
コリント13:1〜13 「最後に残るものは」
古屋博規牧師
この 聖書箇所は、説明をする必要もないほど余りにも有名です。 ところで、「人生の目的」という本を書いた五木寛之さんは、下のように、人生には目的がない、と言っています。 「人生に目的はあるのか。
私はないと思う。何十年も考えつづけてきた末に、そう思うようになった。」 しかし、この答えは、私たちが、人生に目標を立てるかどうかにかかっています。 例えば、昨日今日は 受験シーズンです。
有名中学に、または高校、大学に入ったら何をするか考えよう、就職もいい会社に入ってから何をしようか考えよう 結婚もしてから考えよう、などと言ってしまったら、とんでもありません。 やはり、目的のない人生はないのです。
使徒パウロも、最後に残るものは信仰と希望と愛その最も大きなものは愛であると目標を指摘します。
パウロの指摘する愛は、終末に実現されるものであるからです。信仰と希望と愛は三つが一つになり、教会生活を表現します。
神を信じるという信仰と、神に愛されるという愛と、やがて完全に与えられる希望は、とってつけたように書かれているのでなく、神に対する信仰をもって生きること以外にはなしえないのです。 私たちをお造りになった神様は 私たちは神を讃美するために創られた、と語りかけています。
詩編102:19(後の世代のために/このことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」)
この詩編から創造者である神と人間との隔たりを忘れないで生きるためには、神の栄光を現し、永遠の神を喜ぶことです。
信仰なしに、希望なしに、愛を持つことが出来るでしょうか。信仰のない愛は、水源のない川の流れの様に、キリストなしに愛を持つことが出来ると主張するようなものです。信仰によって神の義によって全てを受け入れるのです。固い暗い、つまらない世界に、神様とエンジョイし、喜ぶという世界の中に入れられ、栄光を(心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主を愛し讃美することです。自分を愛するように隣人を愛する)顕すことです。 信仰と希望が愛となって最後に、永遠の終わりに完成されます。
愛(LOVE)は、L:Listen(聞く)、O:Open(心を開く)、V:Voice(声をかける)、E:Embrace(受け入れる)から構成されている世界と言われます。
の反対はL:Look(見ているだけ)、O:omit(排除する)、V:Vain(だめだと否定する)、E:Escape(逃げ出す)とも言えます。
主イェスは、私の全てを受け入れ、生かそうと励まして下さいます。![]()