
マタイ21:1〜9 「命を受け入れる」
古屋博規牧師
今日からアドベントが始まりました。 教会のカレンダーでは、一年の始まりです。四本のローソクに込められた、神さまが用意された歩みの一歩は、主の道を備えることです。 榎本保郎牧師は、この聖句を通してアシュラムに命をかけました。自分のような小さな者であっても、神が用いてくださる。
主がお入用として、十字架と復活の出来事の証人として、用いようとされておられる。榎本牧師は、それを信じたのです。 彼は30年数年前に亡くなりましたが、その著書や説教集は大きな影響力をもって、今も多くの人に感化を与えています。 先日、南町田教会で教会創立30年記念礼拝が行われました。この前進は、ちいロバ会という老人ホームからです。榎本牧師によって導か れたアシュラムに参加した原町田教会員が、誰に言うのでなく、柔和に財を献げてホームを建てました。 21章5節以下でも、主の柔和な姿を示します。これは旧約ゼカリヤ書9章9節からの引用です。 主イエスは子ロバに乗られるのです。ろばは、柔和さを表します。主イエスは、戦争に使う馬ではなく、子ろばに乗られます。勇ましい姿ではなく、王と叫ばれながら支配者としての威厳はなく、むしろ、小さなみすぼらしい子ろばに乗った姿は、みじめな有様です。そして、それが飼い葉桶の中に生まれる主の姿です。
主の入場の第一のポイントは、イエスが王として生まれたことです。しかも、王らしくない、馬小屋に生まれ、そして勇ましくない、柔和な方として、ロバに乗って来られます。 待降節で、マタイ福音書がゼカリヤ預言を引用するのは、預言が成就し、全てに一番低いところで苦しんでくださる王としてお生まれになったということを示すためです。
ですから私たちは、主イェスにひざまずき礼拝し、飼い葉桶の主を拝みます。罪に向き合うためには、馬でなく、ロバを用いてと呼びかけます。 人々は「ダビデの子にホサナ。」と呼びかけます。どうぞ我らをお救い下さいと呼びかけています。ホサナは、「祝福されよ」という意味です。万歳とも言います。神によって祝福されて入場されます。 クリスマスは、全ての人々に神様が開かれた平和の世界の幕開けです。
神様が私たちのために準備された、柔和な方の象徴として、今日灯された第一のローソクの光から、主の道を備えましょう。![]()