※暫定的に文字化けした字を■で埋めています。
★連句への誘い 1
プロローグ
来年四月、「鬼」の会は十周年を迎えることになっています。実はその前身であり、その母体ともなった「妙蓮寺連句会」は、平成六年十二月二十二日に第一回の連句会を開いており、これを起点とすると、昨年十二月にすでに「鬼」の会は十周年を迎えていたことになります。この「妙蓮寺連句会」が生まれていなければ、いまの「鬼」の会もなかったでしょうし、僕の、連句へのこだわりをご理解いただくためにも、本題に入る前に、しばらくこのことについてお話したいと思います。
平成六年四月から十二月まで七回にわたって開催された神奈川大学公開講座で、復本一郎先生の「芭蕉俳諧の面白さ」を聴いた受講生たちは、先生のご講義もさることながら、すっかり連句の面白さに魅了され、なかでも熱心な数人の受講者が「ぜひ、復本先生に連絡を教わりたい」と懇請した結果生まれたのが、冒頭述べた「妙蓮寺連句会」(東横線沿線の妙蓮寺駅近くの銀行のひと部屋を借りて発足したのでこの名称となった)でした。第一回の参加者は八人。因みに、いまも「鬼」に在籍しているのは、桶舎富士子、石澤勝子のお二人です。
当時、連句会は不定期開催で、平成十一年三月二十七日最終回を迎えるまで十五回、歌仙二巻、半歌仙十巻を巻いて幕を閉じました。この間、平成八年四月二十日には「妙蓮寺俳句会」となり、連句会は発展的解消、この日から数えて、十年目に当たるのが来年なのです。そして、平成十年四月十八日からは「鬼の会」(後「鬼」と改称)に名称を改め、名実ともに結社を超えた実験的俳句集団として、今日に至っているのです。
連句勉強会(みのむし会)など
平成十一年三月、「鬼の会」から姿を消した「連句会」ですが、「鬼の会」からは離れたけれども、なお連句をやってみたいという連中が集まって作ったのが「みのむし会」です。「鬼の子」をもじって名付けました。月一回の勉強会です。メンバーは十四、五名。毎回、八名〜十名位で「半歌仙」を巻いています。発足は平成十一年九月ですから、もう五年もやっていることになります。この間、国民文化祭の連句部門に投稿したこともありました。みんな勉強熱心で、ワイワイガヤガヤ連句を楽しんでいます。
「連句をやると俳句が下手になる」という俗説がありますが、決してそんなことはありません。また、正岡子規が「芭蕉雑談」(明治二十六年)で「発句は文学なり。連俳(連句)は文学に非ず」という、いわゆる「連句非文学論」を提唱したこともあって、ともすれば敬遠されがちな「連句」ではあるのですが、子規自身も連句に夢中になった時代があったことは、「鬼」
10号に少し書いておきました。ともあれ、一度連衆に加わって、連句の座についてごらんになることです。連句にはむつかしい作法や式目があってと、それが連句を敬遠する要因ともなるのでしょうが、作法についてはおいおい説明して参ります。もとより僕は研究者ではありませんから、むつかしいことは分かりません。勉強会を通じて知り得たことをお話して、俳句のルーツである「連句」にも関心を持っていただきたいと思うのです。「鬼」の会も、元をただせば連句から始まったのですから。
そこで、この連載も連句の成り立ち、歴史から始めるべきなのでしょうが、これについては、最終回に参考書を掲げますから、興味のある方はお読みになってください。
すでに「歌仙」「半歌仙」「連衆」「座」など、連句用語がでてきました。連句の基本形は5・7・5と7・7を繰り返し連ねて詠んでいくのですが、この行為を「巻く」といいます。次回からは、これらを含めて、具体例を挙げてお話していきましょう。
★連句への誘い 2
連句のルーツ「連歌と俳諧」
連句は、江戸時代までは「俳諧」といいました。正しくは「俳諧の連歌」なのですが、そもそも「俳諧」とは「連歌」から派生した文芸なのです。連歌の発生は古く記紀の時代まで遡り、鎌倉時代後期から室町時代に最盛期を迎えます。松永貞徳の貞門、西山宗因の談林などと呼ばれるのがそれです。
最初は、和歌の三十一文字を五・七・五の上の句と七・七の下の句を二人で詠むことから始まりました。これが、二人以上で詠み、五・七・五に七・七を付け、それを百回まで繰り返して終わるという、「百韻」(または「五十韻」)という形式に定まっていきます。そして、江戸時代にはいると、前に述べましたように、「俳諧」という文芸になるのです。「俳諧の連歌」です。江戸時代に盛んに行われ、この頃にはそれまで百韻や五十韻で行われていた五・七・五と七・七の繰り返しを、三十六句で留める「歌仙」という方式が主流を占めるようになりました。中古の歌人三十六歌仙に因んだ名称です。
この「歌仙」による「俳諧」を完成度の高い文芸としたのが、他ならぬ「芭蕉」その人であったのですが、俳諧史の世界にこれ以上深入りすることは止めます。後は、復本先生のご本をお読みください。
連句(歌仙)のこと
これから、本題の「連句」です。連句という「ことば」は江戸時代にも「連句・聯句」として用いられていたようですが、一般化したのは明治三十七年(一九〇四年)に高浜虚子が「ホトトギス」で提唱してからといわれています。
連句(俳諧)は「座の文芸」ともいわれ、複数の人達による共同制作の文芸です。前に連歌のところで、二人以上といいましたが、「独吟」といって一人で詠むこともあります。しかし、ここでは例外としておきます。
ともあれ、複数で詠むのですが、三、四人からせいぜい七、八人が連句を巻くのには適当な人数であるといわれています。この座に集まったメンバーを「連衆」といい、連句を巻くことを「興行」ともいいました。
連句は、集まった連衆が一人ずつ、五・七・五の長句に七・七の短句を交互に終わるまで付けていくのですが、全体のストーリーを気にすることなく、前に詠まれた一句にたいし自分の思いの丈を付けていくのです。そこには、年齢、職業、身分、性別の区別はありません。気心の知れた、風流を愛する個性豊かな人であればよいのです。それが連句の効果を呼び、とてつもない発想、新鮮な驚き、時には挑発、そんな一句が直前の一句からもたらされるのです。
連句には、「百韻」「歌仙」「半歌仙」のほか、最近では、「二十韻」で巻く方式が提唱されるなど、様々な型式がありますが、ここでは、一番ポピュラーな方式「歌仙」について述べることにします。いま、私達「みのむし会」では「半歌仙」(十八句で一巻)を主体としていますが、これは後に述べます。
「歌仙」は、発句から長句(五・七・五)と短句(七・七)を付けあって挙(揚)句まで三十六句で完結させます。歌仙は、昔は、懐紙二枚をそれぞれ二つ折りにし、開きを上にして右端を水引でとじたものに書きつけていきました。第一頁にあたるところを「(初折の)表」(略称は「オ」)といい、そこに発句から六句を書きます。頁を繰った見開き部分の右頁を「(初折の)裏」(ウ)、左頁を「名残の表」(ナオ)といって、それぞれに十二句を書きます。そして最後の頁(四頁目)は「名残の裏」といい六句を書きます。計三十六句。これが歌仙一巻ですが、いまは略式の「連句(歌仙)構成表」を併記したシートを使っています。
次回は、表六句の具体例からはじめます。
★連句への誘い 3
皆さんは、今日の句会が九十九回目であることに気付いておられましたか。平成八年四月が第一回句会ですから、単純に数えると今月で百十回目のはずです。これは「鬼」の会発足以前の二年間は連句と俳句の会を隔月毎にやっていたからです。第一回俳句会に参加して今も残っているのは、復本先生は勿論のこと連句会からの移行組の勝子、富士子(欠)、秀互(欠)に新たに加わった素月の五人、ともかく来月は記念すべき第百回目の句会です。
歌仙の構成
歌仙の構成は、表六句、裏十二句、名残の表十二句、名残の裏六句になっていることは前回述べました。この四つの面にわたる句の運び、変化が連句には大切なのです。芭蕉は「歌仙は三十六歩なり。一歩も後に帰る心なし」といっています。また、かつては、序破急と能になぞらえて付けの運びが説明されていましたが、今は起承転結ともいわれています。まず、起(序)に当る表六句です。
表六句は、静かに穏やかに運ぶことが、大原則です。したがって、発句を除き、神祇、釈教、恋、無常、病態、狂態、旅、述懐(悲しい、苦しい)、人名、地名、固有名詞など強い印象の伴うものは詠めません。
発句は客、脇は亭主ということで、客として招かれたものが挨拶として詠むことが建前でした。芭蕉の『おくのほそ道』などにその例があります。例えば、元禄二年(一六八九)四月二十二日(新暦六月九日)、須賀川の相楽等躬宅に逗留し、等躬、曾良と巻いた三吟の歌仙(三人で巻くのを三吟という)。
風流の初やおくの田植歌 芭蕉
覆盆子を折て我まうけ草 等躬
水せきて昼寝の石やなをすらん 曾良
芭蕉の発句は、これから厄介になる等躬への挨拶句、それに対し等躬が「こんな奥地で何のおもてなしもできませんが」と脇の句で応えたやりとり(詳しくは「曾良書留」をご覧下さい)。
このように、発句は挨拶性が高いのですが、今はそうでもありません。一座のなかに客人や長老がいる時はその方に詠んでもらいますが、数人で詠む場合は、普通、連衆のなかから、捌き手を選んで、この人が発句を詠み、付け句の善し悪しを判定するとともに、一座の運営の責任を果たすというやり方が多いようです。気のあった友達同士で巻く場合は、皆でがやがや衆議でやればよいのです。
発句は、神祇、釈教、恋、無常等何ら制限なく自由に詠んでよいのですが、当季の季語及び切字を入れ内容も豊かで格調の高い、一句独立したものではなくてはなりません。この後に付けていく三十五句を誘導する頂点に立つ句柄が望まれます。また、適当な発句が得られない場合、「脇起し」と称して、芭蕉や蕪村、あるいは現代の有名俳人の作品を発句に代えて「立句」として用い、脇の句から付け始めることもあります。
発句のつぎ(二句目)は、「脇句」七・七の短句です。これも、『おくのほそ道』の例で見たように、本来は、客に対する主人の答えで、発句と合わせ主客の挨拶だったのですが、今はそうでもありません。脇句は発句と同季、同じ場所、同じ時間で発句に打ち添うように付けるといいます。下七は体言(名詞)で留めるのが原則です。
三番目の句は「第三」といいます。事実上ここからが、歌仙一巻の始まりです。一巻の出来の善し悪しはここで決まるといわれており、発句、脇で詠まれた世界から転ずることを旨とします。留め字は「て」が多いのですが、に、にて、らん、もなしが使われます。ただし、発句に「かな」が使われている場合は「にて」は「かな」と同意になると称し使うことを避けます。
四番目の句以降、挙句(三十六番目)までの句を平句といいます。切字は使いません。四番目は、普通「雑」(無季)の句で付け、第三までの句を一応締めくくる起承転結の結のつもりで軽くさらりと詠みます。(以下次号)
★連句への誘い 4
次の五句目は「月の定座」と呼ばれています。歌仙一巻中には、必ず月の句を三句、、花の句を二句詠まなければならないことになっており、その詠む場所も次の図のようにほぼ一定しています。それぞれ月の定座、花の定座と称しています。五句目の月は、秋の月を詠みます。ただし発句が秋の場合には脇または第三に引き上げて詠みます。定座より前に詠むことを「引き上げる」、定座より後に詠むことを「こぼす」といいます。月の定座に限り、実際に詠む場所は臨機応変でよいのですが、花の定座は「引き上げる」ことはあっても、「こぼす」ことは出来ません。とくに名残の裏の五句目の花は、古来、花の句を詠むときに香を■くことから「匂いの花」といわれていて、この花の定座だけはあまり動かしません。ただ、現代では香を■く風習は廃れ、ほとんど行われなくなりました。
初 折−表六句 −5句目・月の定座
−裏十二句−7句目・月の定座
−
11句目・花の定座名残の折−表十二句−
11句目・月の定座−裏六句 −5句目・花の定座
もう少し「月の定座」について述べておきます。発句が新年の場合には、五句目に春の月を詠みます。その代わり裏の七句目の月の定座では秋の月を詠みます。この裏の七句目の月の定座ですが、発句が春・冬の場合は夏の月を、秋・夏の場合は冬の月を詠むことが原則となっています。そして、月を詠む場合に大切なことは、三カ所の月の定座が同じ趣向にならないことです。
さきへ急ぎます。六句目。「折端」といいます。ここは、折端ぶりといって軽く付けるのが良いといわれています。これで初折のオモテ、いわゆる表六句は終わりです。
表六句が終わったところで、歌仙の季語の扱いについて、おおよそのことを述べておきます。和歌以来の伝統で、日本人は春夏秋冬のなかでも、特に花の春と紅葉の秋を重んじてきました。これは歌仙においても重んぜられていて、春と秋の句は三句つづけて詠むことになっています(時によっては五句までつづけることもあります)。
それに対して、夏と冬は、発句が夏または冬の場合に脇として二句つづけますが、四句目以降の平句では一句で捨ててもよいとされています(基本的には二句つづけます)。また、季節を移すときには、原則として、春夏秋冬に関係のない「雑」の句(無季の句)をはさみますが(前回、四番目の句の説明で「普通」と称したのはこのことです)、例外的に、「季移り」と称して、春から夏、夏から秋へと直接季節を移す場合があります。
また、さきほど春と秋は三句つづけて詠むといいましたが、一句仕立ての俳句とは違い、連句では、三春、三夏、三秋、三冬の観念と春夏秋冬の初、仲、晩の観念をはっきりさせることが求められます。例えば、茶摘み(晩春)の後に水温む(仲春)を付けたりはしないのです。これを「季戻り」といって、嫌います。
次の七句目(折立)から、初折の裏十二句が始まります。表六句に対し裏十二句といいます。表六句では出せなかった神祇・釈教、恋、無常などの制約から解き放たれて、自由に詠むことができます。むしろ急転直下、千変万化したほうが好ましいのです。「一歩も後に帰る心なし」と芭蕉は言いました。
ところが、この制約が解けた途端、神祇・釈教、恋、無常などを詠むのを連歌では「待兼ね」といって嫌いました。連句でも、とくに七句目に「恋の句」を出すのを「待兼ねの恋」と称して、はしたないとされていましたが、今はさほどとらわれないようです。
次回、もう少し恋の句をつづけます。
(以下次号)
★連句への誘い 5
恋の句のこと@
連句では、恋は人情をもっとも直接的に表現し得るということで、月・花の定座に次いで「恋の座」として重んじられて来ました。連句一巻の中でのやま場を迎えるからです。ですから一巻の中に恋句がないと「はした物」として正式の巻として扱わないことになっています。
これまで、できるだけ引用を避けてきたのですが、恋句に関してはネ
2068ネ芭蕉の言葉を借りるほかありません。少し長い引用で恐縮ですが、まず、『去来抄』から。卯七野明曰く「蕉門、恋を一句にても捨つるはいかに」。
去来曰く「予、この事を伺ふ。先師曰く『いにしへは恋の句数定まらず。勅以後二句以上五句となる。是れは連歌の例式也。一句にて捨てざるは、大切の恋句に挨拶なからんはいかがなりとなり。一説に、恋は陰陽和合の句なれば、一句にて捨つべからずともいへり。皆大切に思ふ故なり。予が一句にても捨てよといふもいよいよ大切に思ふ故なり。
汝等は知るまじ、昔は恋一句出づれば相手の作者は恋をしかけられたりと挨拶せり。
また、五十韻・百韻といへども、恋句なければ、一巻といはず、はした物とす。かくばかり大切なる故、みな恋句になづみ、僅か二句一所に出づれば幸ひとし、却つて巻中恋句希なり。また多くは、恋句よりしぶり、吟おもく、一巻不出来になれり。この故に、恋句出でて付けよからん時は、二句か五句もすべし、付けがたらん時は、しひて付けずとも、一句にても捨てよといへり。
かくいふも、何とぞ巻面のよく、恋句も度々出でよかしと思ふ故なり』」。
この引用文の中で芭蕉の恋句に対する考え方がいい尽くされているように思います。
芭蕉が恋句を大切にするのは、度々恋句を出してもそれがうまく行かない場合は、無理に付けようとしても結局失敗に終わってしまう。それならここで捨てて、別の機会に恋句を二句でも三句でも付けるが方がよい、それが自分が恋句を大切にする所以である。
また、多くは恋句から付けの運びが渋滞して、句が重くなって一巻が不出来になってしまう、ともいっています。
もう一つ、芭蕉の言葉を挙げておきます。こんどは『三冊子』から。
恋の事を、先師曰く「昔より二句結ばざれば用ひざるなり。昔の句、恋の言葉をかさねて集め置き、その詞をつづり、句となして、心の恋の誠を思はざるなり。今、思ふ所は、恋別し大切の事なり、なすにやすからずそのかみ、宗砌・宗祇の頃まで、一句にて止む事例なきにもあらず。この後、所々、門人とも談じて、一句にても置くべき事あらんか」となり。
また、ある時曰く「前句、恋とも恋ならずとも片付けがたき句ある時は、必ず恋の句を付けて、前句ともに恋になすべし」となり。「是にはこの句のみにて、続けて恋にも及ぶべからず。新式にもこの沙汰ある由なり。しかれども、恋の事は分けてその座の宗匠に任すべし」となり。
前の『去来抄』では、蕉門で恋の句が一句で捨てられることに対する疑問に、芭蕉の意見を述べたものでしたが、去来抄の記述は極めて実践的、かつ従来の式目(連句を巻く上での諸規則)に対して芭蕉の寛大な態度が窺えるのです。昔から恋句は二句続けることとされ、しかも、予め決まっている恋の言葉を詠み込んで句を作っていた、今のように心の誠を大切にしていなかったと。ここでも芭蕉は恋句が連句一巻の中で重要な働きがあること、だから付け難い時は一句で捨ててもよいではないかといっています。(以下次号)
やや、恋の句にこだわっている素月です。
★連句への誘い 6
恋の句のことA
前回の芭蕉のことばの引用は、『俳論集』(小学館、平成十三年刊)より堀切実注「去来抄」、復本一郎注「三冊子」からのものです。詳しい内容をお知りになりたい方は本書を是非ご覧いただきたいと思います。
そこでは、実際に芭蕉の俳諧で恋の句を一句で捨てた例があるかです。『芭蕉七部集』(岩波文庫、昭和四十一年刊)でこれを確かめてみました。これには、三十九巻の「歌仙」があるのですが、その中で恋句を一句で捨てているのは二巻のみでした。しかも残念なのは、この巻きには芭蕉が参加していないことです。『阿羅野』と『続猿蓑』にあるのですが、一つだけ紹介しておきます。尾張の蕉門俳人山本荷兮が編んだ『阿羅野』の〈遠浅や浪しめさす蜊とり 亀洞〉という発句で始まる一巻、
A 秋 涼しさや筵もてくる川の端 野水
B 月恋 たらかされしや彳る月 荷兮
C 秋 秋風に女車に髭おとこ 亀洞
残暑の夕暮れ、少しは涼しかろうと筵を持って川端へ出て来た、との野水の前句Aの場面に、荷兮が、だまされた(たらかされ=たぶらかされ)のか月の上る頃まで待っていたのにと、男を待ちわびていた女を登場させ恋句とした付け句。そしてCは「たらかされ」から連想して、女車に乗って町の警護に当っている髭面の武士に転じて付けている句。『今昔物語』の故事を踏まえているといわれています。
B一句だけでは、これを恋句と見るのはなかなか難しいのですが、前句と合わせて読むと、長い間待たされている女のいらだたしさや男の薄情さ、そんなのが見えてきます。付句というのは、前句の余情やニュアンス、あるいは言葉のイメージから次々に展開していくわけですが、この巻などは七部集でもそう評価されてはいない巻ではあるものの、これで恋句のイメージは掴んでいただけたのではないでしょうか。これに比べると芭蕉の恋句は素晴らしいのですが、これは『鬼』十三号(蕪村特集)にすでに書きました。
七部集の中で九句も恋の句を詠んだ巻があります。やはり『阿羅野』で其角と越人の両吟〈落書に荷兮の文や天津雁 其角〉を発句とする一巻です。その名残の裏の三句続きの恋句。さきの荷兮の句は月と秋の季語が入った恋句でしたが、この例は雑で無季です。
A あぢなきや戸にはさまるゝ衣の妻 角
B 恋の親とも逢ふ夜たのまん 人
C やゝおもひ寐もしねられずうち臥て 仝
と。前にもいいましたが、恋句は普通このように「雑」で詠みます。さて、どこが恋か分からない場面もありますね。Aの句は〈よしや鸚鵡の舌のみじかき〉という前句に付けたもので、舌の短い話しぶりの鸚鵡ではと見に行ったら、着物の端(妻)を戸に挟まれた、という、恋でもなんでもない句です。それを「恋の親とも逢ふ夜」そんなだいじな夜なのに着物の端を戸で挟むとは、とBの付けで恋句になっているのですね。「前句、恋ならずとも片付けがたき句ある時は、前句とも恋にせよ」と『三冊子』にあったそれです。
今一つは、これも『三冊子』にあった「昔の句、恋の言葉をかねて集め置き、その詞をつづり」ですが、例えば、歳時記の始まりといわれている松江重頼が編んだ『毛吹草』には、「俳諧恋之詞」として貞門の俳諧以来使われてきた恋の詞、この詞を用いさえすれば恋の句になったといわれる詞があります。今では事柄も意味も分からない死語のようなものもありますが、少し見ておきます。
夫婦、二世の契、ひよくの中、連理の中、偕老同穴、寝物語、さゝやく、胸をやく、情ぶり、くどきごと、淵に身投、よめ入、口べに、爪べに、姿見の鏡、匂袋、恋風、長枕、月の障、若後家、りんき、男狂、等、百四十余りの恋の詞が並んでいます。こうした詞があるだけで恋句であったのです。
次回は連句の式目(規則)をお話しします。
★連句への誘い 7
連句の規則(式目のこと)@
連句(俳諧の歌仙)にはもともと式目などなく、煩瑣な式目に縛られた連歌の座の息抜きに楽しまれたものでした。なくて当り前、自由奔放でなにものにも拘束されない、それが俳諧の身上であったのです。
しかし、俳諧の、連歌からの独立の機運が高まるにしたがって、式目を求める声も高まったのでした。『三冊子』(前出:復本注より)にこのような記述があります。「俳諧の式の事は、連歌の式より習ひて先達の沙汰しけるなり」(俳諧の諸規定は、連歌の規定から学んで、芭蕉翁より前の人々が決めているところである)とあり、芭蕉は俳諧の式目書を新たに作る意思のないことを明らかにするとともに、貞徳の『御傘』その他の従来の諸書については「信用しがたし」としりぞけ、梅翁編『俳諧無言抄』(延宝二年〔一六七四〕刊)を「大様よろし」と門人たちに答えています。『三冊子』に説く式目作法、特に「しろざうし」のなかの発句から揚句に至る解説は、蕉門の土芳がこの師説にしたがって『俳諧無言抄』を参考にしながら筆を執ったものと言われています。詳しくは『三冊子』(前出)をご覧いただきたいと思うのですが、本稿(5)恋の句@でも述べているように、芭蕉が俳諧の諸規定に対して、極めて寛大で且つ柔軟な態度をとっていることが、ここにも窺えるのです。
少し式目について触れておきます。式目の中心となるものは、去嫌(句去)と句数ですが、去嫌とは、連句では単調と繰返しを嫌い変化と調和を尊びますので、「指合」(差合とも)といって同季・同字・類似の詞・縁のある詞などをつづけて用いることを嫌います。「さしさわる」「さしつかえる」という意味です。指合う二語の使用について少なくとも二句隔てよという規定を「二句去」、三句以上、五句以上避けて用いる場合も「三句去」「五句去」といいます。さらに、同種の題材を何句つづけるかという規定もあります。このように「指合」を避けることを「去嫌」といいます。暉峻康隆著『芭蕉の俳諧(上)』(中公新書・一九八一刊)に次の例が紹介されています。
二句去は、△蚊帳に虫類、△鳴に声、△網に魚鳥、△天に空、△田に畑、などです。三句去は、袖に袂、△僧に坊主や和尚、△家に壁、△名月に何月(
moonとmonth:筆者注)など、五句去は、同字の日(と日:筆者注)、風と風、雲と雲の類です。このような事項や現象を、一般的に天象・時候・山類・水辺・生物等と分類して、その類に属するもの同士は、二句去、三句去、というように規定しています。
また「折を嫌う」といって、例えば「いにしへ」と「むかし」は同意なので、初折りの表と裏、名残の表と名残の裏にこの詞を用いてはいけないという規定や、「一座一句」といって、歌仙三十六句のなかに一句しか出してはならないという規定もあります。これも前出の『芭蕉の俳諧(上)』から例を引きます。
折を嫌うものは、時雨、村雨、嵐、霞、氷、または、犬、馬、魚、飯、茶、男、女、客、嫁、祖父などです。一座一句のものは、三日月、月触、名所、神祇・釈教、幽霊、蟇、雷、狐狸、鬼、狼など異様に目立つものです。
とあります。
貞門俳諧以来、こうした去嫌の規定は次第に増加し、いよいよ煩瑣なものになってきたのですが、芭蕉は、「差合の事は時宜にもよるべし。まづは大かたにて宜し」といい、「指合くりの上手といはれんよりは、俳諧に上手のかたあらまほし」(三冊子)と説いているのです。
もう少し、式目をやっていきますが、規定の一つ一つにこだわっていたのでは窮屈で仕方のないものになってしまいます。それこそ芭蕉のいうように、柔軟でよいのですが基本だけは知っておきたい、そんな気持ちです。
★連句への誘い 8
連句の規則(式目のこと)A
何回も繰り返すようですが、連句は一貫したテーマも主人公もいない、人間・自然の営み、森羅万象を詠み継いで、その変化を連衆がともに楽しむ文芸です。同じことを繰り返すのではなく変化に富んだ展開を心がけ、かつ全体として均衡がとれていることが大切なのです。前にも少し触れました『三冊子』の「歌仙は三十六歩なり。一歩もあとに帰るこころなし、行くに従ひ心の改まるは、ただ先へ行く心なればなり」なのです。
そこで思い出していただきたいのですが、本稿の3で、「三句目の転じ」ということをいいました。これを「三句のわたり」ともいうのですが、これも式目の一つです。
具体的にどういうことか、『猿蓑』の「市中は」の巻で実例を見ていきます。
A 市中は物のにほひや夏の月 凡 兆
B あつし■■と門■■の聲 芭 蕉
とAB二句合わさって一首の歌体を形成します。三句目は、前二句ABの初句Aを切り離し、第二句と合わせて新しい境地・世界を切り開いていくのです。
B あつし■■と門■■の聲
C 二番草取りも果たさず穂に出て 去 来
夏の夜、饐えた臭いが町中に漂っている、不快感もいっぱい。でも空には清らかな月の出ていてほっとしている様子を詠んだ凡兆の発句に芭蕉が、町の商人たちが夕涼みをしている光景として脇を付けました。ABは町中の風景です。それに対して去来が付けた第三の句Cは、Bの前句を「人々が暑い暑い」といい交わしている挨拶と捉え、農村風景に転じたのです。今年の暑さは格別で二番草も取り終えないうちに稲穂が出ていると、このように初句のAの回想にならないように、新しい世界を展開していく、このA・B・Cの三句がいわば連句の基本的単位ともいうべきもので、「三句のわたり」とはこのことです。
次の四句目です。このとき、BはA、CはBとでもいう存在でしょうか、四句目は、Aを切り離しBに対して付けていきます。
B(C)二番草取りも果たさず穂に出て
C 灰うちたたくうるめ一枚 凡 兆
と農繁期の慌ただしさを表した付け句です。ここでは、もう完全に〈あつし■■と門■■の聲〉から離れてしまいましたが、前の句の気分を受け不即不離の関係で付けています。
Cから見てAの句を「打越」、Bの句を「前句」、Cは「付句」というのですが、連句は、この前句の気分・内容に対し、付句が常に新しい展開・変化に富んだ句であることを求めているともいえます。表六句だけ続けます。いまのA・B・Cを念頭に、この転じの素晴らしさを鑑賞してみてください。
灰うちたたくうるめ一枚 凡 兆
此筋は銀も見しらず不自由さよ 芭 蕉
たゞとひやうしに長き脇指 去 来
この辺は銀貨も見たこともない、うるめを旅人に出すような辺鄙な土地と見た芭蕉の付け。それに対し前句の横柄な口をきく人物を博徒や町奴と見てその風体を去来が付けたのです(とひやうし=突拍子 筆者注)。
前回、去嫌・句去について説明したのですが、これらは実は「三句のわたり」、すなわち「三句の転じ」の装置として考えられた仕組みなのです。
もう一つ「差合」を避けるために、句を、
自の句=主人公が一人称=人情(事)句
他の句=主人公が三人称=人情(事)句
場の句=景色・風景=人情無し
自他半=私と他者との関係=人情(事)句
に大別して、自・他・場の関係が打越に触れないように付けることです。打越が自の句、前句が場の句の場合に自の句を付ける(打越・前句・付句については、前述ABCでの説明を参照)これを「観音開き」といって嫌います。やはり同趣向・渋滞を避ける意味だと考えられます。(以下次号)
★連句への誘い 9
「付句」について少し整理しておきます。付句はつねに打越を突き放して前句から新たな推論(趣向)を導かなければならない。これを「三句離れ」といい、打越に対して「転じる」ということでした。したがって、つねに三句(打越・前句)に着目しながら前へ前へと変化させて行く。「行くに従ひ心の改まるは、ただ先へ行く心なればなり」なのです。ですから、打越から前句への推論を延長して付句に及ぼすことを「三句がらみ」といい、また、打越から前句への推論を折り返すように付句を案じることを「観音開き」といってタブーとされています。それをできるだけ避けようと案ぜられたのが、自・他・場の付合でもあったのです。つまり、連句の最小単位は、いつも三句で「三句のわたり」が連句の成否を決定するものとして重要視されているのです。このことさえ頭にいれておけばあとは、「捌き」(一座の進行役・後述)の指示にしたがって付句するだけでも連句は十分楽しめるものなのです。
これまで、歌仙の構成から式目まで八回にわたって述べて参りました。実はこれらすべてが連句の作法であり式目であるのですが、なかには連句というものは厄介なものだと思われた方も大勢いらっしゃったことでしょう。初めはごく簡単にお話するつもりでいたのですが、段々深みにはまってしまいました。要はゲームを楽しむのに、ルールがあるのと同じで、その約束ごとを最低限押さえたうえで人と人とのコミュニケーションを楽しむ。いわば連想ゲームの感覚で連句を楽しんでいただければよいのです。それでは、どんな風に楽しむかを実例でお目にかけます。
実例:「裏庭へ」の巻
これからご紹介するのは、第一回目で紹介した連句勉強会「みのむし会」で巻いた「半歌仙」です。「歌仙」は三十六句続けるのでしたね。その半分十八句で終わりにするのを「半歌仙」といいます。忙しい現代人とって三〜四時間で巻けるので、今はもっぱらこの方式で巻かれることが多いようです。
付け順には、「膝送り」と「出勝ち」という方法があります。「膝送り」は連衆が一定の順序によって付け進めていくやり方をいいます。芭蕉の作品の多くはこの方法でした。一方、「出勝ち」は付ける順番が予め決まっているのではなく、良い句を作った者が何句でも採用され付け進む方法です。連衆一巡の後、各句ごとに連衆すべてが付句を考え、想のまとまったものから短冊に書いて提出し、それを宗匠が捌いて治定します。今は経験豊かな人または、その席で「捌き」を予め決めてやっているようです。私達も専らこの「出勝ち」を採用しています。
平成十七年二月五日に巻いた「裏庭へ」の巻です(捌きは素月)。
裏庭へ番ひの小鳥春立てり 薫
そつと戸を繰る水温む朝 ヤスヒロ
蝌蚪の紐みつけし子等の燥ぎゐて ユ リ
からくり時計正午を告げる 郁
赤ワインたつぷりとつぎ月を待つ 三 省
菊枕してことんと寝入る 郁
落城の話ながなが秋の虹 恵美子
天下太平八十の恋 美智子
お洒落してゲートボールにいそいそと ユ
閉店三越鞄をさがす なつ子
噴煙のまだある島に帰還船 ユ
災難除けをいくつも持たせ 美
夏月を遠つ国で見る自衛隊 恵
水虫薬いろいろ変へて 薫
闇雲にしようこともなくぶらつける ヤ
村長もまた町長となり 三
楼門の低きをくぐる花吹雪 な
魚影遊ばせ萍生ふる 恵
各句に七、八句出ているのですが、採用句以外は「文台引下ろせば則反古也」(三冊子)です。
★連句への誘い(最終回)
「裏庭へ」の巻、いかがでしたか。「こんなのなら、たいしたことないや」と思われた方も大勢いらっしゃるでしょうね。これまでにご紹介した芭蕉の連句などとは随分趣が違います。カタカナ語があったり、時局や社会性のある句があったりします。これがまさに現代の連句なのです。でも一応これまでお話して来た、作法・式目は遵守しています。
それどころかまだ勉強中ということで、一巻同字去りと月以外の文字で同じ字を用いた句は一句もありません。これは趣向が同じになることを避けるためでもあるのです。
欠点もあります。小鳥、蝌蚪、魚影と生き物が三つ、時事性の句が三越、帰還船、自衛隊、村長と四句、水や水辺に関連するのが水温む、蝌蚪、船に萍と四句あって、やや片寄り気味という気もします。しかしながら全体としては、展開と変化と、中身自体は豊富なものになっています。
この日は、予め連衆に発句をお願いしてあり、みんなで選句したものを立句とすることにしてありました。その結果選ばれたのが、
裏庭へ番の小鳥春立てり 吉田薫
薫さんは、この会で一年程前から連句を始められました。最年長ですが、その軽妙洒脱な付句にいつも驚かされます。
脇以下はいつものとおり「出勝ち」です。
少しだけ中身を見てみます。表六句は、比較的順調に淡々と進行してきました。三句のわたりもよろしい。なかでも六句目の〈菊枕してことんと寝入る〉は表六句の時間の経過がみえて来ますし、十二句目の〈災難除けをいくつも持たせ〉は、前句にぴったりの付け、さらに〈夏月を遠つ国で見る自衛隊〉の句をも誘い出しています。自衛隊と水虫の付けも面白いですね。次の〈闇雲の〉句は「遣り句」といって、手の込んだ句が連続したときや前句が難しいときなどに軽く気分を変え、あっさり付け捨てるときに使います。十七句目は花の座「花を持たす」といって主客や長老に詠んでもらうことがあります。今回は新加入の中村なつ子さんに委せました。この付けもなかなかのものです。「半歌仙」は十八句目が挙句になります。大らかにゆったり詠む大団円の場で、普通体言どめにします。「挙句の果て」はここから生まれました。
できれば、一句ずつ解説を加えるとよいのですが、紙数が尽きました。
エピローグ
あれも、これもと思っているうちに、言い漏らしていることも随分あります。また勉強不足で間違ったことを伝えてはいないかと、不安に駆られています。二、三回原稿の穴埋めのつもりで始めたものですから、ろくに構想も立てず一回一回を済ませて参りました。いずれ、きちんとしたものに仕上げたいと思っています。ともかく、俳句を読む人であれば一度は連句に接していただきたいと思っています。ともあれ、俳句のルーツは「俳諧の発句」なのですから。
もし、連句に興味をお持ちでしたら、是非「みのむし会」を覗いてみてください。原則毎月第一土曜日午後一時から県民サポート・センターでワイワイガヤガヤやっています。
長い間、有り難うございました。これをもって満尾(一巻完了の意味)といたします。
参考図書(本文で紹介した以外)
東 明雅『連句入門』中公新書、一九七八年
東 明雅『芭蕉の恋句』岩波新書、一九七九年
東 明雅他編『連句辞典』東京堂出版、一九八六年
五十嵐譲介他『連句=理解・鑑賞・実作』おうふう、一九九九年
乾 裕幸・白石悌三『連句への招待』和泉書店、一九八九年
井本農一・今泉 準『連句読本』大修館書店、一九八二年
宇咲冬彦『実作ノート 現代の連句』飯塚書店、一九九七年
宮脇真彦『芭蕉の方法 連句というコミュニケーション』角川書店、二〇〇二年
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