2007年7月15日礼拝説教要旨

ロマ6:8〜11

「神に対して生きる」
 古屋博規牧師



「神に対して生きる」

人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩整えてくださる。
箴言16:9と聖書は、私たちの一人一人の計画に神が関与して下さると証します。

脳を鍛えるというソフトを開発した東北大学教授、川島隆太さんは、自分の発明で開発したソフト1200万本の売り上げで、 4億4千万円を企業からいただいた。 そして、その全額を研究費にし、これから、いかに健康を保つかの情報を研究するそうです。
川島先生は、人の脳のうち前頭前野といわれる額の直ぐ後ろにある場所が重要であり、創造することも我慢することも、 ここからわき起こっている情報によって活性可が出来ることに着目しました。 そして、ただ放っておくと、抑制できなくなり、さまざまな老化を起こしやすくし、形骸化するといいます。

使徒パウロは、ローマの信徒たちがすでに洗礼を受けたままでなく、キリストに接木されなければなりませんと訴えます。 あなたは信じた。洗礼をうけたそれで十分だ。あなたは今新しい命に生きている。

私たちには目に見えない世界があります。
そこでは人間の魂を獲得するために戦いが行われています。 今目に見えている以上の存在です。この世でとるに足らない小さなものもそれぞれに神様の天使がついています。 だから決して軽んじてはいけないのですと、主イエスは語っています。 見えない世界、それが私たちの本当の姿です。

実は、洗礼にも形骸化させる要因があるのです。

本来、洗礼を受けるということは新しい神様の働きかけの中にあります。 この働きかけの中で生きていることが新しい命に生きているということです。 新しい命は自分の中に見出すのではなく、自分を包み込んでいる見えない世界の中にあります。 洗礼を受けてわたしたちは新しい命を受けました。洗礼は私たちを主イエスの死に結びつけ復活に結び付けます。 キリスト者になることは、キリストとともに死にキリストとともに生きるということです。

神に向き合うということは、馴れ合いになることを抑制します。 旧約聖書が、人間の罪を問い、神様が「アダムよ、あなたはどこにいるのか」と。 見失っている者を引き戻すように。 今日私たちがもし、神のごとくになっていたら、蛇に簡単に心をゆるして礼拝を軽んじてしまい、それを形骸化させても、 精精、実は誰かのせいにしていることで終わっているのです。

キリストが私たちのために死んで復活なされたことに深い感謝の思いを捧げましょう。