2007年7月22日礼拝説教要旨
ヨハネ6:1〜15
「全ての人が満たされる」
古屋博規牧師
「全ての人が満たされる」
主イエスの奇跡物語で、四福音書に共通しているのは、ただ一つ、このお話だけです。
ガリラヤ湖の向こう岸に渡られた主イエスに大勢の群集がついてきました。病人になさった奇跡を、誰もが自分自身にもと期待していました。
主の福音は誰にも効く万能薬のように、全ての人々が満足するものであることを指しています。
主は山に登りますと、人々も近くから遠くから主のもとに近寄り、座って話を聞いていました。人々の期待を感じて、主はフィリポにどこからパンを求めようかと尋ねると、フィリポはすかさず、ここに200デナリオンあっても足りないでしょう、と応えます。
おそらくは、彼は「もしものこと」を想定しています。主イエスも、彼がどんな返答をするかは、予想通りです。
一方、フィリポはどうせ足りないのなら、残るべき人が残り、そうでない人を帰らせて満足しましょうと働きかけます。
さらに、ペトロの兄弟アンデレは、5000人にもおよぶ人々の中から差し出したこどもの魚とパンの小ささを引き合いに出して、それが何の役に立つでしょうと問います。
フィリポは、アンデレの様に計算高く結論を出すことは出来なくとも、絶対無理と見える徴で結論を出そうとしているのです。
そこで、主イエスが示されたのは「人々を座らせ」なさいとの命令でした。人々は命じられるままに草の上にすわります。主イエスはパンをとり、感謝してから座っている人々に分け与え、望むだけ与えられました。全ての人は、直接イエス様が与えて下さるパンと魚を分かち合うと、全ての人が満腹しました。そして、残ったパンくずを集めると12のカゴが一杯になりました。まさに奇跡です。
主は人間の問題のただ中に、人間の重荷を背負い解決下さる約束をここに立てました。それは父なる神にすべてを委ねていることです。
人のなす業には、満足の行き届いたものがありません。ところが、主イエス様の準備された、この奇跡こそまさに、「全ての人が満足」するのです。