2007年6月3日礼拝説教要旨

ヨハネ3:9〜15

「教師でありながら」
 古屋博規



「教師でありながら」

 教師でありながら ニコデモはイエスに尋ねようとして、人目を避けて近づきます。
そして神の国に入るためには新しく生まれなさいと呼びかけられます。
彼はすかさず、どうしてそんなことができますかと問いかけます。

◆彼の学びは、神の国に入ることです。
真面目な指導者としてイエスを神から来られた教師として認めながらも殻のかたいニコデモに、はっきりと、
ヨハネ福音書では徴を見て信じるのでなく、新しく生まれる事、新しい人間になってだけイエスの奇跡を、しるしとして見る事ができます。
そこでもう一度アーメンと言いながら、教師でありながら生まれかわる事を求めます。
生まれるということは、自由な意思の選択でなく、生まれてくる、人の力を超えた、二度と繰り返さない出発点に立つ事を勧めています。

◆ニコデモは、生まれるを連続変化として考えていたのに、イエスの教えは、新しく生まれるのは人間の生き方・考え方の根本的な変革をしめし生まれたままの人間が、どんなに知識を重ね教養を積んでも、古さを飾り付けているだけなのです。新しく生まれるのは、今までの人間の生き方にプラスすることで良いのではなく、方向転換することです。この変化は量的でなく質的な変化です。生き方目標が180度かわるのです。肉からでなく、霊から生まれる生き方です。生まれながらの人は自分を求めます。そこに霊から生まれることを求める風に従うように新しく生きる希望が与えられます。ニコデモは水と霊から生まれることを示されました。

◆アマゾンの蟻:アマゾン川は雨期になると大雨で大洪水を起こします。この流域の蟻はこの洪水を犠牲的に協力すると言われます。
洪水の濁流で、蟻の巣が壊されると3万匹の蟻がラグビーボールのように固まって水に流されながら半分は上に半分は下になりながら呼吸します。
そして何キロも流されて安全な土地に着くのです。
わがままを通して自分さえよければという考えではその自分までも滅んでしまいます。互いに犠牲を払う中で互いに生きる事が出来るのです。
自分がしてほしくないことは他の人にもしない、そういう精神こそが真に人を生かし、また自分も生かされるのです。

 教師であるニコデモに示された主イェスの生き方は、まさに悲惨さを示す現代に生きる私たちへの新しい呼びかけです。
 いつ、如何なる時も生まれかわることの出来る秘訣に私たちも、運命的な出会いが出来るように主イェスは待っておられます。