2007年6月17日礼拝説教要旨

Uコリント12:7b

「我が恵、汝に足れり」
 吾妻教会 上林順一郎牧師



「我が恵、汝に足れり」

「我が恵、汝に足れり」というこの言葉は、聖書の中でモーセが聞いた言葉です。
旧約聖書の中でも、最も偉大な指導者であり、最も偉大な預言者モーセがイスラエルの民を率いて四〇年間、ようやく辿り着いたのがヨルダン川でした。
ヨルダン川の手前、異郷の地に到着したモーセは、そこであるとき神様の声をこう聞いたのです。

◆自分の信仰に命をかけるという、そのような激しさ、情熱、誠実さというもの、これが宗教や信仰というものを語り続ける力になるからです。
しかし同時に、殉教を勧め、殉教を強調する宗教や信仰というものは、私たちの日常性や平凡で小さな信仰しか持てない者の信仰を軽視することにもなります。
六年前、甲状腺乳頭癌という診断を受け手術をました。最初の手術はうまくいったということでしたが、二日後に、再手術をしなければならなくなり、夜遅く緊急
の手術をするため中央手術室に運ばれました。その時、二度あることは三度あるという悪い予感が頭に思い浮かんだのです。
その予感通り、翌日、三度目の手術になりました。
深夜に、高い熱が出ており三回も手術をするということで、最後かもわからないなという、もっと悪い予感がしました。
率直に言いまして、私の人生で最大の危機とも言うべき瞬間でした。ですから精神的にも非常に動揺していただろうと思います。
その時、「これでいよいよ最後かな」という不安の中で、私は一つの声を聞いたような気がしたのです。

それは、「我が恵、汝に足れり」という言葉でした。

その言葉を聞いた後は、何となく気持ちが穏やかになりました。

◆「我が恵、汝に足れり」、この言葉は聖書の中でもう一回使われていますが、それはパウロであります。
パウロは、いわば、キリスト教の出発者であり、パウロなくしてはキリスト教はないとさえ言えます。
コリントの信徒への手紙第二の十二章には、「わたしの身に一つのとげが与えられました。
それは思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。
この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました」と、あります。
何か辛い病気を得ていたパウロは、その痛みの激しさ、苦しさの故に、この痛みを、この病気を、この苦しみを取りのけてくださいと、
三度も切に祈ったようであります。
そのときにパウロは、「わたしの恵みはあなたに十分である」という声を聞いたのです。
このパウロの最後は一体どのような最後だったのでしょうか。
聖書はそのことについて何も触れていません。伝説は、パウロはローマで殉教の死を遂げたと伝えております。

◆極めて日常的で当たり前の、そして特別でない、そうした伝道、宣教、牧師としての日々として描かれているところに、私は自分の最後を重ね合わせて
考えているわけであります。