
マタイ18:21〜35 「赦してください」
古屋博規牧師
来週の幼児祝福式を前に、この聖書の箇所は、大人になるには様々な試練があることを教えています。 その中で最大のことは、人は赦されていることを忘れてしまうということです。 ◆先日、伝道献身者の一人の韮崎教会 平澤昇先生とお会いしました。
先生は、学生時代に多摩全生園を訪ねた時、入所者の方々と一緒にお茶もお菓子も頂けないほどに落ち込んだと思い出して、そして同時に、自分の傲慢さをいつも思い出します、と回想されていました。
「その時は、自分の思いで判断して、答えを出そうとするのです。ライの方々を不条理と決めつける事で、神様の心を私が決めつけているということになります。でも、そんな私の様な者も神様は愛されていることに気がつきました。」
と。 ◆主イェスと共に生きている弟子達は、イエスの前に、自分たちは正しい者の側に立っているという前提の下、
「何回赦したらいいのでしょう。」
と問いかけます。
すると、主イェスは、彼らに、「七の七十倍赦しなさい。」と求めます。
私たちには、人を赦す様な資格はなく、赦されていることを忘れていることを主はご存じなのです。 ◆そこで、イエスはある主人から1万タラントン赦された僕の話をしました。
彼は、主人から借金を返せと言われると、
「お願いです、もう少し待ってください。」
としきりに願うので、主人は彼の借金を帳消しにしました。この金額は現在の3000億円にも相当します。
彼は赦され、道を帰ります。すると、以前自分も100デナリ貸した事のある兄弟のことを思い出しました。
すると僕(しもべ)は赦されたことを忘れて、彼の首根っこをいきなり捕まえて「返せ!」と要求し、挙げ句の果てに牢屋に放り込みました。
この僕の貸した金額は50万円です。3000億円帳消しにして頂きながら、ちっぽけに見える50万をいつまでも忘れないのが人間です。
私たちは赦していただいていることを、忘れない様に「赦してください」と願い続けましょう。
「・・・我らの罪をも赦したまえ」と主の祈りの中に込められた意味を大切にしましょう。 ◆俳優の風見慎吾さんは、最愛の長女えみるさんを交通事故で奪われる惨事に遭遇しましたが、何人ものインタビューアから、
「加害者をどう思いますか?」
と何度も、何度もたずねられても、
「加害者を恨みません。そんなことしたら、娘が悲しみます」
と必死にこらえておられていました。 人が命を奪われても、そのことを恨み返さない思いを持つ事に、さぞかし辛いことと思います。それは、赦されて生きることを知っている人だから出来ることでもあります。
主イェスも、私たちのために、必死にこらえて、十字架の愛を示されたに違いないと思います。私たちは、いつも、いつも、「赦してください。」、「赦してください。」と祈り続けましょう。