2007年5月27日礼拝説教要旨
使徒言行録2:5〜18
「夢と幻をつなぐ」
古屋博規
「夢と幻をつなぐ」
今日は主イェス・キリストが復活された日から50日目をさすペンテコステです。
弟子達が集まっている家いっぱいに聖霊が満ち、彼らは、自分の生まれ故郷の言葉で話し始めたと聖書は記しています。
朝の午前9時に、ユダヤの暦で世界中から七週の祭りのために集まっていた巡礼者たちは、はじめ、酒にでも酔っているのではと思うほどに、流暢な郷土の言葉が甦って来たのです。
◆ペトロはこの事実を預言者ヨエルの言葉から聖霊の約束として受け継ぎます。
それは復活の主が与えた新しい力として彼らを押し出したのです。多種多様な言語がイエスの約束されたことの成就でした。
「真理の霊が来るとあながたがを導いて、ことごとく真理を悟らせる。ヨハネ16:13」
キリストの歴史は、キリストが天に昇り、聖霊の降臨で終わるのでなく、神の民のこころの中に、信仰の歴史の中核として隅々を生きる者とされました。
「風立ちぬいざ生きめやも」は、堀辰雄の訳詞です。
日経新聞の「私の履歴書」に、茶道家の小堀 宗慶さんが、シベリアに4年間、抑留されていた、辛く厳しい時代のことを書いておられます。
幸せを享受してきている時、本当の意味では、その人の姿に理解しがたい厳しい世界があります。
小堀さんは、疲労困憊し、自分の身をどう処すればいいのか、考えることもできずに自暴自棄に過ごす日が続いていたある日、長い冬を耐えて花を咲かせた一輪の花に「花の形をした勇気」をもらい、生きる力をもらったとしています。
そして堀辰雄の「風立ちぬ いざ生きめやも」の言葉を思い浮かべたと言います。
「生きめやも」という文語的な表現は、元来は反語の意味をもつ。
しかし、作者がフランス語の副題、ポール・ヴァレリイの原詩をつけているところから、「生きることを試みなければならない」という積極さを示しています。
◆ペトロは、「この方がたは、あのヨエルの預言通り、老人も若者も生きる事に積極的なのです。」と人々に証言しています。
それが、若者も老人にもビジョンとして示されます。「わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ使徒2:18」
夢も幻も意味するのは、人の齢を感じる時です。
まさに、強さでなく新しい力を待ち望む私たちを、主はつなぐのです。
「若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが主に望みをおく人は新たな力を得るのです。イザヤ40:30−31」
失いかけた望みを、主は再びつないで下さったのです。