| (Tコリント15:12〜20) 希望 先日、スペースシャトル《エンデバー》に乗った土井隆雄さんが、目本初の有人宇宙施設《きぼう》を国際宇宙ステーションに取り付け、その保管室に入った。筑波宇宙センターから「タカオ、あなたはまさに“希望”です」と呼びかけると、土井さんは《きぼう》の保管室から「日本のみなさん、こちらはきぼうです。新しいより素晴しい宇宙時代の幕開けです」と答えていた。「希望」は人間が人間らしく生きるために欠かせない。使徒パウロはいつまでも存続するものとして「信仰」と「希望」と「愛」をあげている(Iコリント13:13)。キリスト教は愛の宗教であり「希望」の宗教である。それはこの世だけで終わるはかない露のような希望ではない。永遠の希望である。キリスト信者はこの永遠の「生ける望みを持つように」(Iペテロ1:3)召された者たちである。 キリストの復活 聖書でいう「希望」の要はイエス・キリストの復活である。新約聖書が「福音」 Good News としてすべての人に告知しているのは、キリストが「私たちの罪のために死なれたこと」そして「三日目によみがえったこと」(Iコリント15:3,4)である。 キリストの復活は神話や作り話ではない。それはイエスの多くの弟子たちの命がけの証言である。使徒たちをはじめ五百人以上の弟子たちが復活のイエスと出会ったと証言している。彼らは単に夢、幻、心の中や空想の中で出会ったのではない。われわれが他の人と会うと全く同じようにイエスに出会ったのである。イエスの肉体的復活はまぎれもない事実なのだ。イエスの墓は空である。遺体の発見者はどこにもいない。 もし、キリストが復活されなかったとすれぱ、彼の弟子たちすべてが神に逆らう偽証者であり、キリスト教はその拠り所を全く失う。信仰は空虚となり、救いの希望は絶望に変わる。 「しかし、今や」である。事実、「キリストは眠った者の初穂としてよみがえられさきがけた」のである。聖徒たちの復活の魁となられたのだ。これ以上の「福音」(グッドニュース)が他にあろうか。 《黙想と適用》 別離の悲しみに沈むことがないのはどうしてですか。Iテサロニケ4:13〜18 |