12月12日 天下の公道 ローマ3:25、26

         (ローマ3:25,26)

この人を見よ

 賛美歌の121番に「馬槽のなかに」というクリスマスの歌がある。

  馬槽のなかに    うぶごえあげ
  大工の家に     ひととなりて
  貧しきうれい     生くるなやみ
  つぶさになめし   この人を見よ

 この賛美歌は「この人を見よ」と四回繰り返し歌う。「この人」とは言うまでもなくイエス・キリストのことである。
 来年は西暦2000年である。ニュースでおもしろい場面を見た。パレスチナのイスラム教徒が今から2000年のクリスマスまで一年間、キリスト生誕2000年を祝うというのだ。イスラム教徒にとってはイエスはメシア(救世主)ではないが、マホメットに次ぐ預言者である。2000年は世界中の目がキリストに注がれる時である。真のメシアとしてのキリストの姿が輝き出るように祈る。

神の公示

 使徒パウロは、「神はキリスト・イエスを・・・・公にお示しになりました」と言っている。これは神が天下の公道を示されたということである。天下万民の救い主としてキリストを立てられ公に示されたのである。キリストによる救いの出来事は密かに行われたのではなく、天下にはっきりと公示されたのである。

なだめの供え物

 使徒パウロは、キリストが「なだめの供え物」として公示されたと言う。「なだめの供え物」と訳されている聖書原語はヒラステーリオンである。ヒラステーリオンとは、旧約聖書にでてくる「契約の箱」の蓋(ふた)を意味する。
 古代イスラエルには幕やといわれる天幕で作った神の宮があった。日本の神社であるなら本殿のような所だ。幕やは手前三分の二が聖所と呼ばれ、奥の三分の一は「至聖所」と呼ばれ、そこにはモーセの十戒が入った「契約の箱」がアンチされていた。「契約の箱」はイスラエルにとっては神の臨在の場であり、神の民の戦いの勝利の守護であった。
 「契約の箱」が安置された「至聖所」には、大祭司のほかだれも入ることができなかった。大祭司も年一回「贖罪の日」に入るだけだった。この日、大祭司は、雄牛と山羊の血を携え、「至聖所」に入り、「契約の箱」の蓋にその血をふりかけた。それはイスラエルの罪を贖う(赦す)ためであった。
 キリストはわれらの「贖罪蓋」に十字架上の血を注がれ、一度限り、永遠に、完全にわれらの罪を贖ってくださった。

 黙想と適用
・「なだめの供え物」は何によって受けるべきですか。(25節 26節)