| (出エジプト記3:1〜10抜粋) まさかという坂 人生には予期しない出来事が起こってくるものだ。これをうまく表現した人がいる。人生には、上り坂があり、下り坂がある、しかしもうひとつ“まさか”という坂があると。すべてが順調にいっていたと思うのに、突然病魔に冒され、“まさか”自分がこのようなことになろうとは。中国四川で大地震に被災し家も家族も失った人たち。“まさか”自分たちがこのような災害に会おうとは。それが実感だろう。自分たちの人生を一変してしまう“まさか”という坂。 エジプトに移住したイスラエルの民はまさか自分たちが四百年間も奴隷にされるとは思わなかったろう。だが、彼らは自由を奪われ過酷な労役に苦しめられた。 突然の出会い しかし、人生には悪い“まさか”ぱかりではない。すぱらしい“まさか”もある。神は測り知れない知恵によって、ご自分の民に苦しみや試練を許容されることもある。しかし、決してそこに放置されたりはしない。必ず、神ご自身が行動を起こされ救出されるのである。その神のみわざは、人間の予測を越えて突如開始される。 神は民の苦しみと叫びを聞き、過酷な労働と隷属を見、立ち上がられる。そして、ご自身の救いのわざの器としてモーセを選ぱれたのである。 モーセは誕生の時、不思議な神の摂理により、エジプト王パロの殺戮から逃れ、パロの娘の子として王宮で育てられた。成人したとき、同胞のイスラエル人がエジプト人に虐待されているのを見て、エジプト人に仕返しをし、その男を殺した。いわばクーデターを起こして同胞を救おうとしたのであるが、だれも彼に従って行動する者はなかった。彼はひとりミデヤンの地に逃れ、四十年間も荒野で羊飼いをすることになるのである。自分の力で民を救おうとしたが、失敗。挫折し、荒野の炎天下と冷気にさらされ、ただ黙々と羊を追う毎日。 そのような日常の中に突然、神はモーセと出会われた。モーセは「聖なる地」に立たされ、「あなたの足のくつを脱げ」と命じられる。そしてエジプトで苦しむ同胞の救いのために遣わされるのである。 《黙想と適用》 神はどのようにあなたと出会い、あなたにどのような使命を与えておられますか。 |