2007年10月14日礼拝説教要旨

マルコ2:1〜12

「何を担いで」
 古屋博規牧師



古屋博規先生

「何を担いで」

今、日本の携帯電話サイトには、「自殺を請け負う者、依頼する者」がいて、お金で命を取り扱っています。
年間3万人を超える自殺者、この自殺サイトに望みをかける程に、自分は生きる価値はないと考えて、他との関係を遮断してしまう。そして、結局、自ら死を選んでしまう人が増えているという現実をどう解決出来るでしょうか。

◆人間の生きる価値と仕事とを強く結びつけたのは、実はキリスト教だと言われます。それぞれの仕事が天職であると考え、カルヴァンは自分が運命的に与えられた仕事に、忠実に全力を尽くす事が神への信仰の証と考えました。
近代に至って、マックスウェーバーは、プロテスタンティズムが近代資本主義の発展に大きく寄与したと語ります。資本主義が発展して行く中で事業に成功する人たちが起きてくると、成功が神の祝福、立派な信仰者のしるしが成功、ということにされてゆきました。

◆けれども、ここに大きな落とし穴が生じます。近代システムは、発展していく時に、人格と労働を切り離し、両者の関係性を希薄にさせてしまいました。そこには幾つかの課題があります。

  • 1  人が主体性を発揮すべき時、責任を取らないで被害者意識が強く、過去も今も、他人のせいだと、自らの人生を切り開こうとしなことです。
    逆に、自分の人生に責任をとるという事は、自分の方針、計画、そして起こる事全てに責任を持つということになります。
  • 2  ビジョンが無く、他人の敷いたレールを走ると流されるままになってしまうことです。
    逆に、人が目的を持つ時、聖書を土台とし、深く根ざし、実りある人間関係をつくるようになります。

    ◆聖書には、一生懸命、神様に取りなして頂こうとする人々が登場します。人々が呆気にとられるほど、主イェスから癒されたいと、体の動かない人を床に乗せたまま運んできた人々です。
    彼らは、主体的に、目的を持って突き進みます。彼らの前には人だかりでどうすることも出来ない程です。しかし彼らは、少しでも前に進むにはどうしたらいいか考え、彼らは屋根に穴をあけました。そして、ついに屋根を空けて、天井から中風の者をつり降ろしたのです。屋根の穴など、彼らの人生には全く気にならない程です。それほど、主に近づくことの大きさが、大胆さがここにあります。
    彼らの大胆な信仰は、イエスの前に行動を起こしました。人が目的を持って生きる時、闇に光が当てられるように、不自由な全ての床が取り上げられます。もはや自分にとって全く不自由なものとはなりません。

    ◆主の前に、中風の者と共に進んで来た人々は、何を思い煩うことなく、主より新たな責任を頂くのです。
     床を担いで家に帰りなさい。と自分の世界が神の世界へと導かれ、神との交わりによる再スタートを頂きました。
    今まで担いでいたものが何であったのか、この病人のかかえていた全てを、主は熟知しています。そして、この病人の一番大きな問題を、つまり、神様との関係を、もう一度取りもどして下さったのです。