| (ルカ23:32〜43抜粋) バレンタイン 先週の2月14日はバレンタインデーで、たくさんのチョコが売れたことだろう。年ごとにバレンタインチョコは多種多様を極め、デパートのワンフロアーを占めるほどになった。チョコは贈り先別に、義理チョコ、本命チョコ、マイチョコと呼ぱれている。会杜の上司などにお義理で贈るチョコは義理チョコ、好きな人に贈るチョコは本命チョコ、ウマイ高級チョコはまず自分に贈るというのがマイチョコだそうだ。贈る相手がいないので、自分に贈るということもあるそうな。バレンタインデーの由来は、紀元3世紀ローマ帝国の時代に、時の皇帝クラウディウスニ世が戦場に赴く兵士の結婚を禁じたのを、バレンタインという司祭が禁令を破って多くのカップルを結びっけたため、270年2月14目に処刑されたところから来ている。 愛は人類永遠のテーマである。古今東西、老若男女を問わず、人々は愛を求めて生きている。 神は愛なり 神の啓示の書物である聖書は「神は愛です。」(Iヨハネ4:16)と高らかに宣言している。天地万物の創造主なる唯一まことの神は、「父」と呼ばれるお方であり、愛に満ちた天の父である。イエスはどのような苦しみ悲しみのときも、「父よ。」と神に呼びかけておられる(ルカ22:42)。 しかし、人間はどうであろうか。愛から遠く隔たり妬みや憎しみや怨念の中で、自らの罪の当然の報いを刈り取っているではないか。イエスが十字架にかかったとき、人間の罪深さは露呈された。群集は理由なくイエスを憎み「十字架につけろ」と叫び(ルカ23:21)、指導者たちや兵士たち、そして犯罪人も罪のない神の子をののしりあざけった。いわぱ人類は1憎しみと怨念をイエスにぶつけたのである。 このような仕打ちに対して、神の子の口をついて出たのは、怒りや憎しみ、怨念の言葉ではなかった。「父よ。彼らをお赦しください。」一体だれが、自分をののしり、釘付けにする者のためにこのように祈ることができようか。ひとり神の子だけが人類の罪をその身に引き受け、その罰を受けられたのだ。ここに神の愛がある。この方の愛にすがる者はだれでも「もうひとりの」犯罪人のように、罪をゆるされ、パラダイス(天国)に入るのである。 《黙想と適用》 人をゆるせますか。なぜでしょうか。 |