2008年 7月20日礼拝説教要旨

マタイ25:14〜30

『偽のベテラン真のベテラン』
 古屋博規牧師



古屋博規先生

 2002年の4月に、富士、第一勧銀、日本興業銀行が統合した「みずほ銀行」は、開業当初からATMの停止や、数万件の公共料金二重引き落としなど、障害が続発したことは記憶に新しいことです。
同じ轍を踏むまいと、今年の三菱UFJのシステム統合の場合は、情報の公開がなされ全ての利用者がこの体制を見守りました。 普通、ベテランは、このままではトラブルが起こるからほおっておかない方がと判断し、上の立場の人に報告します。常識的な経営のトップは、合併を遅らせてでも、公開してシステムの問題を解決しようとします。 今や、日本の世代交代の中、様々な偽装がいつまでたっても起こり続けるのは、失敗を他人のせいにして、うやむやにしてきた体質がそのままになっているか、成長し得ない組織の、トカゲのシッポを切るような体質が続いているのかもしれません。

今日の聖書では、そのようなベテランのはずの一人が、失敗を恐れて、密かに処理して何気ない暮らしをしている中、主人が報告を要求します。
万事窮すです。それが、主イェスが弟子達に示されたタラントンの譬えです。タラントンは、技能、才能を指したギリシャ語で、タレントの語源です。
ある主人が、それぞれの能力に応じて五タラント、2タラントン、1タラントンを預けて旅に出ました。暫くして旅から帰って来た主人は、僕たちを呼び出します。
5タラントンを預かった僕は5タラントンを、2タラントンの僕は2タラントンをと、預かった全てを活かして、倍にしたことを報告しました。1タラントンの僕は全く活かさず、地に埋めたと報告します。主人の期待に応えないで、主人の力を期待しない僕こそ、実は私達の現実なのです。確かに僕の報告では減らしてはいません。ところが、主人は、全てを委ねてきたのに、その信頼を受け入れないことに厳しく問いかけます。 銀行に預けることもしない不忠実さに呆れるのです。

主人は、期待通りにタラントンを活かした僕を「良い忠実な僕」と評価するのに比べて、主人のタラントンを地に隠している僕を、役に立たないとお叱りになり本当の暗闇に放り出されます。
 この話は、私たちの現実を厳しく指摘します。
第一に、あまりにもベテランの顔をしながら、キリストの十字架を何かの飾りの様にしている偽りを厳しく指摘なさいます。誰にもどんな人にも何らかのタラントンを神さまから頂いているのですから、このことを忘れると聖書の中でも信仰の揺さぶりの活断層が働くとき、あなたも誰かに罪を被せていると、主人の十字架の問いかけから逃れられません。
第二に、神から私たちは賜物を頂いても、それは、人生の時計の中で預かっている者であって、所有するのでなくお返しするものであることを忘れていないか?主に忠実な人は、真のベテランとして才能を発揮します。そして、「人の為せる業にしない」ことを旨とします。人が人を導くこと、人と人との長い交わりも、ひとたび神を忘れると、それは偽りのベテラン集団の社会と変わらないと指摘しています。
第三のタラントンは、自分の持ち物を管理する全てのベテランに、主が問いかけるのは、生きるも主のため、死ぬも主のためということです。

自分のためにいくらかでも隠していなかったかそれはいくらしたかでなく、どの様に生かしたかです。
主は、十字架で全てを神にささげ尽くして下さいます。