| (Tヨハネ2:13〜14抜粋) 棕櫚の日 きょうは教会暦では「棕櫚の日」である。イエスが十字架につくためにエルサレムに入られた日である。イエスが平和の王としてエルサレムに入るとき、群集は「ダビデの子にホサナ!」と叫び、棕櫚の木の枝を取って道に敷きイエスを歓迎したところから、「棕櫚の日」と呼ばれるようになった。 「棕櫚の日」からの一週間は「受難週」と呼ぱれる。イエスはエノレサレムに入ると宮きよめをされ、ユダヤの宗教家たちと論争をされ、木曜日には弟子たちとともに「最後の晩餐」を食し、ゲッセマネの園で血の汗を流して祈られた。そして捕えられ、金曜日の朝に総督ピラトの裁判を受け、午前九時から午後三時まで十字架の苦しみを受けられたのである。従って金曜日は「受難日」(Good Friday)である。そして三日目(次の日曜日)が「復活日」(イースター)である。 勝利者イエス イエスのこの受難の一週間に私たちが見るのは、イエスの敗北の姿ではない。勝利の姿である。十字架は正義が不義に抹殺された出来事ではない。イエスが単なる人間であったことを実証する出来事でもない。それは人類の救いが成就した勝利の出来事である。六時間に及ぶ十字架の苦悶の後、イエスが最期に大声で発した叫びは“テテレスタイ”(完了した! It is fnished!)であった。新共同訳聖書では「成し遂げられた!」と訳している。イエスの戦いは十字架の道を避けよとのサタンの誘惑との戦いであった。またそれは苦しみの杯を避けたいという人間イエスの戦いであった。しかし、この戦いの決着は、イエスが「わたしの願ではなく、みこころのとおりにしてください」(ルカ22:42)と祈ったときすでについていた。神のみこころはイエスが十字架にかかって人類の罪のあがないを成し遂げることであった。まさにそのあがないのわざが十字架上で「完了した!」「成し遂げられた!」のだ。 若者たちよ 神のみこころを完全に成し遂げ十字架にかかり復活されたイエスを信じる者は、新しく生まれた者である。彼/彼女は勝利者である。「世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。」(Iヨハネ5:5口語訳)とある。信じる者のうちにイエスは住まわれる。だから「あなたがた」は「強い者」なのである。そして「神のことばがあなたがたのうちにとどまっている」ので、「あなたがた」はすでに悪い者(サタン)に打ち勝っているのである。 《黙想と適用》 今日の若者にしかけられるサタンの攻撃や誘惑はどのようなものでしょうか。 |