2007年6月24日礼拝説教要旨
ルカ15:11b〜32
「逆さから見つめて」
古屋博規牧師
「逆さから見つめて」
先週の北支区教師会で、ムラサキスポーツ会長・JTJ神学校理事長の金山良
雄さんをお招きしました。
母国は日本。祖国は韓国。日本と韓国の国籍を持つ方で、現在74歳。
毎日ローラーボードで筋肉を鍛え、週二回上野公園でホームレスの方々に焚きだしをしています。
明治学院大学を卒業した当時、日本の世の中は“第三国人”は就職できない状況であった。働ける世界は「水商売」。
心はすさみアルコール依存症となり、何度も自殺未遂を繰り返しました。この中で回心体験を経験しました。
人を恐れず、神を恐れることを学びますが、神学校へ行くも肌が合わずに挫折。牧師を助ける事業家になることを決意されました。
信仰の実践は、「ヤコブの神」が好きである。ヤコブは必死になって神に求め続けた。
聖書の原点は、主を求めることであろう(詩116編)。行いの伴わない信仰はダメである(ヤコブ1:22~25)。
行いとは神の戒めを守ることだ(マルコ12:28~31)。全力で主を求め、神の命令には絶対に従う。
このような歩みの中で、「祝福は、上からではなく下から来る」とお話下さいました。
主を求め従うとき、差別を受けていた者が、このように祝福される。しかし、すべてがうまくいくわけではない。
六人与えられた子供たちの中には、二人の重い病を患う者がいる。この点で刺が与えられている。そう信じて証しておられます。
◆金山さんは、神さまの祝福は下から来るという逆さからの視点を見逃さないで、神様から与えられた刺を祝福と思い見つめ直すことを大切にしています。
今日の聖句は、まさに放蕩三昧を尽くして、更に異邦人が食しているいなごまめを頂き、もう一度これではダメだと父に雇い人の一人にしてと決意するのです。
私たちの視点を、ルカ福音書は100匹の一匹の羊、10枚の銀貨の一枚、大切なもう一人の弟が失われたところから見つけだされるという、律法学者、
ファリサイ人の罪人と共にいない世界でなく、神様から遠くかけ離れた人に目を留めさせます。
◆放蕩の限りを尽くした彼は、生前父から離れてしたい放題、父の思い通りでない生活に生きようとする彼の決心に、敢えて父は、賛同し、
財産を分与するのです。何にどう使うかなど、一切構いません。それが父の振る舞いです。逆さから見つめます。
一度投げ出したら、惜しまないでささげます。それが御子キリストへの愛です。
弟は、失敗の連続で財産を使い果たしてお手上げで父の元に雇い人・僕として生活させてと、永遠の管理者である父に申し出ようとします。
しかし、父は兄の思いを認めつつ、温かい眼差しで回復の手だてを取られるのです。
◆どんなにいたらない息子でも、無償で回復のための憐れみを注ぎ続けて、見放されている者を先ず救い出そうとなさるのです。