第七十四回現代俳句協会青年部勉強会報告 橋本 直
「子規の写生」について
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今回の勉強会は、昨年12月7日協会事務室において行われた。テーマは「俳句の写生の根拠と可能性を考える −第2世紀俳句における写生(現前性)の役割」というもの。司会は高橋比呂子、トークを須藤徹、基調報告を橋本直が担当した。参加者は13名。
まず、高橋比呂子から子規の写生についての概括的な紹介があり、続いて須藤徹のトークが行われ、橋本直の基調報告後、全体で質疑応答が行われた。
須藤は自身が『地表』に連載中の「写生と想像力」をレジュメにして、その中のポイントを四つピックアップして発表した。T「写生は、ことば(先験的な観念)からの解放である」U「山林郊野の発見」V「日本人と西洋人の「自然」のとらえかた」W「ハイクの「現前性」(the present)について」こちらの詳細は高橋の報告に譲るが、これらの題を見ればだいたいの内容の見当はつくであろう。まとめのところで、須藤は、「写生」と聞いただけで嫌悪感を持つ俳人が多くいるが、「写生」には俳句の本質が含まれており、これからその検討作業を『地表』連載などを通じて行っていくことを述べた。
橋本は、まず、須藤の発表内容をうけて、子規の「写生」という概念はそんなに理論的ではないが、たとえばクリステヴァの「インターテクスチュアリティ」のように、概念として打ち出されたものを、受け取った側が自分なりに敷衍して方法論として様々な論を展開しているように、理論の深浅はそう問題ではなく、それをうけとった人によって様々な形で論じることが可能なものである事が重要で、要は芸術的概念として、またはわれわれの持っている俳句の詩学として使えるのか使えないのかを追求することが問題であり、おそらく時代により様々な読み直し、定義し直ししていくことになるもので、須藤の連載もそのような質のものと見ることができる。そして、「子規の写生」というふうに限定的に用いることにはあまり意味は無いのではないか、とした。
つぎに、基調報告として、子規の「写生」の定義について文の引用による再確認とその成立に関する従来の説に対する若干の修正を試みた。以下概略を述べる。
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まず、正岡子規本人による「写生」の説明である。
たとえば
実際の有りのまゝを写すを仮に写実という。又写生ともいふ。写生は画家の語を借
りたるなり。(中略)写生といひ写実といふは実際有のまゝに写すに相違なけれども固
より多少の取捨選択を要す。取捨選択とは面白い処を取りてつまらぬ処を捨つる事に
して、必ずしも大をとりて小を捨て、長を取りて短を捨つる事にあらず。
(「叙事文」「日本付録週報」 明治33・3・12)
という文はよく引用されている。他に、絵の写生について以下のように述べている。
そこで油絵が入つて来ていよいよ写生が完全に出来るやうになつた。此写生は無論
感情的写生(理屈的写生といふたのに対していふ)であつて、人が物を見て感ずる度
合いに従ふて画くから、鯉を画いても鱗を三十六枚画きはせぬ(中略)それで実物見
たように出来る。(「文学美術評論 写生・写実」「ホトトギス」明治31・12・10)
このように、対象をありのままに写すといっても、見る側見られる側が明らかで、見る側の見る対象への焦点化が重要であることがわかる。
つぎに、その成立についてである。通説として、子規ははじめは西洋画は嫌いであったが、中村不折の影響によって、フォンタネージがもたららしたその写生論を学び、論として俳句に転用したとされている。
十年ほど前に僕は日本画崇拝者で西洋画排斥者であった。其頃為山君と邦画洋画優
劣論をやつたが僕はなかなか負けた積りではなかった。(中略)其後不折君と共に「小
日本」に居るようになつて毎日くらい顔を合すので、顔を合すと例の画論を始めて居
た。此時も僕は日本画崇拝者であつたからいふ事が皆衝突する。(中略)其内ふと俳句
と比較して見てから大に悟る所があった。(「画」『ホトトギス』明治33・3・10)
ほかに「墨汁一滴」にも同様の文がある。このような子規の言葉によって、彼が中村不折から日本画崇拝の鼻をへし折られ写生に目覚めたかのような印象を受ける。しかし、おそらくこれは文飾というものであろう。以下、その理由を述べる。
子規は学生の頃、課題作文で邦画と洋画の比較論を漢文で書いている。
欧画尚緻密尚巧麗以誇其迫真而至古与雅絶無之也我国之画反之其写真不及彼而其古
雅勝彼遠(「読本朝画人伝 即題」明治19)
洋画は緻密、巧麗で真に迫るが、古雅がない。邦画はこれに反し、真を写すのは洋画に及ばないが古雅は洋画にはるかに優れている、というないようである。確かに日本画崇拝といってよいかも知れない。しかし、注目したいのは、このときすでに、洋画の邦画に優る点として、迫真性すなわちリアルであることを述べていることである。さらに、以下のような文がある。
北斎の書きし西瓜を半切せし上に白紙を張り赤色の紙にしみたる処は如何にも真に
迫り西洋画も三舎をさけんと思はれたり、思ふに此趣向ハ西洋画より得しにはあらざ
るか、北斎はいまだ西洋画を見るに及ばざりしか。
(「筆まかせ 第三編」明治23・4・1)
これは上野の美術展で北斎の「西瓜図」を見たときに書いた感想である。先ほどの課題文と同じように、西洋画がリアルであることが前提となって北斎の絵の評価が行われていることはあきらかである。このように、洋画の迫真性についての評価は日本画崇拝者であったと回想したころからすでに了承済みのことであり、日本画の古雅の面を強調することでその迫真性に優ると見ていたのである。この迫真性は後の「写生」に他ならない。すなわち、先程述べたように、本人の言葉を鵜呑みにして子規がまるっきり洋画を排斥していたかのように受け取るのは誤りである。子規が写生を評価する下地はすでにあったのである。
すなわち、子規にとって洋画の迫真性は自明なことであったにもかかわらず、その評価は相対的に低く邦画の古雅に重きを置いていたところ、理論家であった不折との対話によって視点が変化し、洋画の迫真性に重きを置くようにシフトしたと思われる。いってみれば、子規の視点のパラダイムシフトがおこったのであって、その触媒が中村不折であった。
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基調報告の主題は以上であった。まとめにかえて、はじめの話題に戻るが、現代において「写生」を俳句の理論としてどう理解できるだろうか。子規の時代の「写生」はあるがままを写すことによって逆に詩的言語として異化効果を生み詩の言葉になりえた。我々の時代ではそのままというわけにはいかないだろう。子規の頃と違って、まず、映像経験が存在する。そして、日本語の文字記号である漢字・仮名と記憶と脳の働きについても、いろいろわかってきていることがある。それらの関連をふまえて新しい「写生」の実践は可能なのではないだろうか。さらに、子規の後の写生の変化、たとえば茂吉の「実相観入」と虚子の写生における対象の捉え方の共通性、すなわち自他の区別が無くなるようなものの見方と、鈴木貞美の指摘する「生命主義」のような時代の思潮との関連について改めて見当し、同じ土俵にたって考えてみることも重要ではないかと考える。(文中敬称を略した。)
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