2008年 6月 8日礼拝説教要旨

ルカ15:1〜7

「羊を担ぐ羊飼い」
 古屋博規牧師



古屋博規先生

今朝は、愛星幼稚園のこどもたち 教会学校のこどもたちが一番前にいます。
そう、今日、は世界花の日・子どもの日です。今、座っている所で皆さん一緒に、
「主は皆さんとともに」
「また あなたと共に」
と平和の挨拶を致しましょう。

♪この花のように 美しい心を 神様ください 小さな私にも
♪この花のように ひとびとを愛せる心を下さい小さな私にも!

神様を忘れてはいけません。花のようになったらどうでしょう。
花は、光を必要としているため常に光に向かって伸びますが、私たちも大切にして下さる神様に向かうように、そして日頃心にとめている方々にも、心の花を捧げましょう。 花の日の由来は、1856年、アメリカのマサチューセッツ州チュルシイ市の教会、レオナルド牧師の発意で特別合同礼拝で、花をささげて、花の日・子どもの日として守ったことですが、今日まで、大切な行事とされています。

さて、今日の聖書は、イエス様の前に話を聴こうとして近寄ってきた徴税人や罪人と一緒に食事をしている主イェスに不平を言っている律法学者やファリサイ人に譬えられた話です。
羊は、羊飼いの声とそうでない声を良く知っています。目は近視ですが声を良く聴いています。ところが、ある日、一匹の羊は自分のことで近視眼的になり、羊飼いの声から外れていきます。次第に小さくなる羊飼いの声に気づいた時には、すでに辺りは暗くなり楽しい思いどころか、不安になって泣くばかりです。その羊を、羊飼いは肩に担いで守って下さいました。

主イェス様の声は、自分が群れからはぐれた一匹であることを自覚して、大声を出して叫ぶ徴税人、罪人を大切にされました。 律法学者やファリサイ人の様に、いかにも自分は偉いと神様の前で自慢して、ちょうど

「神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです」(ローマ人への手紙第1章21節)

となってしまった、偉そうぶっている人、喧嘩しそうな人、神の声を必要としていない人々(99匹)は、決して、神様の前に近い存在にならないことを示して下さいました。
私たちは神様を知りながら、神様と勝負します。

 神様と人に心から仕え、この日こそ清い神の子として下さい、と心から、この前に座っている子どもたちと讃美を共にして、神様の思いをひたすら願い求め、全てをお任せし、感謝をし続けましょう。