近代俳句の周縁
一、〈豊かな時代〉の網羅主義―昭和八年刊改造社『俳諧歳時記』
私は生まれる前のことなので、実感としてはわからないのであるが、高度成長期より前の暮らしは、戦前のそれとそう大差はなかったそうだ。例えば戦後復興のスローガンの一つは、経済が安定していた「昭和八年に帰ろう」であったという(『「月給百円サラリーマン」―戦前日本の「平和」な生活』講談社現代新書)。高度成長期までの暮らしが大差ないのなら、おそらくは戦後の高度成長期以前の歳時・歳事に対する認識も、戦争や植民地等にかかわる部分を除いて、それ以前とそう変化はなかったであろう。このことは近代の俳句の展開を支えたものを考えるにあたって軽視できない。
さて、その高度成長以前の理想の世であった昭和八年に、改造社から『俳諧歳時記』が出ている。それ以前の俳句歳時記と一線を画し、百科事典的といっていい質と量の季語とその古書校注や季題解説、近世以来の例句が多く載せられている。各巻の項目数や執筆者は以下の通りである。
・各巻の項目数、担当者など。
夏(6月29日印刷・7月3日発行)1387項目 季題解説・実作注意・例句担当 青木月斗、古書校注 藤村 作
秋(9月9日印刷・9月13日発行)963項目 季題解説・実作注意・例句担当 松瀬青々、古書校注 潁原退蔵
冬(10月18日印刷・10月22日発行)789項目 季題解説・実作注意・例句担当 高浜虚子、古書校注 志田義秀
春(11月16日印刷・11月20日発行)863項目 季題解説・実作注意・例句担当 高濱虚子、古書校注 藤井乙男
新年(12月16日印刷・12月20日発行)828項目 季題解説・実作注意・例句担当 大谷句佛、古書校注 笹川臨風
補記1、季題項目総数4830。項目数は単純に目次の項目数合計である。但し、戦後版はこの数ではない。
補記2、虚子編に限って、巻頭に地方季語の執筆担当者(例えば九州に杉田久女)や虚子らの担当した項目数が書いてある。それによれば冬は692項目、春は778項目とあり、単純に目次上の項目数を数えると数が合わない。
・各巻共通の参考執筆者
時候・天文 国富信一(明治25〜昭和39。気象学)
人事 武田祐吉(明治19〜昭和33。万葉学)
宗教 山本信哉(明治6〜昭和19。神道史学)
動物 寺尾新(明治20〜没年未詳。動物学)
植物 牧野富太郎(ウィキペディアの項目等を参照されたい。)
この総花的方式の歳時記の系譜は後、高度成長期の角川『図説大歳時記』(昭39〜40)が出版されるまで唯一のものといっていい。最近角川はその後釜の歳時記を出したが、さて、このような百科事典的俳句歳時記のありかたは、果たして正しかったのだろうか。当時の流行思潮である「改造」をそのまま社名にした出版社が意図したものは、おそらく従来の俳句歳時記の「改造」であり、それはそれ以前とくらべ画期的であったという一点で半ば成功しているが、とにかく多少なりとも季節感のある言葉を集めまくったものが分厚い「歳時記」となって俳句にもたらされたことの功罪は、一度きちんと検証すべき問題である。
一つ思うことは、この仕事をした後の高濱虚子が、翌年すぐさま『新歳時記』(三省堂。初版昭和9年11月15日)を出しているということについてである。一応組織の総力を動員して各項目の執筆などしたものの、虚子は『俳諧歳時記』が気に入らなかったのではないか。例えば『新歳時記』の「序」の冒頭は、「一言にしていへば文学的な作句本意の歳時記を作るのが目的であつたのである」と書き出され、すぐに「季題の取捨」という項目が立ち「既刊の歳時記を見るに唯集むることが目的で撰澤というといふことに意が注いでなく」云々、と書かれている。これは前年にでた改造社の歳時記に対して、それが虚子の目から見れば「文学的」ではないことのあてつけではなかったか。『新歳時記』を編むにあたり、虚子には季語を辞書的に網羅するような本を作ったことへの彼なりの反省と、ただ季節感のある言葉と文学としての「季題」との差異を明確にしようとする意図があったわけだ。この推測が当たっていれば、二種類の歳時記を比較することで、虚子の文学としての「季題」と虚子にとって文学的ではない、ただ季節感のある言葉を峻別することが可能になる。それはまた、何が虚子俳句にとって「文学」的だったかを見極める可能性を示す。
最後に、『俳諧歳時記』に対して虚子のもった違和感についてである。70年ばかり時の過ぎた現在から見て、歳時記の質次第で俳句は相対的に変容したと言えるかどうか。検証するのは困難だが、面白い問題である。現時点において、季語が多すぎることが作句の妨げになっていると感じているのは、多分私だけではないだろう。たぶん俳句は「変容」したのであり、そのきっかけの一つは、この『俳諧歳時記』だったのではないか。なお、この本には戦前版と戦後版で異なる点が幾つかあるが、それついてはまたいずれ書きたい。
二、八〇年前の俳壇総覧 ― 昭和四年刊改造社『現代日本文学全集38現代短歌集 ・現代俳句集』
改造社「現代日本文学全集」のシリーズは、「円本」の名で知られ、この手の企画本の原点といえる。ここでこまかく紹介するまでもなく日本の近代文学史いや文化史において重要で、これと岩波文庫が貧乏作家に富と名声をもたらした(とまでいうと大げさかも知れないが)らしい。この「円本」誕生の経緯などについては松岡正剛の千夜千冊「松原一枝『改造社と山本実彦』に面白いことが書いてあるので参照されたい。
さて、この第38巻は短歌と俳句で一冊である。計543頁。巻頭に明治天皇と昭憲皇太后の御製を入江為守筆で載せ、作家一人一人の肖像写真(ときどき画)が入り、章末には掲載作家の簡単なプロフィール一覧(「諸家略年譜」)が付けてある。巻末には短歌史を斎藤茂吉、俳諧史を高浜虚子が執筆し、この一冊で明治〜大正の歌壇俳壇の代表作家をほぼ総覧できる体裁になっている。本稿では、作家作品の紹介ではなく、特に俳句側を中心に、その作られ方に焦点をあてたいと思う。
まず配列の方法について。先に書いたが短歌はそもそも冒頭の天皇の御製に始まるわけで、本編でもその流れで維新の功労者、御歌所派の歌人が並び、その後「浅香社」、「明星」、「スバル」の歌人等々が続いて、終わりのほうに「アララギ」の歌人がならぶ。すなわちほぼ文学史順とはいえ、「お偉い方々」を立てて、茂吉の内輪は後のほうに並べていることになる。
対して、俳句の配列は、まず旧派宗匠俳人が17人。次に「日本」「ホトトギス」関係俳人が85人。非ホトトギスの有季定型(「懸葵」「石楠」の大須賀乙字や臼田亜浪ら)10人。そして新傾向や自由律(「三昧」「層雲」「海紅」の碧梧桐、井泉水、一碧楼ら)33人。「秋声会」(巌谷小波、伊藤松宇ら)21人。文人俳人4人(万太郎、龍之介、三汀、犀星)となっている(ちなみに女性は4人しかでてこない)。俳壇史的流れに沿って冒頭には旧派宗匠がおいてあるものの、後はあくまで有季定型派が先で無季自由律派は後まわし。さらに秋声会や小説家のような趣味派?は最後にまわされてしまっている。いたって「ホトトギス」中心的で素っ気ない。そのころの短歌と俳句の有り様と、茂吉と虚子の歌壇俳壇における態度を反映しているようにもみえる。
さらに「ホトトギス」の中の配列を細かく見ると、子規の後に鳴雪がくるのはわかるとしても、その後が松浦為王、峯青嵐、渡辺水巴、庄司瓦全、虚子、西山泊雲、野村泊月、岩城躑躅……と並び、現在著名かどうかはおくとしても、年月日順でも、アイウエオ順でもない。子規以来の古参をたてた順かとみれば、阪本四方太や藤野古白、新海非風とかは後に出て来て、漱石や東洋城にいたっては最も後方である。初期ホトトギスは会員同人制ではなかったから、同人になった順も無理があるだろうし、この配列方法はちょっと謎である。なんらかの論功行賞のようなものだったであろうか。
次にページ割りについて。1人あたりのページ割りは、短歌俳句とも一ページから最大で三ページまでなのだが、三ページあるのは、短歌では落合直文、与謝野夫婦、白秋、啄木ら大御所や著名作家で、23名いる。それに対して、俳句はたった四人しかいない。すなわち、内藤鳴雪、正岡子規、高浜虚子、河東碧梧桐のみ。この四人だけが別格と言うことになる。二ページある作家も、村上鬼城、松瀬青々、石井露月、青木月斗、矢田挿雲、夏目漱石、松根東洋城、大谷句仏、大須賀乙字、臼田亜浪、荻原井泉水の11名しかいない。人数的にはずいぶんアンバランスで、いま名高い作家達も、ほとんど一ページしか与えられていない。このページ割りを意地悪く見れば、「載らない作家」→「一ページ作家」→「二ページ作家」→「三ページ作家」で俳壇の権威のヒエラルキー構造を構成図示したとも見える。さて、それはどこまで既にあるものをなぞったものか、この本で新しく生まれたものか。特に後者の観点はなかなかに興味深い。
ところで、巻末の短歌史と俳諧史であるが、冒頭、明治天皇と昭憲皇太后の歌を入江為守が書いたものが載っている以上は、斎藤茂吉の短歌の解説「明治大正短歌史概観」はこの二人から始まらざるをえないのだが、茂吉はこの短歌史を実に68ページも書いている。レイアウトが21字×24行×3段だから、単純計算で四百字詰め原稿用紙で約二六〇枚ほどにもなる。今時の新書にすれば、内容のうすいものなら一冊分くらいには相当しよう。
一方、虚子の手による「明治大正俳諧史概観」はたったの八ページ。これもまたえらくアンバランスである。本のタイトルが「現代俳句集」なのに「俳諧史」と書くところもまたアンバランスだ。短歌と違い皇室がらみの記事になるかならないかによる配慮の差があるとはいえ、この圧倒的な分量の差は、それだけでは説明がつかない。虚子は書くのを露骨にいやがっている。冒頭部で自分はこんなものを書くのは適任でなく、改造社がどうしても書けというから書くが、子規より後のことは「ホトトギス」を出ていった連中や外の派のことはさっぱり知らないので「名前を列記するだけでも、『ホトトギス』一派のみ詳しくならうとする傾きがある。私は努めてこれを避けたいと思つたが、しかし尚遂にその譏りを免かれ得ないであらう」とちゃっかり書いている。茂吉の大変丹念な仕事ぶりにくらべ、このような、人を食った書きようは、いかにも虚子らしい。
最後に、選び方について。この「現代日本文学全集」所収の俳人は、どういう基準で選ばれたのであろうか。おそらくは各有力俳人の推薦を編集部で集め、虚子が正否を決めたのではないかと思われる。というのは、ある子規直系の俳人を調査中、その人物の運営していた雑誌の記事で、井泉水が自分を「現代日本文学全集」に載るよう推薦してくれて喜んでいたのだが、結局載らなかったので納得がいかず、不掲載の理由を改造社の編集部に直接尋ねたところ、ある大家に反対されたからだと言われたと書いてあった。名前は伏せてあるが、井泉水の意向を蹴る権限のある「大家」となれば、まず虚子だろう。先に「この一冊で明治〜大正の歌壇俳壇の代表作家をほぼ総覧できる」と書いたが、あくまで「ほぼ」であって、作品の優劣ではなく落とされた作家は少なくないと想像する。
上記のように、文学全集の中に俳句をいれると、作り方はえらく権威主義的になったようである。この円本の後、戦後も各社が「○○文学全集」の類を続々出したが、いまや図書館と書斎の置物と化しているか、古本屋の店先の一冊百円均一のコーナーに売れないでずっとおいてある。もはや、このような企画が世に出ることは考えにくい。が、もし、昭和〜平成の俳壇の代表作家を総覧できる選集ができるとすれば、どのような方法がふさわしいだろうか。また、現在までの俳壇史の流れをどうまとめたものだろうか。
三、俳句の断片的データベース、あるいは大衆化する俳句の言語 ― 昭和六年刊立命館出版部『俳句表現辭典』
以前、週刊俳句で「十二音技法」なるものが問題にされたことがあったと記憶する。無責任ながら、その顛末は把握しないで書いているけれど、仮に色々問題を抱えるとしても、俳句の初学者にとって、十二音の「詩的」なフレーズと、季語を中心とする五音との組み合わせによって俳句をつくるというやり方、いわば、拘束的な変則の取り合わせ作句法とでもいうようなものは、たぶん有効でとっつきやすい作句の方法だろう。例えば、学校で学生・生徒が俳句を詠む場合。これまで何度か授業や講義で教え、また、全国から寄せられた学生の俳句を審査する機会を得た中で見聞してきたのは、おそらく一般に想像されるよりもはるかに(というか恐るべき、というくらい)コンサバティブで、かつ、類型的な用語と発想の表現の数々である。若い人の自由な発想、というこれまた類型的な物言いは、俳句がのっかっている言語の領域においては、まるで無効であると思わざるをえない。
このことについての問題は教員の側にもあって、おそらく多くの学校では、国語の先生も俳句はよくわからないと思っているはずである。指導書に従って五七五定型と季語と切れ字くらいは教え、教科書所収の何句かを鑑賞し、作品詠ませ、たまに伊藤園の新俳句などに学校単位で応募するというところまでやったとしても、その学生や生徒の作品を何を以て良とするかの判断基準をもてている教員は少ないだろう。学校によっては俳句をほとんど取り上げないところすらあるかもしれない。限られた条件の中で、学習者にできうる限り良い内容で俳句とは何かを理解してもらい、かつ、作品を鑑賞し、詠むこともするという中で行われる作句の指導の方法としては、冒頭の方法は、安直に見えるかも知れないが、やり方を絞り込む分、教えられる側だけでなく、教える側にも、俳句形式において日常の言葉を詩的に異化する面白さが見つけやすい、非常にわかりやすいやり方なのである。もちろんそれは俳句のすべてではないし、俳句と言葉を弄ぶ行為につながる可能性をもち、やや大袈裟に言うなら、俳句の内部だけでなく、俳句の置かれた文化的状況の変容をまねく方法なのかもしれない。その正否を云々するのは、ナンセンスだと思うけれども。
やや前置きが長くなった。昭和の初頭、虚子が「花鳥諷詠」を言い始めてそんなに立っていない頃に、すでに俳句をフレーズの断片の組み合わせと認識し、その組み合わせで作句するための手引き書的な辞典が出ている。松本仁編・巌谷小波校閲『俳句表現辭典』(昭和六年九月刊 立命館出版部)。俳句を取り合わせでつくるという発想自体は、芭蕉も弟子に教えていたことで、近代に始まったことではないけれども、作家のオリジナリティにはうるさかったであろう近代において、他の俳人が生み出したフレーズを気軽に引用可能なものをつくってしまうこと自体、とても図々しくユニークな行為である。
この本、背表紙のみ「編」とあって、あとは扉やら奥付やら、すべて「著」者となっている松本氏は、いまのところ詳細未詳。冒頭の「凡例」の中で、「近代俳句にあらはれてゐる樞要缺くべからざる語句」を集めたものだと自負しており、記述に従えば、その数は二千三百語。例句は二千五百句で、山崎宗鑑から新傾向(今で言う自由律作家の句を含む)までを網羅している。この「樞要缺くべからざる語句」は、別に「俳味極めて豊潤にして芸術的香気いや高き語句、及び、近代味豊かなる語句」とも書いてあり、要は人が詠んだ俳句の、気の利いたと著者が判断したと思われるフレーズを中心に、俳句で用いられた語をかき集めたものである。したがって、歳時記の類と同じように「クリスマス」「厄落とし」などの語とその語義と例句が載っているかと思えば、「落莫な風景」(とんとこのごろ落莫な風景でステツキの散歩 風間直得)とか「やがてかなしき」(おもしろうてやがてかなしき鵜船かな 松尾芭蕉)のように、フレーズの恣意的抜き取りによる立項がなされている。なかには分解した一句中の別々のフレーズを分けて載せ、その同じ例句をあげているものもある。これを批判的にみるなら、他人のふんどし(オリジナリティ)で相撲をとる、盗っ人猛々しい本というところか。好意的にいうなら、クリステヴァいうところのインターテクストとしての、俳句における表現の断片的データベース化の試み。
したがって、例えばこんな使い方ができる。あるページ(九四)を開くと、「ちゆしゆうや(仲秋や)」とあって、語義解説の後に例句「仲秋や院宣を待つ湖のほとり 高濱虚子」が載っている。同じページの他の語に、「除隊兵」とか「痴を尽くしけり」などがあって、そうすると、同じページの中の語だけでも、「仲秋や痴を尽くしける除隊兵」なんてそれっぽい合成作品をつくることができてしまう。これなら例えばご隠居のちょっとした寄り合いのような句会で、秒単位で作って自作として出すことができただろう。あるいは、あるフレーズをちょっとアレンジして、似て非なるものにすることもできただろう。また、ある俳人の詠んだ句のフレーズをこの辞書で引けば、先行する同じよう表現の用例がないかを確認する事もできただろう。
もちろん編者はそれらを、いや、それを目当てに本を買う者が数多くいることを狙っていただろうが、どの程度売れたかは不明である。図書館や古本屋であたってみた状況からみて、どうやらそんなに市中にでまわったものとは思えない。同時代の俳人達がこの本について何か反応したのかはわからないが、知ればまず眉をひそめたものだろう。けれども、この本は、明確に俳句を詠む大衆のニーズを意識しているし、上記「12音技法」にも通底するような、俳句のもつ特性を衝いてもいる。ただ冒頭のうたい文句の通り、俳人の文学的な表現を集めようとしたものでありながら、そのオリジナリティを打ち消すような役目を果たす辞典でもあり、作句における個の快楽、いわば、「文学」としての俳句の快楽への志向がない。そしてそれは同時に、例えば今でもCMのコピーや流行歌が遊びですぐ替え歌にされていくように、地口・俗謡的な言葉遊びの欲求への志向を強く感じてしまうものでもある。昭和一ケタの時代の俳句のすそ野あたりは、どのような世界であったろう。そのなかにこの本をぽんと置いてみると、なぜ昭和の頭にこの本が世に出たのかということは、案外奥が深いことなのかもしれないのである。
※本稿はウェブマガジン『週刊俳句』に不定期に連載したものに加筆、転載している。
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