左岸
正露丸の箱落ちている真葛原
道沿いに青唐辛子売れ残る
寝転んで日向で殺す秋の蟻
釦ちぎれし真闇より虫時雨
一畳のポスターに画鋲冬はじまる
冬帝の目玉を焼けば大きからむ
ウインドウにドーナツばかり神の旅
短日や客のとぎれぬ総菜店
ふりかけ海苔虚ろに散って冬の海
青銅に耳当て掛けてある日向
引き潮にもっていかれる冬安居
悉皆之事情はマトリョーシカへ寒
榾の火はしずかにつなぐ初時雨
左岸に生まれ冬の月と渡る
時雨の忌鉄鎖巻かれること疾く
裏側に猫の足跡羽子板市
炭の火のつかず自閉のとどまらず
放屁して最前線の初日の出
四国とはつっかけ沈む春の川
俳句の言葉について
残念だが前田氏のお話は私用で聴けなかった。以下、人づてに聞き齧ったレベルで思ったことを。
氏曰く、表現に包括されたものの展開と凝結の二種。で、凝結型の例に俳句、毛筆、竜安寺の石庭など。
竜安寺の石庭のインフラには禅がある。禅があるからこその石庭で、門外漢はただ思考停止するしかない。
では、俳句のインフラは、と愚考すると、とりあえず日本語・日本文化のコモンセンスってとこだろうか。
とすると、その感性は俳句の言葉を捉える上で常に重要。そしてなるほど、俳句において摂津が前衛だとする
認識の布置は偏った見方になり、同時に、日本語以外の言語による俳句は存在し得ないことにもなるだろう。
またこのコモンセンスのリアルタイムでの精査、言語化と蓄積が可能ならば、我々のたゆたう詩学をデジタル的に
捉えることすら可能だ。リクツの上では。講演録が出たら、もそっとちゃんと考えたい。
(C)Sunao Hashimoto 2007