2007年4月15日礼拝説教要旨「こころの扉を開けて」
ヨハネ20:19〜29
『こころの扉を開けて』
古屋博規
『こころの扉を開けて』 主の復活の
朝、マグダラのマリヤは墓で主にまみえましたが、その夕方
弟子達は家で主にまみえる場面です。弟子達は、鍵をかけ、だ
れにも気づかれないような、まるで息を殺して災難の降りかか
るのを避けようとしています。ユダヤ人の迫害を恐れて家の戸
を閉め切ってひそんでいます。十字架のイエスに従っていた弟
子たちということで、彼らの行く末は軟禁状態です。体は動い
ても 何か取り付かれたような姿です。精神的にも失望落胆で
す。復活の主は、こうした弟子達の閉じられた心に「あなた方
に平和があるようにと。」と入ってこられました。
◆平和はエイレーネというギリシャ語です。これはシャローム
というヘブル語が訳された挨拶の言葉です。ルカ福音書24:
36−49と比べると、主はご自分の手足を示して 一緒に食
事をするという以前と変わらない場面を復活の徴として示すの
に対してヨハネでは、未来に向けて扉をひらくのです。
ヨハネによる福音書は復活のその日の夕方天地創造の第一を光
の創造から始めたように、ヨハネは弟子達に三日目に甦ると約
束された主の言葉通りの姿を見せます。主に扉が開かれること
によって果たされる事は、平和の挨拶をお互いに与える事です
。喜びを与えられることです。
◆1)まるで、ノアの洪水がひいて渇いた大地についた箱舟の
扉が開かれるように平安と喜びに満たされ使命が与えられまし
た。
2)復活のイエスは、弟子達に平和があるように、 父が私を
おつかわしになった様に私も遣わす、と言って弟子達に聖霊の
息を吹きかけました。 復活の主の息が弟子達彼らの心を開き
、聖霊を受ける為に人々は風を受ける帆の繕いをするようにと
、誰の罪でも赦さずにおく罪はそのまま残ると、全てを疑り深
いトマスに見せます。彼は自分の罪深さと、にもかかわらず、
どこまでも赦そうとされる主の深い導きに、人間の窮め尽くす
事の出来ない深い神の恵みを知りました。
◆トマスは見えないものを見て見なければ信じられないと主張
してしまった態度を受けとめて、主は、トマスの手をその跡に
入れなさい。と導き、信じない者ではなく、信じる者になりな
さい。と勧められました。トマスは、「わたしの主、わたしの
神よ」自ら頑なであった心を、告白とともに開いたのです。こ
の叫びは、人間のはらわたからの叫びとして、主に結ばれ、主
の平安に導かれました。
不信感に閉ざされ、誰とも接触を持たず、他人の思い通りに
はなならいと宣言した、トマスの全てに信頼を寄せて近づかれ
る復活の主が、今、私たちにも働きかけてくださいます。