鳥瞰「雷光三号」 橋本 直
同人誌「雷光」は「天狼系雷光俳句会会報」として昭和二十三年一月に創刊。「天狼」とほぼ同時のスタート。佐藤鬼房によれば、「「天狼」前衛誌」(「夜盗派」昭和二十七年四月)。下村魁太筆によるガリ版刷で印刷所は「古代工房」発行所は「雷光俳句会(鈴木方)」。三号から西東三鬼指導。同人は井澤唯夫、佐藤鬼房、島津亮、高津勇、立岩都之男、東川紀志男、杉本呆太、鈴木六林男の八名(すぐに高津が抜け衣笠旭夫が入ったようだ)。彼らの年代は二、三十代。
三号は同年三月二十日発行、二十七頁。構成は基本的に現在の俳句雑誌と同様で、裏表紙に同人以外の特別作品五句(波止影夫)、巻頭に三鬼の小文と作品があり、以下同人の作品と評論、小文、三鬼選会員作品等と続いていく。会費は暫定月額十五円。
日本はこのころもちろんGHQの統制下であり、極東軍事裁判はまだ東条らA級戦犯への判決をだしていない。この時期、俳人の戦争責任論が出ていたが、二十一年十一月に桑原武夫が「第二芸術論」を書いて衝撃を与えたことの方が同時代にも後代にもはるかに影響が大きい。すっかり「西向き」な桑原の論に対し、日本の短詩型に関わるものは各人各様にその詩学の構築が課題になった。山本健吉はただちに「挨拶と滑稽」を書き、翌二十二年になると、有力な俳人や国文学者がそれぞれに論を書く。また、戦中沈黙し戦後俳句の革新をめざす人々から期待されていた三鬼が「現代俳句協会」を立ち上げ誓子を「天狼」に担ぎ上げた。
「雷光」はそのような熱っぽい時代の中で生まれている(ついでに言えば、この二十二年秋、虚子は小諸から鎌倉に戻っている)。ゆえに「「近代俳句」が文学として詩として、いかにすべきか」「もっときびしい根源的なものへと立返って出発し直さなくては」(鬼房 三号「雷光山脈」)。「無季俳句の将来性は現代俳句の将来性」(六林男 四号「俳句の周辺」)「ホトトギスは正に過去の、大正の古典であり、馬酔木も同様であり、太陽系は永遠の小児的古典であり、寒雷は近代的古典性インポテンツであり、現代の古典として萬緑がある」(亮 四号「現代に於ける古典」)といった文言が散見される。作品には「獨楽はづむとき青年の一語若し」(鬼房 三号)「動かざる牛を見て過ぐ獄の前」(亮 三号)「花祭をはりし庭に童子ひとり」(六林男 三号)など。
「指導者」三鬼はその危うさ脆さをよく見抜いていたようだ。この三号の巻頭文で表現の具象の重要を説き「君が百萬の強さを込めて君の観念を絶叫するよりも、一本の電柱の方が強いのだ」(「演出する勿れ」)と言う。しかし、かれらは約三年後には誓子一色の「天狼」系を離れ、同人誌「梟」(後、改題し「夜盗派」さらに「繩」。同人中最も大成する佐藤、鈴木は途中離脱)を出す。さらに「雷光」創刊より十年以上後「繩」は「抽象俳句」と呼ばれる一派となり、高柳重信から類想の多い作品と論の乖離を批判され「既に古ぼけた嘗つての前衛芸術の、袖珍本的な普及化を行つてゐるに過ぎない」(「俳句研究」昭和三十五年三月。三鬼、憲吉との鼎談。)とまで言われてしまう。
簡潔に言えば、予見される前衛運動の宿命的弱点を地でいった雑誌ということになろうか(俳句以外でも似たような状況を想起することは難しくないはずだ)。それらの諸運動の総体を受けとめなければ、俳句にあたらしいものを求める情熱は、同じ轍を踏むことになるのだろう。
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