俳句と川柳試論 橋本 直
一、「切れ」について
一般に、俳句と川柳/川柳と俳句についての識別については、両者の近接を問題視し、どう違うのかを説明しようとするようだ。まずそれぞれの発生から歴史を振り返り、またそれぞれのジャンルの典型・特質をとりあげて整理する手法がとられている。その代表格が俳句における「切れ」の重要性をその固有性の面から指摘した復本一郎「鬼」代表の「俳句と川柳」(講談社現代新書)であることは言うまでもない。今その論の中には詳しく入らないが、わかりやすく明晰な論の展開は大いに説得力がある。しかし、俳人、柳人ともに、諸手を挙げて賛成、という風になっていないのはなぜなのであろうか。発句と平句、付合という起源の違いに基づく特質(個性)の差、「切れ」の有無等々、「それは確かにそのように言われればその通り。でも、なにか納得がいかないんだよなあ」という声を聞かされるのはなぜなのだろうか。ずっとこのような疑問を持っていたし、自分なりにその答えを探している。本稿はその中間報告である。
先ほど復本一郎代表の「俳句と川柳」が俳句における「切れ」の重要性を指摘したと書いたが、この「切れ」が俳句の本質にかかわるものであることをいち早く鋭く指摘しているのが外山滋比古「省略の文学」である。外山はまず歌論書『八雲御抄』の「発句者必いひきるべし(以下略)」をひき、「和歌でいう切字が俳諧、俳句の切字へと展開していった発達の歴史などは専門家の論考に譲ることとして、ここでは切字の技法が内蔵している詩的可能性を中心に、俳句らしさの本質を追究することにしたい」と述べ、切字論が俳句の本質にかかわることを指摘する。この切字はもちろん切字を含まない「切れ」も包摂するもので、外山は切字のない切れを「ゼロ型式の切字」と呼ぶ。そのうえで、日本語の特質から生まれた短詩型の技法としての「切れ」について論は進んでいくのであるが、「切字の感覚は、漢字・漢文・訓点読み・書法などに普遍的にみられる分節化の機能に、意識的あるいは無意識的に刺激されて発達したものと考えられる。」というように、和文と漢文が混ざっている日本語の特質が最短の詩形にその短さに比して遙かに豊かな内容の広がりもたらす「切れ」という修辞法を生んだことを述べる。
ここで注目しておきたいのは、「切れ」が「分節化」という日本語のもつ固有性から生じる詩の機能であるという考え方である。外山は文中川柳については全く触れてはいないが、この考え方をふまえれば、川柳はそこに詩性を含むことを未来永劫一切認めないというのでない限り、俳句を川柳に置き換えても差し支えないのではないか。二〇〇四年六月十七日付の米澤新聞において、外山は「近ごろ川柳がおもしろいと思うようになった。若いときから俳句に関心をもって、つくってみたり批評を書いたりしたが、川柳はなぜかすこし低いように思っていたのである。それはいわば偏見で(後略)」と述懐している。今川乱魚『癌と闘うーユーモア川柳乱魚句集』を紹介する記事の中の一節であることを考えると、川柳についての「偏見」は素直に受けとめて良いように思われる。彼が俳論を書くときに川柳をはずしたのは論理的な理由に基づくものではないわけだ。
たしかに、歴史的背景をふまえた川柳論でいけば原則として「切れ」はない。しかし、日本語の短詩型文学の特質から言えば川柳に「切れ」が入ってきてもおかしくはないのであり、その意味では「切れ」のない川柳は詩的修辞を避け、あえて「切らない」のだということになる。すくなくとも、外山の理論はそのような示唆を与えるものだ。さて、現代川柳の作者たちは、あえて従来の「川柳」とされる文学のジャンルを守るためにそこにとどまって、「切らない」ことを選ぶだろうか。
短詩型文学全般に目配りの効く歌人荻原裕幸は、俳句と川柳のジャンルの定義のためではないと断った上で、575に詩、文学を問う現代の俳句に対し「現代の川柳とは、575というフォルム(ときに77というかたちもあるが)の中に何をどう盛りこめば、あるいはことばの質をどういった位相におけば、他者であるところの読者の感覚や感情や思想や信条などを大きくゆさぶり刺激できるのかを問いつづけているジャンルである。(中略)詩や文学という地点から見れば、川柳もまた詩や文学のひとつのジャンルであるともいえる。ただ、川柳自体は、詩や文学であるということをみずからの属性の一部であるとしか認識していないだろう。歴史からも詩・文学からも自由な領域に向かって、作家たちの世界観と日本語のパワーを頼りに、川柳は今日も限りなく増殖している」(「文学の彼方へ」『現代川柳の精鋭たち』北宋社二〇〇〇年七月)。と述べる。おおくの柳人の考えの代弁になってはいないか。荻原の言うように、現代俳句はあえて「文学」にとどまる。もはやおなじ範疇に川柳をとらえようとすること自体が間違っているのかもしれない。
二、ジャンル論の陥穽
俳句と川柳について、俳人の立場からその境界の識別について何かを書こうとするとき、多くの人がそれを(自明のこととしてか?)すっとばしているのだが、その俳人にとっての俳句とは何か、という定義が案外に曖昧である。例えば「広辞苑」(第四版)を引用すると、
はい‐く【俳句】
俳諧(ハイカイ)の句。こっけいな句。/五・七・五の一七音を定型とする短い詩。連歌の発句(ホツク)の形式を継承したもので、季題や切字(キレジ)をよみ込むのをならいとする。明治中期、正岡子規の俳諧革新運動以後に広まった呼称であるが、江戸時代以前の俳諧の発句を含めて呼ぶこともある。短歌と共にわが国短詩型文学の二潮流。定型・季題を否定する主張もある。
となっている。明治以来の俳句の百年を越える歴史の結果を辞書的に短くまとめればこうでも書くしかないのだろうが、何か例を挙げるまでもなく、「俳句」の範疇がこの説明の通りであると現代俳人のすべてが賛成してはくれまい。
ジャンル論の中でみれば、最もポイントとなるのは、子規の俳句革新を引き継いだうち、河東碧梧桐らが担った部分をどうするのか、ということになるのだろう。「季語」「切れ」「定型」を軸にしたところで、「俳句」を近代文学として措定すれば「俳諧の発句」「平句」とは違うものだ。しかし、どう違うのかの認識は結社あるいは俳人ごとに異なり、俳句界すべてで一致しているわけではない。今ここでそれがなぜなのかは問わない。要は「文学」のありどころが問題なのだが、その曖昧さは俳句のもつ特性ともいえよう。今俳句と川柳の境界面を見極めようと試みるなら、ここで俳句のありようについて立ち止まることも無意味ではないだろう。
俳句や川柳についてそれぞれの違いを由来から分析しカテゴライズしていくことは、「科学的」な行為であり、例えば、正岡子規の俳句分類もそのような知的風景の中での成果である。明治の世では、だからこそ説得力があり「近代」の文學としての俳句革新の力となった。現代ももちろん「科学的」な行為は、自己の主張を貫く方法として最も正しいものの一つであり、大いに説得力を持つ。しかし、子規の例でいえば、分類は分類に過ぎず、わかったことを受けてそこからどうするのかということは別の話である。子規の俳句分類は、子規の俳句革新とは無関係に、その成果に基づいて、より純粋な「俳諧」のみを探求するという方向性を持つことだって出来る。同様に、この「科学的」方法は発展や進歩の糧となる一方で歴史や伝統と容易に結びつき、発生起源に権威をおく行為となってその後の変化を軽んじ、排除する傾向を持つこともある。すなわち「○○でなければ俳句/川柳ではない」的な排他的識別を招く。このことは、俳句/川柳のオリジナリティを守るために必要な態度であるようだが、ではオリジナリティとはどこまで有効なものなのだろうか。さらに、そのオリジナリティを考えるにあたっては、俳句と川柳の区別を考える前に俳句と「俳諧の発句」との区別の曖昧さも浮かび上がってくるのではなかろうか。現在俳句に携わる人のほとんどは、「俳諧の発句」と「俳句」の違いを「写生」の導入の差程度で片づけて、日常的にはほとんど同一視し、そのことにあまり疑義を挟まないように思われる。芭蕉や蕪村の「俳句」とたやすく同じ土俵に上がってしまっているように見えるが、果たしてどうか。
昭和52年12月号の『俳句』(特集・俳句と俳諧)に、金子兜太と高柳重信の対談が載っている(「俳句にさぐるもの」)。このなかで、高柳は「多くの俳人のやつてきたことというのは(中略)俳句をやつているのだと言いながら、その実、発句もどきを書いていたじゃないかと・・・。」と述べて、自説を展開する。簡潔に言えば、ここで高柳は俳諧の発句を俳句の典型と見て技術的に何も新しいものを加えていない俳人への疑義を呈している。金子はその「技術」を云々することの難しさを指摘し、具体論へ足を踏み入れるものの、形式論から入る高柳と現状に即して語ろうとする金子の対話はどうにもかみ合わないままに終了する。 このような高柳の俳句と「発句もどき」への問題意識の背景には、前衛俳句の退潮の後に有季定型のみを俳句とし、その他は排除しようという状況が当時(今もそうだが)の俳句界にあったことへのプロテストであると推測されるが、
身をそらす虹の/絶巓/処刑台
友よ我は片腕すでに鬼となりぬ
のような、文学としての俳句を表現形式から考えようとした俳人高柳重信らしい姿勢であるといえよう。
例えば松尾芭蕉と同じ土俵に上がることは、確かに俳句という〈文学の快楽〉の一つである一方で、子規がとりあえずの定義付けを行った俳句を、名前だけもらって発句と違いのないものにしている状況への納得のいかなさは、現代でも少なくない俳人に共有されている問題意識であるはずだ。果たして我々は本当に「俳句」をつくっているのだろうか。「俳諧の発句」や「平句」のもどきをつくっているのだろうか?そして、高柳のような意識を持って作句に望んでいる俳人の句について、二句目の掲句「友よ我は〜」の句のように「俳諧の発句」のルールを基盤として扱った場合に不適格である作があったからと言って、客観的にあんたちのは俳句じゃないよと言ってしまって良いとは思えないがどうか。
そして、このような俳句の近・現代の営為を、数百年の五七五の定型詩の伝統・伝承の中に還流するにあたっても、このような曖昧さをもった俳句(あるいは発句)と川柳の境界について一見正当に見え且つ分かりやすく明示された境界線が、作品個々をその境界の外へ峻別する排他的機能をもってしまうことは短詩型の未来にとって決して幸福なこととは思えないのである。
俳句というジャンルを明晰に定義付けすることで俳句のオリジナリティを保証することは、子規の「俳句分類」同様に近代的な知の戦略に沿ったものだが、一方で高柳のような文学を追究するスタイルを排除し、俳句を伝統芸能化することへの保証を与えかねない。
三、俳句の基盤の脆弱化
重要な点であるとはいえ、ここまでややジャンル論に紙数を費やしすぎたかもしれない。というのは、実は問題は別の次元でもっと深刻化しているように思われるからだ。そもそも、今ある形での俳句形式が成り立つ前提は、軽重はあるにせよ、自己と他者の関わり合いと文化の共通理解である。なぜなら、言い切らないことで不安定な部分を読者が読み取ることが可能なのは共通理解の基盤を信じているからであり、だからこそ季語のように背後に重い歴史をもった言葉を用いての作句も出来る。しかし、すでにその前提はあやうい綱渡りをはじめている。
まず、よく言われていることだが、自然環境破壊との関わりについてである。例えばメダカのような身近であった生物ですらレッドデータブックに載ってしまい、温暖化によって四季の変化が奪われつつある。このように詠むべき対象は徐々にではあるが確実に失われつつある俳句に未来はあるのだろうか。あるいは、人事詠をもっぱらとするのか、それとも、京都にこもって吉野の桜や富士を詠んだ宮廷歌人のように、仮想の自然を詠うことになっていくのか。
そして、自己と他者の関わり合いの希薄化、いや、個としての実感の希薄化こそ、俳句の未来にとって最も危うい状況ではないだろうか。高度資本主義経済の中で自由主義や個人主義が展開してきた現代の日本にあって、本来確固たる社会集団の中にあってこそ、その中で明瞭になるはずの個人は、集団の意識・存在感の希薄化に伴って、個としての実感までも相対的に希薄化され、さらに個人の内での心と身体の統一感までもが不安定の度を極端に増しているのではないのか。だからこそ、今、自らの体を傷つけること(例えばリストカット、体中にピアス、タトゥーをする等)や他者を安易に傷つけることで身と心のバランス/アンバランスを表現する人々が増え、映画「MATRIX」のような、仮想現実と現実が混在する世界観が容易に受容出来る状況が存在しているのではないのか。このような事態は、集団の共通理解と共感を前提とする従来の俳句の想定外のことである。
この状況がどこへ向くかはわからない。今が一つの極とすればその大反動があって、人は集団主義、家族主義へと向かっていくかもしれない。それはもしかすると俳句にとっての天恵であるかもしれない(というより俳句がその片棒を担ぐ可能性は高い)が理想通りにはいかない気持ちの悪い世の中がくるであろうことは想像できる。しかし、すくなくとも社会の変化の方向が今のままであるならば、俳句と川柳を峻別するために前提としていた俳句の成り立つ基盤が弱体化していくことは確かなのである。さらに状況が進めば、もはや従来の意味での俳句は「古今伝授」のように一部の人々の間で特権化し受け継がれていくしかなくなるのではないのか。
四、あらたな視点へ
ここまで、「文学」として「俳句」と「川柳」というジャンルを確定しようとする時に表れる問題点について考えてきた。自分が抱えた何かしっくりとこない感覚の理由について探究してきたつもりだ。手短に言えば、近代にできあがった知の戦略・知の風景の普遍性への疑義となるのだろう。個性、独自性、自立性に価値を見いだす「近代」的知は根強く我々の中にあるものの、変わりつつもある。また、小説家・批評家を中心に多くの文学者は文学はすでに死んでいると自覚する。それとはやや異質なところで「文学」する「俳句」作家たちは意図的に仮想の「近代」空間を守っているのかもしれないが、変容する現代にあってなお、かつての虚子のように開き直って見せ続けるしかないのだろうか。このような問題意識の中で俳句と川柳について考えるとき、これまでのジャンル論と異なる戦略が新たに要求されているように思われるのだ。それを考えてゆきたいと思う。
最後に以下のような一つの仮定を提示してみたい。例えば、俳句と川柳が混ざり合っている境界のその先に、新しい短詩型が生まれる可能性などは全くない、とは誰も言えないはずである。誰も知らない未来のことを語ったところでおこがましいが、少なくとも、五・七・五拍のリズムで、俳句とも川柳とも共通する形式であっても、混ざり合っていくうちに違う独自性がそなわり、年月を経て人々に認知されれば、それは全く新しい詩形のジャンルとして定着する。このような場所に立つと、ジャンルの起源を問うて歴史の過程から俳句と川柳の固有性を強調し、厳しく切り分けて考える視点とは違ったものの捉え方も可能なのではないだろうか。そして、このような視点に立つとき、従来の固有性にこだわる姿勢を相対化できるのではないだろうか。
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