俳句の美学                          

 編集部より与えられた題は、戦後六十年間の俳句の表現の方法に対し、俳句作家に表現すべきどのような対象があるか、を問いかけることであったが、正直かなり困った。それって過去にない新しい表現の対象ということか?筆者はこの六十年に行われた表現方法をすべて知るほど博覧強記ではない。知らないのにすべてをふまえたように書くことは不可能だ。そこで開き直るわけではないが、いずれにせよ俳句の対象は自己の外か内しかない。ならば、その両者を結びつけるところの人間の「感性」をキーワードにして、自分の心にひっかかったことについて一つ考えてみたい。

 戦後六十年たったというと、随分時間が過ぎた気がするが、近代以来の俳句の歴史で言えば、子規が死んでから約百年である。子規が死んでから太平洋戦争に負けるまでより、その敗戦後から現在までの方が長い。そう考えると、子規が従軍して病んだ日清戦争から太平洋戦争敗北までが、いかに短い間の出来事であったのか、いかに国家規模で無理をしていたのかが改めて感じられる。その間の証言者が多いことや、資料が多く残っていることが、その後の六十年を濃密にしていることは確かであろう。だが、その中に看過・忘却されていく様々なこともあるはずだ。

 私が生まれるより少し前に金子兜太が書いたカッパブックスに「今日の俳句」(昭和四十年 光文社)というのがある。内容の評価を問題にしたいわけではないし、どの程度売れたのかは知らない。副題に「古池の『わび』よりダムの『感動』へ」というキャッチコピーのようなものがついていたのが気持ちが悪いのだ。たまたま古本屋で見つけたとき何だか気味が悪いと思ったが、たぶん編集者が店頭で読み手の気を惹くために、高度成長期の「今日」において新しみを狙ったものだろう。が、新世紀の「今日」からみて、いや、少なくとも、私の「感性」にとってはとても気持ちが悪いのである。

 まず、イメージとしての「ダム」というものを考えよう。ダムはその建設に際し、人間に対立するものとしての自然の存在があらわになるものであろう。概して地形も気候も厳しい場所に建設され難工事になる。完成後その人間の勝利のあとの風景が観光地となっている所も珍しくない。そしてその風光明媚と難工事の物語によって神話化されていくような存在だ。つまり、単なるコンクリートの塊ではなく、一方で西洋近代文明の象徴のようなイメージをもち、同時に、日本人の大好きな技術者魂くすぐる苦労話や山水の美しい風景を同居させてもいる。それを前衛俳人金子兜太の著作であることを念頭に、芭蕉の「古池」のイメージと対比し、「感動」といってしまうことに気味の悪さを感じたのだ。

 これは何とも宙に浮くような気持ちの悪さで、そう感じている自分の感性が正しいのか、それとも、おかしいのか、また、このようなキャッチをつけた感性がよかったものか、悪趣味であったのかを、自分ではにわかに判じがたい。しかも、ここにも本稿テーマに関わる、戦後六十年間における表現の方法としての新しさが潜在していたかもしれないから余計に始末が悪い。

 もう一つには、現代のダムの位置づけの悪さである。環境意識の高まりと、地方行政と国交省のやり方の不味さで、老朽化したものと計画中のダムは総じて悪役である。マスコミも基本的にそちらの論調に乗っているように思われ、環境問題として取り上げられるのをよく目にする。実際、ダムが近辺の有史以来の人間集団の文化を奪っていたことや、周辺や下流の河川の自然環境へのダメージが甚大であることは「世間」でも看過できなくなってきてはいるようだ。そのようなダムのもつマイナス面が、先述のキャッチの言葉を虚しくさせてしまうのは否めない。ダムならまだ先に述べた「神話」によって一方にカタルシスがありうるかも知れないが、田舎の河川改修と自然破壊の折り合いのつけかたの悪さといったらない。効率さえよければ、事実上そこにいる生き物の生態系は考慮されない。メダカがレッドデータブックに載ったのは、伊達ではない。できあがったコンクリートの水路に色鯉を放流して、そこに生き物がいることにしていたりする。また、都会の河川にいたってはほとんど暗渠にされ、無いことになっていて、写真家畠山直哉氏の仕事などに、どうにか都市の裏の顔を見せている。これらは文明の勝利のイメージの中で神話化できるお話ではない。この六十年は、そのような妙な「文明の勝利」の類の繰り返しであったはずだ。先のキャッチはそんなことを私に「感覚」させるから気持ちが悪いのである。

 実はこの感じ方の問題は、俳句に関わった当初から、私の中に大きな疑問としてあった。自然を詠む、というときの自然を見、見るだけでなく自然との一体化まで標榜し、愛でる「感性」は、どうにもならないほど自然を傷めてしまうことへの抑止へとどうしてつながらないのか。恐ろしいのは、先の本ごとく、「ダムの「感動」」を標榜したかもしれない「感性」が、今現在、俳句をつくり、自然を深く愛しているとのたまったり、自然と人生を重ねしみじみしちゃったりできてしまうことや、自分らでさんざん自然を打ち壊した昭和前期を、内省なんかすっ飛ばして、心象として懐かしむような「感性」を持っているかもしれないことである。そこにはそこはかとない風情やら悲しみは漂っても、反省や批判は薄い。それは、自己の持つ興味の外へ関心が向かないという批判を受ける意味での若い「ヲタク」達となんらかわりはない。ただ年をとっていて数が多いだけだ。そこに美学はあるのか。

 この六十年の間、外部に対しては、自らの選択によって環境を継続的、且つ、劇的に変化させてきた。それによって俳句は影響を受けない、なんて虚子みたいなことはいってほしくないものだ。俳句を作る人の感性は変化した部分があるはずである。人は自然や社会が変化したときそれにあわせて自己の感覚を変化させてもきたはずだ。しかも、柄谷行人のいう「起源」ではないが、変化する前の感覚はなかったことのように忘れ去られる。そう思うと自分自身の今の「感性」すらも信用ならない。

 昭和一ケタ世代の老いた我が両親は、若い頃は泳げたという故郷の川が、この十数年の間に支流まですっかりコンクリート三面張りになったことには、いまさら何も感慨はおこさず、放流された錦鯉が泳いでいるのを、名前を付けて散歩の楽しみとしている。それは間違いなく「自然」な「感性」だろう。

 具体的な表現対象を云々する前に、この憎むべきやっかいな「感性」の方が、私にとっての当面の敵なのであり、新しい表現の模索の対象なのである。

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