ニセコ積丹北海道2007
 毎年主に初夏の頃に丹後半島一周をしていて、今年で31回目となった。そのほとんどは18年前に買ったユーラシアツーリングというランドナーがパートナーだった。今年は、その直前に転がり込んできた中古のクロスバイクのツーリングデビューの舞台となり、ユーラシアは出番を失った。しかし、6月知人からも一台ランドナーをもらって、夏になってランドナーマイブームがわき起こった。
 さあ夏は北海道を走ろう。前後にサイドバッグをつけてテントを積んで走ろう。北海道は1年ぶりだが、去年はクルマに自転車を積んでやってきた。今回のように自転車だけで走り回るのは6年ぶり。キャンプツーリングは7年ぶりだ。
舞鶴から小樽へ
 自民党惨敗の選挙速報を後目に、出発。旅の間、フェリーターミナル近くの市営駐車場にクルマを置いておくつもりでいたが、閉門の23時に間に合いそうにない。仕方がないので秘密の場所にクルマを止め、西舞鶴から東舞鶴まで自転車で走る。
 この日舞鶴発小樽行きのフェリーに乗る自転車は、私を含めて2台のみ。2日前に舞鶴での仕事のついでに乗船手続きに来たときには、金曜の夜とあってか、社会人とおぼしきソロサイクリストが見られたが。一昨日はクロスバイク系ばかりだったが、今日は2台ともランドナーに4サイドバッグという伝統的なスタイルだ。私の18年もののユーラシアツーリングはMTBなどのパーツに一部浸食されているが、堺から来たというベテランサイクリストのNISHIKIのランドナーは伝統的なパーツを揃えポリシーの貫かれた仕上がり。昭和50年代の新日本プロレスの黒のショートタイツに黒のリングシューズに象徴される正統派ストロングスタイルの自転車版だ。20年経っているというのにピカピカだ。
 私は2等の雑魚寝、ベテランサイクリストは寝台と別々だったが、船内では何度か顔を合わせツーリングの話、北海道の話、ランドナーの話をじっくりとすることができた。
 7月30日9時過ぎ小樽に降り立つ。船内で富良野方面に決めたベテランサイクリストは札幌市街をさけ石狩湾沿いのキャンプ場へ目指すという。私は、余市との境に近いキャンプ場だ。フェリーターミナルのそばの牛丼屋で夕食をすませ、公衆無線LANのFREESPOTでパソコンのメールチェック。
 夜の市街地は、発光ダイオードのヘッドランプをサドル部に固定し後方に向けて点滅状態で照らす。これがキャリアに積んだキャンプ用の銀マットに反射し非常に目立って、心強い。
 市街を抜けると徐々にクルマはまばらになり、煌々と降り注ぐ月明かりを浴びながら西に進む。いつしかR5は登りとなり、標高差100mも登った。うっすらと汗をかく。その後は下り。大荷物を積んでいるが、まっすぐな下りをとばす。狭いトンネルをいくつ囲えると海岸にでた。小樽市の西のはし、蘭島海水浴場のキャンプ場、砂浜にテントを張る。明け方は冷え込んだ。テンションのあがった若者たちは眠る気配がない。
ニセコの山を越えて日本海へ
フェリーから積丹岬 夜の小樽を行く 蘭島海岸の朝
 7月31日、5時起床。夏の北海道の朝は早い。遅くまで騒いでいた若者たちは、テントの外で談笑中。寝てないな。海は青く、積丹半島へと続く海岸は、黒い奇岩が林立している。
 パンをほおばり、テントを撤収して6時頃出発。眠りから覚めたばかりの静かな余市の街を行く。
 出発当日に宅急便で届いたテントはいい感じだ。前回のキャンプツーリングまでは、有名なモンベルのムーンライトを使っていた。それは軽くて自転車に積んで走るのにはいいし、設営も楽なのだが、ポールとテント地が別々の梱包になるのと室内が狭くて、夏場のキャンプでは体温でサウナのように暑くなってしまうのだった。新しいテントは、ムーンライトより0.4kg重いだけの2.5kgで、居住空間はかなり広く、ポールもまとめて一つに梱包できる。そして値段はムーンライトの半額の10,000円。宿泊料の安い北海道の宿でも3泊ほどでもとがとれる計算だ。ちなみに出発3日前にホームセンターで見かけたのだが、念のため家でネットで検索したら通販の方が3,000円も安かった。納期をみるとぎりぎり間に合うことがわかったのですかさず注文。出発当日の昼頃に届いた。何せ毎月4,000円近く払ってインターネットの契約をしているのだから、このくらいの恩恵は受けねば割にあわない。
 積丹半島へ向かうR229と別れR5は内陸部へ南下。すぐにセイコーマートがあったので、食糧補給。店の前で食べたら便意を催す。トイレだけのために再び店にはいるのが気が引けて、その先の余市駅でトイレを拝借。荷物を積んで走る自転車に見とれる道行く小学生たちに「おはよう」と声をかけると「おはようございます」と元気に帰ってくる。さらに、庭仕事中の熟年夫婦と目があったので、こちらとも挨拶を交わす。北海道をはじめ多くの日本の田舎では、地元の人ににっこり微笑んで挨拶をすると、たいがい返してくれる。その一方で、すれ違ったり追い越したりするときのオートバイとのピースサインはめっきり少なくなった。以前は、9割方のオートバイが手を振ってくれ、たまに挨拶をしないのがいると「無愛想なやつだな」と思ったものだが、今やその割合は逆転している。旅人同士の連帯感も薄れてしまったか。
 青空が広がり天気は上々。北海道らしい広い大地を行く。ただし、地形は北海道的だが、畑作や酪農でなく水田という北海道的でないものも見られる。、8時を過ぎ、R5の交通量が増えてきた。ただし路側帯が広くて快適だ。
ハンドル回り ニセコの山が見えてきた 羊蹄山も顔を出す
 稲穂峠への登りが始まると道幅が狭くなってきた。荷物が重くて登りではスピードががた落ち。それでも、標高266mの小さな峠は一息でクリア。いったん、標高100m弱まで下り、再び倶知安峠への登り。標高255mの峠を越えるとニセコの山が見えてきた。周囲は、シラカバかダケカンバかよくわからないけれど、夏でも涼しくさわやかな気候のところに見られる林となっている。
 走行距離やスピードは、サイクルコンピュータとGPSレシーバの2段がまえで計測。前者は車輪の回転から。後者は、人工衛星からの電波をとらえるカーナビゲーションと同じ方式だ。
 わずかな下りで倶知安の街へ。まだ、9時過ぎだというのに、もう50km以上も走っている。それも登り基調のコース。いい感じだ。去年は自転車を積んだクルマで移動しながら、要所要所で自転車を楽しんだ。しかし、今回のようにクルマがないと、自転車で走ることに集中できる。それしかする事がないのだ。日常のいろいろな面倒くさいこともすっかり忘れた。いや、正確には頭の片隅に残っているのだが、走ることに夢中でなにも気にならない。ただただ、ペダルを回し前に進むことだけである。
 倶知安の街中の広い道もまた北海道的だ。セイコーマートと大型スーパーマーケットで食糧を補給し休憩。
 倶知安からは国道を離れ道道58号線でニセコ連山を目指す。左前方にはニセコアンヌプリが大きい。後方(まさにである)にはニセコのシンボル羊蹄山が見えるはずだが、ガスに覆われて麓しか見えない。町並みが切れ、右手には小高い丘にスキージャンプ台が近づいてきた。それが旭ヶ丘公園。ここのキャンプ場が本日の第一目標だったが、まだ午前10時過ぎ。先へ行こう。
 道道に入ってから車の通行が減り走りやすい。道路脇にあった畑も、なくなりいつしか山間部へとはいる。山間部といっても北海道らしい緩やかな上り坂で、荷物を積んだ自転車にはありがたい。
鏡の中の私 ワイスホルン 妖しい水辺
 右手にワイスホルン、イワオヌプリと山々がさらに近づいてくる。
 それまで2車線あった道が、センターラインのない細い道にかわり、蛇行を始める。今回の旅の忘れ物は、セイコーマートのメンバーズクラブカードと、GPSレシーバーのメモリに入れておく北海道の地図である。後者についてであるが、道路の蛇行区間にはいるとGPSレシーバーの液晶画面に表示される軌跡と紙の地図に描かれた道路の形から現在位置が特定できる。
 右手にイワオヌプリが迫ってきた。山頂部のトサカのようにたつ岩がガスに見え隠れしている。登りで汗が出るが、足を止めると風がひんやりして心地よい。
 ガスが晴れ、イワオヌプリの稜線を歩く、アリのような人影が見えた。立ち止まってみていると、向こうも足を止めた。向こうからもこちらが見えているのだろうか。
 標高は1000mに満たないが、周囲は高山のようなお花畑となり、さらに流れる水には硫黄分が含まれているのか妖しく澄んでいる。
 標高800mに到達したところがアンヌプリとイワオヌプリの鞍部。ここからいったん下る。
 五色温泉、ニセコキャンプ場を通過。ここのキャンプ場も本日の宿泊候補地であったが、今朝方海岸のキャンプ場でも寒かったのに、標高700mを越えるこんなところでキャンプをしたら凍えてしまう。おそらく寒さへの備えをした登山客が主な利用者だろう。とにかくニセコの山を越えよう。
大展望 下界に降りる 平野を行く
 快調に下っていくと、左、つまり南側の展望が開けてきた。ニセコの町並み、広大な畑と牧草地帯、丘陵地帯だ。
 ここで携帯音楽プレイヤーから流れてきた曲は、松山千春の「大空と大地の中で」だ。これが見事にはまった。自分の脚で一歩一歩積み重ねた標高差。見よ、これがおまえ自身が自力でつかみ取った絶景だ、と言われているようだ。
 道は標高600m付近まで下って道道66号線に合流し、再びチセヌプリとニトヌプリの鞍部を目指して登る。山肌に取り付くヘアピンカーブを登るトラックが見える。200mあまりの登りだ。
 GPSレシーバーの画面の軌跡がロードマップの道と同じ形を描く。少しずつでも進んでいけば、確実に目的地は近づいてくる。前に向かって進むのみだ。
 そして、鞍部を越えれば…。大展望が待っていた。岩内の市街地と酪農地帯、そして石狩湾と市街地との境に弓を描く浜から、積丹半島の断崖へと表情を変える海岸線だ。エンジンの力で登ったのでは味わえない感動を抱きながら下りをとばす。
 標高差800mを越えるダウンヒル。自転車はいつしか風の谷のナウシカのメーヴェとなって滑空する。
 見下ろしていた海や街が徐々に目線の高さに追いついてくる。町はずれの高台程度まで降りてきたとき辺りは白い花の絨毯になった。ソバの花だろうか。そのど真ん中を一直線に道は下っていく。下界へと降り立つための滑走路だ。
 かつては、新潟との間をフェリーが行き来していた港を持つ岩内。道の駅のベンチに座ってしばしボーっとする。
 今日の走行距離はもう100kmに達しようとしている。どこまで走ろうか。岩内の中心から積丹半島側にはしばらくキャンプ場はない。神恵内辺りまで走ることになろう。
 補給のためのセイコーマートを探しながら岩内の街を走り出すが、結局見つからないまま街を抜けてしまった。ニセコパノラマラインではわずかだったクルマが、下界では多い。
 パノラマラインからもはっきり確認できた泊原子力発電所が迫ってくる。なぜか、発電所の上の高台にはいくつもの発電風車が回っている。
 のどの渇きに耐えかね、仕方なくローソンに入って飲み物を補給。
積丹半島に入る 夕日が沈む 盃温泉のキャンプ場
 泊原発をパスするトンネルの手前で、初めて自転車旅行者とすれ違う。初老の男性だ。トンネル内は片側にしか歩道がないので、こちら側の車線の歩道を走って来たようだ。
 トンネルを抜け泊にはいると、道は岩場の海岸を細かくアップダウンする。海側に日が傾き、オレンジ色の海がキラキラと輝いている。
 ここでようやくセイコーマートに到達。今夜のビタミン補給のためのトマト、そしてバナナ、それからお茶を買い込む。2Lのペットボトルがスーパーマーケット並に安い。
 泊から神恵内への境界の寸前に、杯温泉がある。ここにキャンプ場があるのでのぞいてみる。高かったら、神恵内のキャンプ場へ足をのばすまでだ。
 道路を渡って、ほんの3件ほどの宿泊施設を抜けた山側にキャンプ場がある。バラスの駐車場を抜け、短い遊歩道の先にはきれいな芝生の中に何とも整った炊事場がある。高そうだなぁ、と思ったが、案内板には受付のことがかかれていない。なんと無料だった。しかも、家族連れが3組と空いている。今夜の宿泊場所が決定した。
 とりあえず、明るいうちにと、テントを設営。荷物をテント内に放り込んだら、風呂だ。国民宿舎もいわ荘へ。温泉浴場は2つのフロアとなっているが、男湯・女湯をフロアで分けずに、それぞれが1階と2階に浴槽や洗い場を備えている。不思議な作りだ。露天風呂もあってご機嫌。まだ明るいせいか空いていて、これまたご機嫌。
 風呂を出て、海岸へ。コンクリートに腰掛けて夕日を眺める。海岸にもテントが張られている。こちらは海水浴客で、1泊の駐車料金を払ってのキャンプと見受けられる。
 ああ、今日は良く走った。アップダウンのある119km、11時間以上。まだこれだけ走れる力があったんだ。
 太陽が水平線に沈むのを待ちきれず、キャンプ場に戻る。明るいうちに食事をしよう。
 駐車場にオートバイが、キャンプ場には一つテントが増えていた。そのテントの前にはヒールの付いた履き物。女性らしい。結局テントにこもりっきりだった。
 自分のテントに入って食材と炊事用具を出そうとしていたら、携帯電話にメールの着信。友人から「自転車を盗まれた」という内容の物。それは使わなくなった自転車だが、私を通じて別の人の所に行く予定になっていたのだ。とりあえず今は頭が働かないので明日返信することにして、湯を沸かしてレトルトご飯とレトルトカレー2食分だ。
 食べ終わって後かたづけをしたら、日が暮れ辺りが暗くなった。夕暮れが消灯だ。結局ランタンは使わず、寝袋にはいる。ヘッドランプをつけて本を読みかけたが、内容が頭に入らず数ページで断念。最後に時計を見たのは20時だった。
積丹岬巡り
 5時頃目覚める。適温でよく眠れた。外は予報通り曇天だが、降り出しそうな気配はない。
 朝食をとって8時前に出発。すでに今日の小樽到着が見えている。アップダウンは少なく100km余。昨日と比べれば楽勝、2時間遅い出発だ。
荒々しい海岸線 ニセコの山は雲の中 強風のジュウボウ岬付近
 やや向かい風。海を左に見る。振り返れば、ニセコの山々は頂上を雲に隠している。やはり昨日のうちにパノラマラインを超えて正解だった。今朝ならあの大展望は味わえなかったかもしれない。しかしこうしてみると、斜里やウトロから見る知床連山にも似ている。
 神恵内の中心街を抜けると、あとは奇岩の並ぶ海岩が続き、忘れた頃に小さな集落が現れる。そしてトンネルが多い。入り組んだ海岸線に沿った旧道の岬を越える小さなトンネルをふさぎ、半島を根本から横断する大きくて新しいトンネルの道が付いているのだ。
 交通量は少ないがダンプの割合が多い、と思ったら、まだ新しい道への付け替え工事の最中のところがあった。そこを越えると、ダンプともお別れ。交通量がほとんどなくなる。
 この新しいトンネル建設は、1996年2月の豊浜トンネル崩落事故に因するとのことだ。
神威岬 道営野塚キャンプ場 積丹岬
 本州の人間から見ると、北海道の海沿いの集落はどことなく共通の雰囲気があるような気がする。そんなことを思いながら走っていると、携帯音楽プレイヤーから流れてきたのは、森進一「襟裳岬」。またも、はまってしまった。青空でなく、曇天の空模様がぴったりだ。
 6年前に襟裳岬から黄金道路を走ったときには、冒頭とさびの部分しか知らなかったが、そこばかり頭の中で繰り返していた。そのあと道東へ進み霧多布岬から根室納沙布岬への海岸線もずっと頭の中のBGMとして繰り返していた。
 「悲しみ、寒い、なにもない」という歌詞とは裏腹な明るく穏やかな曲調が、厳しい自然環境で日々暮らしている人々の心を洗わしているようであり、それは今はユースホステルとしての営業は止めてしまった「えりも岬ユースホステル」(民宿になっているらしい)のお母さんやスタッフ達の人柄からそう感じるのかもしれない。どこの馬の骨かもしれない旅人たちを、まるで家族か友達のようにもてなす彼らの姿を歌った歌、それが「襟裳岬」と思えてしまうのだ。
 ちなみに、「襟裳岬」がはやった1974年、私は「マジンガーZ」に夢中な保育園児。さらに北海道内陸部走行の主題歌「大空と大地の中で」がアルバム曲として発表された1977年に、私は小学校に上がっていたが松山千春などという人は知らず、知っていた歌手といえば、キャンディーズにジュリーにピンクレディー。「8時だョ!全員集合」によく出ていた人ほど知っているのだ。
 リアルタイムでは知らなくても、生き残るものは受け継がれ、こうして「北海道私的ベストセレクション」として携帯音楽プレイヤーのプレイリストに納められるのだ。
 珊内、川白を過ぎジュウボウ岬辺りで集落がなくなった。それまでは複雑な海岸線の地形で向きが定まらなかった風も、ここでは猛烈な勢いで海から陸へと吹いている。自転車を風上側に傾けないと倒されてしまう。海岸には消波ブロックが敷き詰められている。周囲の奇岩はより不気味に林立し、遙か前方には神威岬が見える。ここが、1996年になるまで道路がなかった区間だ。河口近くに橋が架かっていなかった十勝川と並んで、北海道一周サイクリストに大きな迂回を強いてきた場所である。
 観光ポイントである神威岬が近いせいかとばすクルマが出てきたので、トンネルは歩道にあがる。トンネル内は風が遮られ楽である。
 前方から一台の自転車がやってきた。今回2人目の同士だ。挨拶を交わしながら狭い歩道をすれ違う。海を間近で見ようと、右側の歩道を走行しているのだろうか。半島を巡るのは時計回りがいい。
 神崎の集落から道は波打ち際からだらだらと高台にあがり、R229から神威岬へ向かう道にはいるとさらに登りはきつくなる。やっとの事で駐車場にたどり着く。岬の灯台までは遊歩道があるが、途中からは「強風のため通行止」となっていた。それでも、海は青く澄んできれいだった。海底の砂が白いのだろう、明るい青だ。
 積丹岬めざして国道から道道913号線へとさらに進む。ウニ丼という幟や看板の立つ店が目立つ。
 道営野塚キャンプ場は、道路と浜に挟まれた敷地にテントがぎっしり。海水浴をしている家族連れも見られる。ここも宿泊候補地の一つにあげていたが、泊まっていたらさぞかし賑やかだっただろう。
島武威海岸 グリーンホリデー 牧場みそラーメン
 積丹岬もを離れ厳しい登り。一昨日の夕方、フェリーの甲板から見たとおり海岸から一段上がった台地に立つ灯台からは雄大に海が見渡せるが、眺めは神威岬の方が若干上か。
 ところで、積丹半島付近の島武威海岸は、「日本の渚100選」の一つということだ。実は、海に面していることを知らない人もいる京都府も、琴引浜、舟屋の伊根湾、天橋立と100選に3つも名を連ねている。もちろん、都道府県別では北海道がダントツに多いのだが。
 そんな京都府の丹後半島は「積丹半島に似ている」と聞いたことがある。もう15年以上前の話だ。具体的には丹後半島先端部新井崎近くのノロセ海岸と、この島武威海岸ということだったと記憶している。それを確かめるためというのも、今回積丹半島を訪れた目的の一つだ。
 そして、実際に訪れてみて丹後半島と積丹半島にはもっと別の共通点があることを感じている。それは自転車で走っているからこそ感じることなのかも知れないが、スケール感や自然と人間の営みの割合といったことである。確かに地図でみても、丹後半島より一回り大きいのが積丹半島で、規模が似ている。実際自転車で走れば、集落間の距離やアップダウンの大きさなどとなって現れてくる。これが、知床半島や青森の下北半島ならば、丹後半島よりも遙かにスケールが大きく、そして秘境ムードもずっと高い。
 脱線するが、能登半島や佐渡島の北部も、積丹半島とはまた違う意味で、丹後半島に似ている。地図をみれば、いずれも北東に向けて半島が伸びている。その先端部の岬よりも北西側は冬の季節風で荒れる波をまともに受けるため、ほとんどの集落が高台にあり、それらをつなぐ道は激しくアップダウンしている。ところが岬よりも南東側はいつも穏やかな入り江に面して波打ち際に集落があり、海の間近に道がついている。能登では「外浦」「内浦」といって区別し、丹後では穏やかな側には舟屋集落が波打ち際に発達した。
 さあ、そろそろ腹が減ってきたが、神威岬でビスケットを食べてしまい、もう行動食もない。補給しなければ。ちょくちょく見かける「セイコーマート美国店」の看板を頼りに進むが、積丹岬を過ぎて道は緩やかに登り、なかなかはかどらない。
 道道913号線から国道に入ってすぐに現れたのは「グリーンホリデー」という食堂や物産販売の店。すかさず飛び込む。食堂では、おばあちゃんが「自転車ですか」と暖かく迎えてくれる。ここは、年代の異なる女性3人が切り回している。親子三世代かどうかは定かではない。中堅の女性は、お金を払うときにレジの引き出しをあけたらものを落としてしまい、それで笑いのスイッチがオンになった。背後からの笑い声に見送られて店を出ることになるのだ。
 でも、私が一瞬で飲み干した水のお変わりをくんでくれた一番若い娘さんは、すらりと背が高いモデルのような人。実は、その端正なお顔を、旅を終えてから再び拝むことができたのである。その話はまた後ほど。
 さて、その「グリーンホリデー」で食べたのは、「牧場味噌ラーメン」。野菜がたっぷり入ってボリュームがあり、「良かったらご飯も無料でついてますよ」とのこと。いやぁ、心も腹も満たされちゃった。
 さあ、R229をいく。しばらくは内陸部。海が見えたら積丹町の中心街である美国。看板の通りセイコーマートがあったので、行動食と2Lのお茶を買う。
 余市や小樽方面である半島の東側は街もあるし、観光色も強く、交通量が多い。
 道路沿いにはやたら「ウニ丼」と看板を出した店が並ぶ。私は、どうして高い金を出してまであんなものを求めるのかわからない。まあ、おいしくなくはないのだが、お金がもったいない。食べたくなったら(あんまりならないけど)、丹後の海でとれたものをすぐただで食べることだってできる。もちろん、密漁ではない。地元では、そんなつてもあるというわけだ。
 また、全体的にトンネルが多い。交通量が増えれば、恐怖が募る。
 今年6月の悲報が頭をよぎる。青春時代を戦争に奪われた80歳の男性が、自転車での日本一周の旅に出て、出発から1年2ヶ月、ゴール寸前にトンネルでダンプに追突されて亡くなってしまった。彼が旅先で出会った人たちに残したメッセージは、つい先日(7月26日)のNHK「クローズアップ現代」でも取り上げられた。
 とにかく死にたくないので、夜間走行の時と同様、サドル部分に付けたライトを後方に点滅させる。これは、キャンプ用のヘッドランプで、頭に着ける時のゴムの長さを調整して、サドルに提げたバッグに固定している。ゴムによる固定なので、複数の自転車で使い回すことができる。テールランプも市販されているが、専用の台座をあらかじめボルトでフレームに固定しなければならず、それでは1台の自転車専用となってしまう。出先での電源確保を考慮し単三電池一本、玉切れ防止と電池の持ちを考えてLED(発光ダイオード)のものを苦労して見つけた。
 古平から余市への境のトンネルを越える。これが、豊浜トンネル。'96年、崩落により通行中のバスなどクルマを押しつぶし、乗っていた人がすべて亡くなった大惨事を思い出す。もちろん、今のトンネルは新しく立派なものだ。積丹半島のシンボルの一つ「ローソク岩」は、新しい道沿いからも見えるが遠いので、トンネルを出てから旧道をたどって眺める。
 途中には、新しいトンネルが建設中で、古くて狭いトンネルをいくつ囲える。ダンプが怖い、崩落が怖い。
ローソク岩 奇岩が続く 元気な若者
 余市の市街地の手前出足平峠。登坂車線があり、クルマがびゅんびゅん。峠の標高は100mと知れている、のんびり越えよう。
 それを越えると余市の市街地。昨日の早朝走った道へと戻ってきた。
 市街地を抜けても、交通量は多いし、道路沿いにはリンゴなど果物の直売所があり、そこに立ち寄るクルマが路側帯を塞いでいる。その区間を越えると、またトンネルの連続。ストレスがたまる。我慢、我慢だ。
 フェリーで上陸したあとキャンプをした蘭島海岸の入り口のセイコーマートで小休止。
 そのあとの海岸のトンネル連続区間は、歩道のあるトンネルでは歩道を選ぶ。その一つでは、途中で歩道が狭くなって、サイドバッグを擦りそうになり徐行。そこを、クルマの多い車道を悠然と走って歩道の私を追い越す荷物を積んだクロスバイクが一台。若いサイクリストだ。
 さらに、そのあと最後の登りにかけて、若いクロスバイクサイクリストたちに次々と抜かされる。女性もいる。直線だからずっと彼らの後ろ姿が見える。走りが若いなぁ。立ち漕ぎを交え、あえぎながら力を振り絞って登っている。私にはあんな走りはできない。とても後に付いていくことはできない。彼らの勢いをただただ見守りながら、ゆっくりじわじわペダルを回し続けるだけだ。そして登り切ったところで休憩している彼ら(グループだった)の脇を悠然と抜ける。その後もう追いつかれることはなかった。
 1994年4月4日、橋本真也の猛烈な蹴りを受けまくり、瀕死の人間サンドバッグ状態からの藤波辰巳の逆転劇が頭に浮かぶ。当時28才の橋本は、飛ぶ鳥を落とす勢いの王者。一方的に不利な試合展開の中、一瞬の隙をついて電光石火の大逆転。40才の藤波はIWGPヘビー級選手権5回目の王座に返り咲いた。「確かに一方的にやられていた。でも、俺は死んではいなかった」という試合後の記者会見でのコメントが印象的だ。
 道は平らになって、そのうち長いトンネルに入り、それを抜ければ小樽の市街へと下る。運河のあたりは観光客があふれ、人力車が行き交っている。
 小樽では、まず「ポセイ丼」という店に入る。イクラ丼は600円、鮭の親子丼は700円と釧路の和商市場並に安い。ほかの店の半額程度だ。しかし、ここでもウニ丼は高く、積丹半島の小樽の店の値段と変わらない。親子丼を食べる。
 フェリーターミナルで、復路のチケットを本日乗船に変更。休みは日曜までなので、往復割引で4日の土曜でとっていたのだ。1回目の変更は手数料がいらない。早く小樽に戻ってきたら、その場で変更したらいいのだ。
 フェリーの手続きを終えたら、運河の近くの土産物屋が並ぶ界隈に移動しベンチでボーっとする。文庫本の開いてみるが、やはり頭に入らない。ちなみに本は石田ゆうすけ「行かずに死ねるか」。1995年から2002年まで、7年5ヶ月の世界一周の自転車の旅をまとめた本だ。石田氏は1969年生まれの魚座とのことで、親しみを感じる。自分と生年月日がひと月も違わない人が、自転車に乗っているのだ。そのたびのスケールは雲泥の差であるが。
 辺りが暗くなるまで、行き交う観光客や観光馬車を眺めて過ごす。そうだ道東の友人にメールを出しておこう。野外活動のガイドをするため移住したのに、同乗者として交通事故にあい、シーズンを棒に振ってしまったのが昨年。斜里の病院で再会したのは1年前ことだ。とにかく休憩の度に誰かにメールを送っているような気がする。普段は面倒で必要最低限しかやりとりしないのに。
 この界隈にも「ポセイ丼」の支店が新たにできていたので、今度はホタテとサーモンが乗った「運河丼」。
 あとFREESPOTでパソコンのメールチェックと携帯電話で更新していたブログのチェック。また、知人のブログにもコメントを書いておく。私は、携帯電話以前から携帯用の端末(ハンドヘルドPC)と公衆電話を使って、パソコン通信やインターネットに旅の報告を送っていたモバイラーである。携帯端末は当然の装備。小樽にFREESPOTがあることは分かっていたので、無線LANカードも装備に入れてきた。その名の通り無料。
 3,4年前には、日本一周などのサイクリストがノートパソコンをもって旅をすることは珍しくなかった。「日本一周」「自転車」とキーワードを連ねてネット検索をかければ、現在進行中の旅行記がいくつも引っかかった。私の家に泊めた当時京都大学休学中のサイクリストは、そうやって泊めてもらう話が旅先でまとまっていく。
 今なら、全国各地にできた「マンガ喫茶」が便利だ。FREESPOTは数が少ない。パソコンなどの端末を携帯電話を繋いででネットに接続することもできるが、これは割高になる。
 といっても、携帯電話で直接ブログやネット掲示板に書き込むのが手軽で、メールのやりとりなど日本中どこでも行われ、「一億総モバイラー」といった感じだ。
 ちなみに石田ゆうすけ氏は、都市部のインターネットカフェを使って、旅の途中でメールアドレスを交換した世界を旅するサイクリストやバックパッカーと連絡を取り合い、南米やアフリカで集結したり誰かを待ち受けたりしていたという。個人のパソコン普及率の低い国の方がネットカフェの需要は大きいのだ。
 情報化は、旅にも浸透してきている変えようとしている。
 小樽港のセイコーマートで船内で食べる食料を買って、乗船までの数時間をフェリーターミナルで過ごす。乗船を待つ客が集まり、そこへ到着したフェリーからの下船客が加わって混雑。来週からはもっと混雑するはず。
 クルマ、オートバイに対する乗船案内はあれど自転車への案内がないので、こちらから動き出す。自転車は一台きりだった。「ほら早く早くオートバイの乗船の列に並んで」とせかされたが、別の係員からは「オートバイや大型トラックが乗ってから最後になります。しばらくお待ち下さい」と言われ延々待たされる。少数派はつらい。半袖半ズボンではふるえるほど寒くなってきた。
 船内は冷房で寒いので、風呂に入ってからは、長袖長ズボン姿で過ごす。
 翌日の船内では、ほとんど寝たきり生活だったが、疲れているのになかなか熟睡できない。以前は、復路の船ですっかり体力を回復させることが出来たのに。時々起き出して甲板でGPSレシーバーを起動し現在位置を確認したり、夕方には船内ホールで上映された映画を見たり。旅行記を書いたり本を読んだりすることは出来なかった。
 断続的に携帯電話が通じるようになったら、越前岬を過ぎて若狭湾。
 オートバイたちと共に空気の悪い車両甲板で4輪車が降りるのを待たされてから、蒸し暑い舞鶴へ降り立つ。国道をさけ、五老ヶ岳のふもと、月明かりの湾岸道路を西舞鶴へ。クルマに自転車を積んで、ラーメンを食べてから丹後に戻る。
小樽の街 鮭とホタテの運河丼 下船待ちの船内
 さて、後日談である。旅の報告やら、注文していたパーツの受け取りやらで、いつもお世話になっている自転車店「BULLDOG」を訪れ、店に置いてある「サイクルスポーツ」誌をぱらぱら見ていた。すると積丹半島のことが載っている。石田ゆうすけ氏の連載「ぼくの細道」である。石田氏も2ヶ月前(帰宅して彼のBLOGで調べた)に走ったんだ。で、その記事の中でもっとも目を引いたのは、グリーンホリデーのあのお姉さんの写真。やっぱり、目を付けるところが同じだ。
データ編
◎行程
7月29日 月夜(^^) 10.8km
 西舞鶴某所 - 舞鶴港フェリーターミナル

7月30日 月夜(^^) 16.7km
 小樽港21:30 - 22:45蘭島海水浴場

7月31日 晴\(^O^)/ 120.0km
 小樽市蘭島海水浴場[8]5:48 - 6:20仁木[19]7:08 - 8:07稲穂峠[243] - 9:38倶知安峠[250] -  9:50倶知安[188]10:43 - 13:19アンヌプリ・イワオヌプリ鞍部[798] - 13:23五色温泉[753] -
 13:43道道  号線分岐[615] - 14:23チセヌプリ・ニトヌプリ鞍部[834] -
 15:20岩内[9]15:35 - 16:17泊[29]16:35 - 17:11盃温泉[20]

8月1日 薄曇り(^^) 110.4km+8.9km
 盃温泉7:12 - 8:17ジュウボウ岬 - 9:01神威岬[72]9:39 - 10:26積丹岬[127]10:55 -
 積丹町浜婦美[194] - 11:48婦美[134]12:30 - 12:40三国12:50 - 13:13小平 -
 14:11出足平峠[105] - 14:30余市 - 15:46小樽(その後小樽周遊8.9km)

8月2日 月夜(^^) 11.2km
 舞鶴港21:26 - 22:04西舞鶴

総距離 約278km
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