2008年 4月20日礼拝説教要旨

マタイ11:25〜30

「信仰者の品格とは」
 古屋博規牧師



古屋博規先生

ローマ人への手紙13:11−には、
あなたがたは今がとんな時であるかを知っています。・・今や、私たちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着け、日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。
と呼びかけています。

花たちは、置かれた場所で精一杯香り咲いています。
人にも香りがあります。人格はほのかに伝わってくる香りです。イェスはガリラヤの地方をめぐり歩いて宣教の業をされましたが、その尊い業とはうらはらに、人々は心を改めることをしませんでした。
「わざわいだ」
とさえも仰ったイェスの悲しみはどんなに深かったことでしょう。
しかし、それでも、幼子のように単純で素朴な信仰をもって、主イェスに受け入れるものもあったことを思い、祈りにも似た感謝をイェスは神に捧げています。 どんなに人間の知恵や知識、賢さがあったとしても主の福音を受け入れる心とはつながりません。 わたしたちは大人になるにつれて、教養も処世術も身に着けて行きますが、かえってそれが引き金になって、幼いことの素朴さ、純真さを失ってしまいます。 「幼いことがよい」というのではなく、幼い頃もっていた「おごり高ぶらない謙虚さ」は神の御心を受け入れようとする受容の姿を作り出すのでよいということなのです。

日本にキリスト教が伝えられて150年を迎えます。
日本語で訳された最初の福音書がマタイです。この訳はペリーと共に浦賀に来航したジョナサン・ゴーブル(1827-1896)というアメリカ宣教師によるものですが、彼が神奈川に来日したとき、当時のアメリカは南北戦争の影響で本国からの援助は見込めませんでした。しかし、禁制の時代に信仰を伝えようとする熱烈さと勇気は、理解をはるかに超えていたといえます。 マタイ福音書を出版した1871年の冬、ゴーブルは一旦帰国しますが再来日して横浜第一バプテスト教会を創立します。
初代の信仰者の品格の表れです。

福音はみじめさに隠され、イエスの中に示されたことは、貧弱でだれもがついてこないような状況です。
しかし、それでも神様の義に飢え渇いている人々は、必然的に信仰に入ります。
主イエスが負って下さっていることを信じることで、くびきは、軽くなります。
くびきは信仰に入る、働き場が与えられる深い愛に満ちた招きです。心の飢えは満たされます。その招きはすべての人に対して開かれているのです。