柴田奈美著

『正岡子規と俳句分類』                    橋本 直

 いわゆる作家・作品論を進めるにあたり、ある作家が、先行する諸作品、様々な言語表現あるいは事象から影響を受け、発想や言葉や形式などを借りて創作し、独自性をあらわす経過を追いかけることは当然のことだが、その作家の作品の一つ一つについて何から影響を受けて成立したものかを完全に確定した上で、典拠との差異に基づいて作家の努力の営為や作品の独自性を明らかにすることは、なかなか困難な作業であるはずだ。それが俳句という最短の詩形であればなおさらのことであり、「てにをは」の言い回しや用語の選択が似ているくらいでは影響関係の確認は不十分であり、その作業は困難をきわめるだろう。ただ、正岡子規という俳人においては「俳句分類」という膨大な読書の記録といってよい仕事を残していること、彼自身がそれを創作の土台としていることがあきらかであることから、それを参照することによってある程度までは正確な検証作業が可能であろう。

 本書は平成十一年に提出された氏の学位請求論文を改題・修正し出版されたものである。序論によれば、従来まとまった形で行われたことのなかった子規の句(本書では『子規全集』の句のうち「寒山落木」「俳句稿」「俳句稿以後」に収められた一万八千百九十一句を対象としている)と『分類俳句全集』との関連性についての研究をしていくという膨大な作業を経ることで、子規が近世俳諧の流れをいかに受け継ぎ、またいかに明治の俳諧を革新しようとしたのかを子規の俳論を視野に入れつつ具体的に明らかにすることを目的とするものである。

 本論は二部構成となっている。第一部では子規の俳句分類作業の契機と分類法の発想について論じ、元々分類好きであった性向や師であった大原其戎の死後はだれにも師事せず古俳句を学んだこと、そして直接には漱石と「アイデア」と「レトリック」に関する論争を交わしたことが俳句分類作業の契機であったとする。また、分類の発想は「甲号」「乙号」「丙号」「丁号」それぞれに論じ、近世の類題発句集や古辞書、歳時記、維新後の諸々の新知識や新事象を参考にして子規が分類を細分化させていったことを述べる。これらの氏の論に異論があるわけではない。ただ、氏は明治初期の歳時記の分類法を参照されるにあたって横山利平『俳諧新選四季部類』、根岸和五郎編『太陽暦四季部類』萩原乙彦編『新題季寄俳諧手洋灯』、山内梅敬編『明治新撰俳諧季寄鑑』の四冊を例示されており、それらを綜合して子規の『分類俳句全集』の分類と比較されているのだが、この四冊のみ参考にされたのか、他書もあたられたのかがはっきりしない。明治期は子規が俳句分類にとりかかった頃まででも評者が知るところで他に能勢香夢『俳諧貝合』(明七、酒井文栄堂)、文豊斎蓼左『俳諧三千題早引略解』(明四、須原屋茂兵衛等)、浜真砂『明治増題俳諧新部類』(明一三、藤森平五郎)、山口素揚『古今新撰式部類大全』(明一五)、花月園為麟『新選俳諧明治歳時記講義 乾・坤』(明二五)など、いくつかの歳時記や類題集が出版されており、これらの分類を一々確認したわけではないが、子規が参考にした可能性がある歳時記はもうすこしあるのではないか気になった。

 第二部では俳句分類作業を基に子規の作句法とその典拠との関係を論じている。明治二十四年までを習作期としてまとめて論じた後、二十五年〜三十五年までを大きく四期(二十五〜二十七年を「模索期」、二十八〜三十年を「確立期」、三十一〜三十三を「発展期」、三十四〜三十五年を「悟入期」とする)に分け、基本的に同じ章立てで一年ごとに論じている。すなわち、子規の俳句と梅室(二十五年)、芭蕉(二十五年以降各年)、蕪村(二十六年以降各年)、古句(二十五年以降各年)との影響関係の洗い出し、子規句の独自性の指摘である。したがって、原稿用紙にして二千を楽に越える本書の紙数の大半はこの第二部に費やされ、さらに「俳句分類」を軸にして、各期各年における用語、語の取り合わせ方、句の構造、発想、子規の見いだした新素材などと芭蕉・蕪村ら先行する発句との類似影響関係の指摘をしたあと、そこから浮かび上がる子規句の独自性を写実的な句と観念的な句などに分けて検討されている。そのような視点から改めて子規の句を見直すと、従来の鑑賞にはなかった発見がありなるほどと思わされる。非常に多くの句をとりあげ、それによって論の実証に力を持つ本書から、一つだけとりあげると返って説得力が無いようだが、「雪ふるよ障子の穴を見てあれば」(明二七)の句について、従来の解釈を四例引かれた後、これらは実景を詠んだ句としての解釈であったが、子規が初学の時影響を受けた桜井梅室の句や「俳句分類」の句をふまえると、単なる実景のみの句ではなく、近世俳諧の「詩語」としての「障子の穴」を念頭に置きつつ子規が句作したということになり、「古典俳諧のイメージの世界にも、遊んでいたのではないだろうか(二七七頁)」と推測されている。従来たんなる写生句のように見えていた句も、「俳句分類」の作業を通して見ると、先行する諸作品のなかでの語の用いられ方をふまえ、それらとの共通性と差異性のなかから子規の句の方法の独自性が読みとられていくことになるわけであり、また、子規は革新的な作品を作っても公表には常に慎重であったこともあきらかにされ、前述した本書のねらいである、子規が近世俳諧をいかに受け継ぎ、またいかに明治の俳諧の革新を実践したのかを確かに読みとることができる。

 いわゆるインターテクスチュアリテの実践とは一線を画すものの、氏の研究方法はこれにまたがるように思われる。本書は「俳句分類」という膨大な作業を丹念に後追いすることで、子規のたどった道程を再現することに成功しているといえよう。これまで試みられることのなかったその作業の遠大さには畏敬の念を表したい。しかし、一方で、このような方法で子規の句を論じることは「俳句分類」及び俳諧・俳句に絞られて閉じていくものではないはずである。氏も慎重に目を配ってはおられるが、和歌漢詩から同時代のメディア等々、際限のないような先行する諸テクストの網の目のうち、本書は、子規自身がかけた網によってさかのぼることが可能なもののみを取り上げたともいえるわけで、その意味では本書からさらに縦にさかのぼり、横に広がる網の目をより広げていく作業と、先行する作品としての子規の句と後の人々、例えば虚子らの句との関係の研究が期待されよう。

                        (二〇〇一年一二月二〇日 思文閣刊 五六四頁 一八〇〇〇円)

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