2009年 7月19日礼拝説教要旨

エレミヤ書23章 1〜6節

『恐れと迷いを取り去る主』
 古屋博規牧師



古屋博規先生

     プロテスタント宣教150年大会が、入場者16000人が集い、盛会のうちに終わりました。
目白教会の役員で東京信徒会の鈴木功男兄は、この様子を詳細に報告下さいました。 また、重なるように宗教改革者カルヴァンの生誕500年記念祭が開催されたことが現地から報告されたことを、当日のプログラムと共に記念礼拝で歌われた記念讃美歌も送って下さいました。教会HPでは曲を聴けるようになっていますが、本日報告の折りに、奏楽者に弾いていただきます。
この報告から考えられることは、預言者エレミヤ、カルヴァン、日本に来られた宣教師たち、日本伝道に尽力された牧師と信徒の時代、人々が追いやられたり、戦争で命を奪われたり、囚われの民となってしまった時代を背に負っているということです。この事を克服するのは、神の言葉によると確信して歩む事が大切になってきます。

 加藤常昭牧師は、記念講演で
<自分たちが語るのは、人の言葉としてでなく、神の言葉として受け入れる人になる時、人々は、自分たちの真似をするようになり、主イエスご自身のまねをして生きる人間へと変えられていく>
と牧師と共に信徒がキリストの体である教会をどう作るか、クリストクラシー(セオクラシー)が実現する時にのみ意味を持つ。
<最後に提案>
そして、それぞれの教会でも150年記念集会をもってもらいたい。自分たちの歩みを反省、悔い改め、皆さんの存在を以ってキリストにお返しする。このことをお願いしたい。
と、つまり、私たちの礼拝への姿勢こそが、明日の教会に委ねるための備えである、
と語られました。

 エレミヤの時代、神は悪政を行う政治的指導者たちに語りかけられました。彼らが、語るべきことを語らない、セオクラシーに立っていないからと言われます。
確かに彼らは、自らの救いを語りますが、それは出エジプトの頃の心地よいことばかり、一方的にエジプト人が滅ぼされたのは、あたかも自分に非がないように思えます。
すると人々は、金で造った子牛で神を呼び込もうとして、他人に言う事も聖書の成功話だけです。<> しかしエレミヤを立てた神は、人々の成功話でなく、エレミヤ(主が建てる」という名が示す通り、神によって語られた言葉に結びつきなさい。恐れと迷いは、人々を神の様にさせ神の言葉に聴く事から引き離します。
しかし、その様な思いを驕りとみなす神は、私たちの神になろうとする迷い恐れを、終わりの日、その若枝によって生まれかわらせて下さると約束されます。