2007年4月8日礼拝説教要旨

マタイ28:1〜10

『喜びを伝えて』
 古屋博規



  イースターおめでとうございます。

死は全ての人が直面する冷徹な現実です。イエスこそ神から遣 わされたメシアと信じ、イスラエルの王座につくことを、つい 先日まで期待していた弟子達でした。
 しかしエルサレムで起こった金曜日、主が苦しみに合われた 出来事は大きな衝撃でした。まさかあのように自分たちの救い 主が殺されていくとは想像できません。むごい処刑を受けて全 く無力な敗残者の様にイエスは世を去って行かれました。残された者にとって、この悲劇的現実を受け入れるほかありま せん。

◆イエスを慕い、深く愛していたマグダラのマリアは安息日の 禁令が解かれるのを日曜日の朝まで待ち、まだ夜が明けやらぬ 間にイエスをお納めした墓にもう一人のマリアと出かけました 。すでに香油は塗られている状態ですので、復活を確かめるた めに墓を見に来たとしるしています。
 土曜日が終わって日曜に、ユダヤの安息日は土曜日あけた日 曜日が、主の日となりました。マタイによると、復活それ自身 を婦人達が見たというのでなく空であったということを、マタ イでは主の天使が下って そこへきて石をわきに転がしその上 に座った。復活を動かす事の出来ない事実として述べています 。

◆復活は見る事は出来ない。マタイは復活を確証して証拠固めをします。イエスの復活を、ある意味で歴史的な事として現実 的な確実な事として示しています。その天使は稲妻のような輝き、衣は雪のように白いと強調します。神の側から、復活はす でに起こった事として あったことを受け取るか否かだけが問われています。信仰は獲得するというものでなく、気がついた ら信じていた、神の力が私たちに働かれるのです。

◆一度は逃げ去った弟子達も、主の復活を伝え始めました。 かつては取り乱し気落ちしていました。この渦が自分たちに押し寄せない ようにと身を隠していました。しかしその様な不様な姿から、教会は発展します。キリスト教の戦いは2000年この復活をめぐる戦いです。復活に根拠があるからです。婦人達は恐れながらも大いに喜びました。ただ嬉しいだけではなく、恐れを持ってしか考えられない信仰の一番の基本的な自分の生活を根本から揺り動かす出来事として受けとめました。立ち去ろうとすると、先ずイエスがお早うと挨拶します。本来は喜びなさいです。喜びなさいとは、苦しみから解放された御顔を臨終の床に見 る様に、苦しみが解かれています。私たちは人は死んだらおしまいと思います。わたしに復活の望みがなかったらどうすることもできません。主の復活によって私の人生はうつろでなく、断ち切られる事でもなく、罪人であってもその時に、主は共感して、私はあなたを知っていると婦人達を励ますのです。
聖書 一ペトロ4:13
むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。

?コリント13:11
終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。