
出エジプト17:1〜1、ルカ9:57〜62 「いつも喜んで生きよう」
古屋博規牧師
この話は、主イエスが、従おうとする弟子志願の3人の者を前に、ご自身のあり方を教えています。イエスを信じ、期待し、イエスの生き方に自分をあてて生きるようにと。 「あなたの行くところには、どこでも従います。」
と言う人に、「狐には穴が、鳥には巣が・・・だが、人の子は枕することもない」。
「父を葬りに行かせてください」
という人には、「死人のことは死人に任せて」といいます。父母を敬わないのではありません。イエスに従うことは、どんなことでも神の国を広めることとになるように、必要なことをまずしなさいと求めています。 私たちは、主イエスの証人であります。それは、主イエスが私たちの罪のあがないのために十字架につけられたことを、忘れないで生きられるかどうかにかかっています。
ちょうど父なる神が、モーセがイスラエルの民を導く際に不平や不満にあっても、その試しの中で杖にだけ頼るようにせよと伝えられたように、弟子志願の三人の者たちに主が答えたのは、杖以外を頼りとしない生き方です。
主イエスの弟子になるには、いつも枠にはめることなく、旅路の中で主に出会い、過去の自分にとらわれず、神の国と神の計画に委ねて生きること、が大切です。そして、不安や誘惑に駆られるときに私たちがどの様に対処できるかと、問いかけます。
それに対し、主イエスは、杖を頼りにいつでも喜びに生きなさいと勧めています。喜びは見つけにくく、重苦しい時や不安と相反することです。それは共に生きようとする時、自分の事ばかりではなく、相手のことを真剣に考え、主イエスの喜びへと導かされます。 「いつも喜んでいないさい、絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」とTテサロニケ5:16−18と主イエスが望まれるように歩みたいものです。![]()