2009年 5月17日礼拝説教要旨

ヨハネ15章9〜17節

『自分の命をかける。』
 古屋博規牧師



古屋博規先生

今週は31日のペンテコステを覚えながら、祈りについての御言葉を学びます。
 幼い時から私たちは命をいただいていることを教えられます。自分の成長のために代わりに、命をいただくのです。
この御言葉は、主イェスの求めておられる姿勢として前の1〜8節の私のうちに留まることを引き継いで、9〜17節で私の愛のうちに留まることとで一体をなしていると言われます。

 留まるのは、信仰の忠実を求める要求、愛の命令です。信仰と愛を一体のものとして、人に要求することは自分も求められているということです。
陶工が自分のイメージで器を作り、釜にて焼き上げます。汗水流して作成した中に、未完の部分を認めると、潔く壊します。もったいないと周りに言われても、徹底します。それが決断です。
神は、信仰に形をもたせています。

 かつて「ペイ フォワード」という映画が上映されました。11歳の少年トレパーは社会授業中にシモネット先生から、
「もし君たちが世界を変えたいと思ったら何をする?」
という宿題を与えられました。
トレパーは悩んだ末にあるアイデアを思いつきます。 それがペイ・イット・フォワード(pay it forward)すなわち 「先に贈る」です。
トレパーは次のようにそのアイデアを教室のみんなの前で述べます。
「じぶんではどうすることもできない人のために何かをすること、これを三回やる。そして助けられた人たちが今度はそれぞれ別の人に対して同じようにやる。こうしてどんどんその輪が広がっていく。3人が9人に、そして27人にとなり延々と続く。」 トレパーが考えたことは、他人から受けた思いやりや善意を、その人自身に返すのではなく、まわりにいる別の人へと贈っていくということでした。
ペイ バック(pay back)すなわち返報する。お返しをするという言葉がありますが ペイ・バックでは受けた善意をその相手に返すという一対一で終わってしまうのに対してペイ・イット・フォワード(先に贈る)というトレパーのアイデアはねずみ算式に広がって、しまいに善意で埋め尽くすことが出来るのではないかというものでした。

この映画ではトレパー自身はこのアイデアがなかなか軌道にのれないでいますが、気が付かないところでこのムーブメントがじわじわと広っていきます。
ある病院の救急待合い室で、ぜんそくの発作で苦しんでいる少女に、ナイフで刺されて担ぎ込まれたチンピラが治療の順番を譲ってくれたとき、驚く少女の父親にチンピラは「ペイ・フォワードだよ」と答えます。
また橋から飛び降り自殺をしようとしている女性に対して身を挺して救おうとしているホームレスの男性が 「なぜそこまでして他人の私を助けるの?」
と聴かれるとそのホームレスの男性は
「ペイ・フォワードなんです。」
と答えます。

今日の聖書には「つながる」と言う言葉が何度も出てきます。
「もし人が私につながっておりまたわたしがその人とつながっておれば豊に実を結ぶようになる。」
神は、主イェス・キリストの十字架の愛を先に贈って下さいました。