2008年 5月18日礼拝説教要旨

ヨハネ3:1〜15

「風は思いのままに吹く」
 古屋博規牧師



古屋博規先生

私たちは、渋滞や、電車、地下鉄の中に閉じ込められるというだけでも怖さを感じる中、先週は、中国の四川省で未曾有の、今世紀最大の大地震によって信じられないほど多くの人々がいのちを奪われました。
現在も私たちに代わって閉じ込められている方々の一日も早い解放を願わずにはおれません。

イザヤ24:17−23には、「地の基震い動くとき」という言葉があります。阪神大震災に見舞われた神戸教会岩井健作牧師は、

「暗闇の地底から地鳴りをたてて押し寄せ、つき出してくる衝撃は手足も五臓六腑も思考も、一切の動きを金縛りのようにします。何の思い巡らす間もなく、下敷きになる」

と震災で亡くなった方の棺を会堂に入れたときの模様を思い起こしています。生活の日常と非日常、通常と緊急などの重なり合いを改めて、この地震を通じて感じたと、話されました。

今当たり前のようにしている礼拝も、交通手段があればこそであって、被災した後には礼拝を守れること自体が「非日常」となるわけです。

本日の聖書箇所において、ユダヤの最高法院の議員ニコデモには、主イェスの
「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
という教えを、聖書で自ら知りえたこととは余りにもかけ離れていて考えられない、つまり、普通に考えば、人間が二度生まれることはありえない、と思ったのです。
ところが、主イェスは「新しく生まれる」人間の生き方、即ち、考え方を根本的に変えることをニコデモに求めます。
生まれたままの人間が、知識、教養を積み重ねても、神の国に入ることは出来ない。それは、古い人間を美しく飾り立てることに過ぎないのです。
「新しく」生まれるとは、今まで人間が持っていたものを引き伸ばしたり、その上に何かプラスすることではなく、人間の生き方、考え方に、根本的な方向転換を経験することです。
言い換えれば、量的な変化でなく質的なものであり、わたしたちの生き方の方向と目標を180度転換することです。

後に使徒パウロはキリストとの出会いで
「わたしにとって益であったこれらのものをキリストのゆえに損と思うようになった。」
と、神の知恵と知識の極めがたく、測り知れなさを知ることの大切さを語りかけます。
人間にとって、苦難は非日常でも、神はいましたもうこと、復活の命のイエスは立ち続けられることを覚えましょう。神様の自由な風、聖霊を示す言葉は何者にも妨げられません。

私たちの世界には、不思議な世界があります。特に自分には考えられないし理解できないような不思議な能力を持つ人がいると、その人の中に人間を超えた力はたらしているのではないかと思います。

生まれること、死ぬことは、人間の自由な意思で何度も出来ることではありません。
「新しく生まれる」とは、二度と繰り返すことの出来ない方向転換です。一回限り与えられた生、それが出発点です。生も死も私たちの自由にはならないものです。

主は、先ず私たちのために、聖霊の風をいつも注いででおられることを信じ、主を知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思うと断言できる備えを致しましょう。