成り立ちです。これは昭和31年に鹿島町が合併で成立する際、町域が旧郡(明治29年以前)の秋鹿郡と島根郡にわたるので名づけられた合成地名です。

バックナンバー1に戻る

ホームに戻る