荻原井泉水の自然観 山頭火のバックボーン(2)
荻原井泉水はそれが原因で落第したことをきっかけにドイツ語を本格的に勉強しゲーテに出会ったと「私の履歴書」(『源泉』昭和三五)のなかで書いている。この経験が井泉水の処女出版である『ゲーテ言行録』(明治四三。後に『ゲエテの言葉』として増補修正)というゲーテの抄訳へとつながっていくのである。このゲーテの影響について井泉水自身以下のように述べている。
「ゲエテと俳句と、この突拍子もなく無関係のものが 私の心の中では融和されていた。ゲエテの自然観、人 生観、詩、ことに短詩(エピグラムメ)からの示唆が 私に日本特有の俳句というものの精神に新しい感度を 与えた。」(「私の履歴書」『原泉』昭和三五)
俳句の精神への「新しい感度」とはどのようなものであったろうか。井泉水がゲーテの著作をすべて読んでいたかははっきりとはわからないが、邦訳されたものを見ても、ゲーテのテクストに多く見受けられる表現と井泉水のテクストとの共通点を見つけることは比較的容易である。以下恣意によって抜き出すと、
あいだに(エピレマ)
そうだ 自然との観察に関しては「一と全」とに眼を注げ内にあるものもなければ 外にあるものもない内がそのまま外なのだ(以下略)
最後通告
そこで最後に僕はいう自然には核もなければ殻もないみずからを調べてみれば核なのか殻なのかわかるでしょうと(中略)だれがふざけてなんかいましょうか自然の核は 人の子の胸のなかにあるのです(詩集「神と世界」1827)
私は内なる自然をその本性のままに生かし、外なる自然をその特性のままに私のほうへ流入させようと決 意していたが、そのために私は不思議な力を得ることができた。(中略)私は自分の内面をそれと無縁なものからすべて解き放ち、外部を親しみを込めて眺め、人間に始まって下は頭の中で理解できるにすぎないものまで、ありとあらゆる存在をそれにふさわしいやり方で私の上に作用させようと努めた。こうして自然の一つ一つの対象とのあいだに摩訶不思議な親縁関係が生じたばかりでなく、全体として親しく睦みあい、心を和することができるようになったので、眼にする村々や景色が変わろうと、昼夜や四季が移り変わろうと、その他どんなことが起ころうと、すべての変化は私の心の奥底に深く触れた。画家の眼が詩人の眼に重なり、河のやさしい流れが息づかせている美しい田園風景は、私の孤独癖をつのらせ、あらゆる方面にひそかに観察の眼を向けてゆく私の心の支えとなった。(『詩と真実』第三部第十二章)
(以上、傍線はすべて引用者。なお、引用文は高橋義人訳ゲーテ著『自然と象徴』〈冨山房、1982〉によった)
これらゲーテの詩文に多く見受けられる自然と自己の一体感についての表現はたとえば井泉水の以下のような文章
日月星辰、山川草木を指して人は自然と云ふ。(中略) 自然に対して我々が森厳な感激を覚ゆる所以は、所謂、自然現象として眼を娯ましむる外形ではなくて、寧ろ其の内部に存する自然の実相である。此の自然の内部に私は凡ての概念に曇らされない大きな生命の根源を見る。我々人間の生活は、此の大きな生命の分派に他ならない、而して我々の生命が此の根源たる生命との交融を感ずる所に、自然に対しての憧憬親和を覚ゆるのである。我々は自然をじつと見る事に依り、自然の心を感ずる事に依つて、我々の生命を真純ならしめ、其れを生長せし得る。(中略)自我其ものの姿中に大きな自然の愛と抱擁性と、平安な心とを体し度いものである。此場合に、自然といふものは自己の外にあるのでなくて、自己の内に存するものとなる。自然と自我といふものは二つのものではない、かうした境地に立つた時に初めて詩が産まれる。其詩は自然を描写したものであると共に、真に自己を表現したものといふ事が出来る。 (「新しき俳句の使命」大正七年八月。傍線はすべて 引用者による。なお引用文は適宜常用漢字にあらためてある)
このように両者の引用の傍線部を見比べていただければ、その自然と自己の関係の捉え方に共通性を見いだせるだろう。 このように、井泉水の自然観は、例えば芭蕉「造化に随ひ造化に帰れ」を違和感無く受け入れられる日本人に身についている伝統的な自然観にゲーテの自然観が融合したものであった。さらに大正期の思潮である自由主義や生命主義の影響が合わさって自己・自由との三位一体の形態をとったと考えられるのである。 前号でも述べたように、荻原井泉水は、俳句の本質ついて以下のように述べていた。
自然、自我、自由此の三つの頂点に依って支へられ たる実践的思想が俳句の精神である。自然はどこにあ るか 自我の中にある。自我の姿とは何であるか 自由のこころである。自由の心は如何にして得られる か自然に随う事。此の三位一体の境地に私は俳句 の精神を見る。(「俳句の本質」大正七年八月 )
井泉水は、晩年の著作「自然・自己・自由ー新短詩提唱」(昭和四十七年十二月)においても、同様の主張を芭蕉や土芳の言葉や経一説をひいて詳細に論じている。そして、植物を例に挙げ、以下のように述べる。 松はその松の木のあるべきように枝をのばしている、竹はその竹のあるべきように葉を茂らしている。外から拘束されてはいない。その内部からの生命がそのあるべきように伸びてゆく。と言って、むちゃくちゃに、勝手にはびこるのではない。「自然」の節度を もって、松は松竹は竹としての「自己」の個性によって生存し生長する。これが「自主」であり「自在」である。それを私は「自由」と称するのである。 (「自由」『自然・自己・自由』昭和四七年)
晩年の論とはいえ、自然と自己と自由の関係のありようを植物に喩えているのは象徴的である。これを動物、例えばネズミにでも置き換えれば、このような整った比喩にはなるまい。井泉水は俳句において自然を詩性の獲得の対象とすることは宗教性を帯びざるを得ない、つまりは「道」となるものであるととらえていた。
俳句は単なる詩ではない、俳句の道である。それは自然を詠うべき俳句の短い形が、外に向かつて描写的に広がる事の出来ない為め、自然の内へ内へと潜入した末に、自然と自己とを結び付ける宗教的情操に近く掘り下げられたからであるとも云える(「我々は斯く信ず」(大正八年四月)
「描写的に」外へ広がることを志向することはすなわち散文を志向することであり、俳句という短詩の制約のなかでは「自然の内」への志向は必然のものと考えていた。この論を背後で支えているのはいうまでもなく自然と自己との融合であり、「自然の内」はたやすく「自己の内」へと変換される。これこそゲーテから得た「新しい感度」ではなかったろうか。それは「宗教的情操に近く」なるのであり、やがて仏教の言葉が多く引用される。 この点については、井泉水の個人的事情もかかわってくるのだが、ともかくも仏教という伝統的精神世界に根ざすということは、意外なようだが「自由律俳句」はその精神においては一面において保守的で静的なものであるということを示している。自由律俳句と定型俳句に対して単純に伝統と革新という二項対立の図式に当てはめるのは誤りである。 自然を詠う最短の詩形の中で詩性を獲得するために、言葉で表現できない部分をどこから引っ張ってくるのかという問いに答えることは俳人に課せられた永遠の宿題のようなものであろう。そのいわば詩的言語としての俳句の言葉に形を与えようとした井泉水の思考の営為の結晶こそ、自然・自己・自由、三位一体の構造のなかで自然を捉えることであり、井泉水の工夫であった。本論の意図はその源流の一端に焦点を当てたものである。
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