定福寺「笑い地蔵共和国」最後の修行
定福寺ユースホステル「感謝の集い」
 8月3日土曜日、丹後を出発。舞鶴自動車道、中国自動車道、山陽自動車道、瀬戸中央自動車道、松山自動車道、高知自動車道と乗り継いで、16時過ぎに大豊I.C.へ。夏の日差しが強くて、暑い暑い。
 I.C.から少し北上して、JR土讃本線の豊永駅付近からR439を東へ約2km、粟生の定福寺へ。すでに多くの人が到着しているようで、スタッフの誘導で駐車場にクルマを止める。
 かつてのユースホステルのホールでは、夜の「感謝の集い」の準備中。懐かしい顔がちらほら見える。お手伝いをするつもりできたけど、あまり大勢で動いても混乱するだけ。何でも、元ヘルパーを中心に、定福寺のリピーターとその家族70名以上が集まったという。結局一部のスタッフが動いていて、それ以外の大勢はうだうだして過ごしている。私もうだうだ。会場や庭をうろうろして過ごす。どれもが懐かしい風景だ。
 定福寺の境内はハスをはじめとする植物がたくさん生えていて、“万葉植物園”となっている。
 また、定福寺は谷の北側の深く切れ落ちた斜面にあり、その対岸の山々の奥には梶ヶ森という1400mの山が見えている。梶ヶ森はその昔弘法大使が修行した山とのことで、山頂近くには定福寺の奥の院がある。そして、梶ヶ森への登山は定福寺公認の修行コースの一つとなっていて、多くのホステラーが登っている。私も、徒歩で3度、自転車(山頂には無線の中継アンテナがあり、車道が通っている)で1度登っている。
 梶ヶ森はこのエリアのシンボル的存在で、大豊のI.C.を降りて定福寺に向かう途中に梶ヶ森が見えてくると、ああまた来たんだなあ、という気持ちがこみ上げてきた。
 18時前に準備が整い、ホールの外のテラスに集合して記念撮影。そして、ホールの中でセレモニーが始まった。今回の発起人や定福寺の住職のあいさつ。“笑い地蔵共和国”“五大修行”などのアイデアと、茶目っ気たっぷりのキャラクターで定福寺ユースホステルの全盛期を築き上げた住職の短い言葉には、ユースホステルに対する思い入れを感じずにはいられなかった。
 セレモニーが終わり、食事が始まるとテラスの席に移動。人数が多すぎてホールに入りきらないのでテラスにも席が設けられているのだが、こちらが大正解。涼しいし、梶ヶ森を初めとする定福寺の周りの山々の夕暮れ、そしてその後の満天の星を見ながら美しい時間を過ごすことができた。この地方の名物で“皿鉢(さわち)料理”という、野菜、肉、そして鰹のたたきなどの魚、さらにはデザートの羊羹まで、ありとあらゆる鮮やかな食べ物を満載した大きな皿のような鉢の料理が、70人でかかっても食べきれないほどたくさん出てきた。
最後の修行へ
 7時、緑に囲まれた境内を歩いて本堂へ。そこで座ろう会。約30分の座禅。その後、本堂の外に出て境内に新たに造られた遊歩道“万葉の道”を歩く。
 再び、かつてのユースホステルの建物に戻ると8時頃。これから朝食が始まるのだが、私は出発。スタッフに挨拶すると、急いで記念品を用意してくれた。私の勝手な行動にも気持ちよく応じてくれた。そうして、8時14分、出発。
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【期 日】2002年8月4日(日)
【行 程】[  ]は腕時計内蔵の高度計からの標高データ
 高知県大豊町粟生(定福寺)[260]8:14 - 9:04西峰[549] - 10:50京柱峠[1130]
11:26
 12:08徳島県東祖谷山村新居口[519] - 12:40かずら橋(西祖谷山村)[415]12:48 -
 12:58西祖谷山村一宇[351] - 13:58山城町祖谷口[128] -
 14:37大歩危峡(山城町)[183] - 15:54大豊町粟生(定福寺)
【車 種】MTB(TREK6500)
【メンバー】はいかい
【距 離】88.4km
【速 度】平均:15.3km/h  最高:46.3km/h
【タ イ ム】7時間20分(実走時間:5時間46分)
【天 候】晴、あついあつい(^O^;)
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 定福寺を出てしばらくは南小川に沿ってほぼ平坦なルート。“福寿草の里”南大王への分岐の狭く古い、いや懐かしい雰囲気の集落を抜けると緩やかな登りが始まる。
 林間の道ではGPSレシーバーが測位衛星の電波を捉えきれずトラックデータがとぎれ気味。前方の道路に木の実が落ちていて、それをリスが食べていた。私が近づくと、リスは急いで道路脇の林に消えた。道の残った木の実を食べに戻ってきたら写真を撮ってやろうと待ち受けるが、結局根負けして出発。
 徐々に登り勾配が増し、西峰という集落までくると谷はかなり深くなりはるか下に川の流れを見下ろすようになる。
 ここもいい感じに古い佇まいの集落だ。その雰囲気を写真に収めようと自転車を降りると、初老の男性が話しかけてきた。「どこから?」から始まる一連のやりとりの後、定福寺の話題になった。「今でも泊まれるのか?」「いえ、昨日だけ特別に」。その話しぶりからして、どうやらその男性も定福寺がユースホステルを止めたことを残念だと感じているようだ。
「笑い地蔵共和国」と「五大修行」
 定福寺YHの名物は、五大修行。定福寺周辺を自転車や徒歩で巡る5つのコースだ。今日のコースもその五大修行の中の一つ。というより、かずら橋、祖谷渓、大歩危・小歩危などのメジャーなポイントをつなぎ、標高差800mの京柱峠を越えての90kmというハードさからしても、代表的な修行コースといえる。私のような日頃から自転車を楽しんでいる者以外でも、多くのホステラーがYHのレンタサイクルでこのコースを走ったのだから驚きである。
 それ以外のコースは、例えば前出の梶ヶ森へ歩いて登ってくるというのもその一つであるが、あまり有名な観光地を訪れるというたぐいの者では全くない。けれども、多くのホステラーがこの修行コース、つまり定福寺周辺の自然豊かな土地を歩いている。
 また、1985年以降、松山YHを中心に四国のいくつかのYHがそれぞれ共和国を設立し、全体で「四国ユースホステル共和国連合」を立ち上げた。定福寺YHは'86年に「笑い地蔵共和国」を名乗って共和国連合に加盟している。
 共和国スタートで、大統領になった釣井住職は、五大修行のうちの京柱コースを含む3コースをこなせば笑い地蔵共和国の「国民栄誉賞」。5つすべて達成することができれば「人間国宝」となる。これらを達成したらその夜の夕食の後に表彰式が行われ、立派な表彰状と記念品がもらえる。また、受賞者は記念写真がYHの壁に飾られる。
 表彰式はなくても毎夜修行コースの説明が行われ、修行者がその日の出来事を説明する。これが新鮮で、また新たな修行者を生み出す。
 実は私もその口で、'90年夏に五大修行など何も知らずに泊まった夜に、その日京柱コースを走った二人組の青年の話と、別のもう一人の青年の国民栄誉賞授賞式があまりに印象的で、翌'91年の春先に国民栄誉賞、その年の夏に人間国宝をゲットしている。
 こうして、どんどん連泊者、そしてリピーターを生み出している。また、たまたまとなり会わせた人がグループで修行コースを行き、さらにそんなことを何日も続けるなんてこともあり得るわけで、このYH知り合い、そのご連絡を取り合うようになるということも珍しくない。それが男女ならば、結婚というのももちろんある。
 ちなみに、国民栄誉賞はのべ500人以上が受賞、人間国宝にものべ約200人ほどが認定されている。私は、国民栄誉賞の246号と406号。人間国宝の109号である。京柱などの人気コースはのべ1700人以上の修行者を記録している。
 修行コースに出かけるときには、腰に「修行中 笑い地蔵共和国 定福寺ユースホステル」と書かれた20×35cm程の大きさの布を下げる。定福寺周辺地域では、この布を腰に下げた若者が自転車や徒歩で行き交い、「過疎の村に活気が出る」と評判になった。
 実は今日もその布を腰に下げている。先ほどの人は、その布を見て私に話しかけてきたのだろう。
京柱峠
森の豊富な証拠 峠が見えてきた この達成感のために
 西峰の集落がとぎれると、前方に京柱峠が見えてくる。「先の長さが見えてぞっとする」という人もいるが、私の場合はここから楽になる。今日もそうだ。順調に近づいてくる目標、心拍数も呼吸も安定し順調に有酸素運動が行われて快適にペダルを回す。
 周囲の緑の稜線は徐々に低くなり、谷を深く見下ろし自分が登ってきたことを実感させる。振り返れば、遙かに梶ヶ森のゆったりとした山容。定福寺からは見上げていた山頂が、かなり目の高さ近くまで下りてきている。
 交通量は少なく、追い越していくクルマは数えるほど。西峰を過ぎてからはなぜかすれ違うクルマはなかった。
 峠の手前で先ほど抜かしたふつうトラックが止まり、中年夫婦と犬がいた。山菜採りだろうか。男性が「あとちょっとだね」とにっこり。こっちもにっこり。

 そして、京柱峠。定福寺から、17km、標高差800m。なんと、2時間36分もかかった。'91年春には1時間39分、'94年夏と'95年夏にはどちらも2時間だ。年をとったのだから仕方ないだろう。
 それにしても風がさわやかだ。気温は26度。
 登ってきた方向を振り返れば梶ヶ森が雄大な姿を見せている。そして、手前には南小川の大きな谷。その谷の両サイドの斜面の所々には小さな集落がへばりついている。残念ながら定福寺は山襞に隠れて見えない。また、吉野川本流も見えない。
 反対方向、剣山方向を見えても、四国の山々が折り重なる様子が見える。天狗塚や山嶺などの山に阻まれて、剣山は見えない。
 峠には「土佐の国 ようこそ大豊町へ」と書かれた碑が懐かしい。周辺の地図には定福寺も出ている。「ユースホステル」という標記が消されているのが少し寂しい。
 峠の湧き水も相変わらず冷たくて、飲むにも顔を洗うにも気持ちいい。これは、1994年の渇水の夏、この近くの早明浦ダムが干上がったときにも、こんな高所にありながら枯れなかった湧き水だ。ここだけではない、梶ヶ森の山頂近くの水も、定福寺の本堂脇の水もみな枯れなかったのだ。自然の保水力はダムの碑ではないのだ。
 お茶を飲み干したペットボトルに水をくむ。これが、我が地元の自転車店「BULLDOG」へのお土産だ。BULLDOGの店長は湧き水にこっていて、HPで丹後の名水を紹介するほか、いくつかの名水の聞き水をさせてくれたり、名水で入れたコーヒーを飲ませてくれる。後日談だが、ここでくんだ水を持っていったら、早速それでたてたコーヒーを入れてくれた。
 峠で、一番変わっているのがここに峠の茶屋ができていること。プレハブのような簡単な作りの小屋(失礼)でうどんやカレーライスなどの軽食がとれる。入り口の戸や窓が開け放たれていることにも、ここのさわやかさがあらわれている。天然のクーラーなのだ。
 私は、赤飯を食べる。昨日の夜に朝食をキャンセルしたら用意してくれたものだ。
峠を降りて祖谷渓へ
かずら橋 V字の祖谷渓 大歩危峡
 峠でのんびり過ごしてから、徳島県側へと下る。R439ならではの細かいカーブが連続する一車線の道なので、コース取りとブレーキングに注意を払いながら慎重に下る。過去4度は、ブレーキの利きの悪いランドナーだったが、今回はマウンテンバイクで来ているのでVブレーキの強烈な制動力がありがたい。
 ところで、私が前回このコースを走った'95年から現在までの間に、レンタサイクルでの修行者がこの下りで事故を起こしたそうだ。自爆だったか、相手があっての事故だったかは忘れてしまったが、前歯が折れてしまうほどの怪我をしたそうだ。その事故が原因となって、定福寺のレンタサイクルは廃止。人気の京柱コースなど、自転車で巡る修行コースは自分で自転車を持参した人限定となり、結果として修行者を減らすこととなった。
 その後、定福寺では身内の不幸が相次ぎ、喪中のためのYH休館が数年間にわたって繰り返された。これが、YHを閉めることになった直接の原因とのことだが、夏休みのYHの他客期と盆のお寺の忙しい時期が重なった時の人手不足などいろいろなことが重なっての決断だったのだろう。もちろん、上の事故によるレンタサイクルの廃止も関係しているのかもしれない。
 とにかく、今日のツーリングで事故を起こすことは、「感謝の集い」にけちを付けることになってしまうのだ。安全第一を心がけながら、ダウンヒルを楽しむ。
 ところで、峠の両側の道沿いでは山肌から水が湧いている箇所がいくつも見られる。これは、剣山の見ノ越峠付近でも同様である。四国とは、実は水の豊かな森に覆われた島なのだ。湧き水の脇に置かれた日本酒のワンカップの容器がいい。
 東祖谷山村新居屋で剣山へと続くR439と離れ、県道32号線で祖谷川を下る。緑色に透き通った水が美しい。両側に濃い緑の山が迫る山深い雰囲気の谷に小さな集落が点在している。相変わらずセンターラインのない一車線の道は、R439と同じ雰囲気だ。
 集落や道の雰囲気はとても懐かしい感じで、11年前に初めてここを走ったときとなにも変わっていないように思ったが、道路脇には「千と千尋と火の用心」の文字と、その映画のヒロインの描かれた消防署の防火看板を見つけ、やはり少しずつ変わっているんだろうと改めて思った。
 西祖谷山村に入ってしばらくいくと、かずら橋。かずらの蔓で作った吊り橋で、このあたり一番の観光名所となっている。当然人が多い。このあたりまでくると、祖谷川も少し谷が深くなり、県道からかずら橋までは標高差で数十m下らなければならない。下るのはいいが、その後の登り返しがつらい。
 つづら折れを下っていくと観光客向けの駐車場が在り、その下がお土産やさんや食堂が並んだエリアとなる。夏休みの日曜とあって、人がうじゃうじゃ。
 かずら橋は、'91年、初めてここを走ったときにYHに泊まり合わせたメンバー7人でやってきたときにわたっている。けれど、そのあとの2回はわざわざ数百円を払って渡ろうという気にもならなかった(平行してコンクリートの無料の橋も架かっている)。ただし、ここでは、緑に囲まれたきれいな祖谷川の河原に下りられるためいつも寄り道している。
 けれど、今日はあまりの人の多さにうんざりしてすぐに去る。
 県道まで登り返したら、ちょうどボンネットバスに遭遇。近くのホテル所有のもので、この辺りの名物となっている。
 ここから、祖谷渓有料道路までの区間は、ホテルがあったりして比較的賑やか。ただし、道の狭さと、山深い雰囲気はそのまま。山肌の遙か上方、斜面にへばりつくような集落に四国を感じる。
 有料道路への分岐を過ぎると集落がほとんどなくなり、寂しげな雰囲気。祖谷川の谷は深さを増し、道路脇の崖はすさまじい角度で奈落の底へと切れ落ちている。標高差は100m以上はあるだろう。
 山肌に沿って蛇行を繰り返す細い道だが、たまに通行するクルマがある。前方の見通しが利かないので、自転車を追い越すのに一苦労している。どうせカーブの連続区間ではクルマも自転車と同じくらいのスピードしか出せないのでそのまま走り、直線になったところでスピードゆるめて先に行かせる。
 しばらく進むと祖谷温泉。駐車場には入りきれないクルマが道路にあふれている。
 ここは、道沿いの一軒宿からロープウェイで河原の露天風呂下る。祖谷温泉の少し手前からは、ロープウェイのゴンドラがVの字の内側をゆっくりあがっていく姿が見えた。
 露天風呂には、'91年にこのコースを走ったときに入っているが、その後高い金を払って(11年前で1500円)入ろうという気にはなれなかった。たぶんロープウェイの料金込みということなのだろう。外から見ればロープウェイだが、利用するときにはボタンでゴンドラを呼ぶエレベータのような感じだ。
 ただし、緑に囲まれたオープンスペースの露天風呂は快適で、この後自転車で汗をかくこともなく、人が少なく、そして料金が安ければ何度でも入りたい。
 ぬるいお湯は今の季節には最適だろう。'91年にきたときは、YHを7人で出発したが、かずら橋で昼御飯を食べた後、5人は祖谷渓有料道路でショートカットする内周りコースへと行った。つまり、今日私が走っているコースは私ともう一人だけ。春先だったため、入ったはいいが寒くてなかなか出ることができなかった。そのときの彼と祖谷温泉の露天風呂で撮った入浴中のツーショットは、後に投稿した自転車雑誌のツーリングレポートと一緒に掲載されている。そして、その彼は今では脱サラの末、ユースホステルを個人で開業している。
 祖谷温泉を過ぎても、V字の渓谷が延々と続く。前方に人だかりが見えるのは、小便小僧の像だ。残念ながら水が出ないので、想像で高さ100mを越えるV字に放物線を重ねる。まさに男のロマンである。
 さらに延々と蛇行する道を行くと池田町にはいる。徐々に集落が現れると祖谷口までもう一息。この辺りでクルマが増えてきて、せっかく苦労して私を追い越しても、その先で離合のために数台が滞っている。うまく譲り合えばスムーズにいけるところでも、狭いところでにらみ合っている時間が長いので先に行かせてもらう。その後は、なかなか追いついてこない。
大歩危・小歩危
 祖谷口で祖谷川は吉野川本流に合流し、県道32号線は国道32号線へぶつかる。ここがこのコースの最低地点。これからはR32を吉野川本流を遡る形で南下。ずっと祖谷渓を走ってきたので、ずいぶん開けた感じがするが、初めて来たときには山深さを感じたところである。
 この先、小歩危・大歩危と渓谷が続く区間だが、最近では小歩危峡でのラフティングが流行っているらしい。実際、8人ぐらいが乗り込んだボートが歓声を上げながら瀬を下る姿が何度も見られた。道沿いには、「Montbell」など、そのラフティングツアーを企画している事務所も目立つ。
 ところで、このR32は瀬戸内と高知を結ぶ四国の大動脈で、交通量が非常に多い。特に、大型のトラックがうなりをあげて爆走する。片側一車線の道の路側帯はほとんどなく、歩道に逃げ込むのだが、この歩道が時々途切れているのでその区間ではこわごわ車道を走らねばならない。
 今日は、日曜日とあってか大型車の通行が少ないのが嬉しい。
 ラフトの小歩危を過ぎると今度は観光遊覧船が行き交う大歩危峡。大歩危の方が小歩危より深いのだそうだ。大型ドライブインで休憩。
 このR32沿いが単調で延々と長い。距離にするとコース全体の3分の1ほどになる。そして、標高も低く比較的周囲の緑と距離があくので、夏場にはアスファルトの照り返しで非常に苦しい区間となる。
 どうにか高知県に入ると梶ヶ森が見えてくる。梶ヶ森が見えてくると定福寺は近い。まさに、笑い地蔵共和国の盟主だ。そして、やっとの事でR439への分岐へたどり着く。ここから定福寺までは約2kmの上り坂。途中で、ばてて休憩していると、定福寺の副住職が手を振りながらクルマで通り過ぎた。
 豊永駅からの南小川沿いのR439は、ずいぶん拡幅されてクルマは走りやすくなった。しかし、初めて訪れたときにはびっくりするくらい美しかった南小川は、今ではふつうのきれいな川になってしまった。
 ヘロヘロになりながらも、どうにかYH帰着。京柱峠への登りは今までで一番時間がかかったが、コースのトータルでは今までで一番速い。
「笑い地蔵共和国」を後にする
 ちょうど住職がおられて、冷たいお茶を頂きながら1時間ほど思いで話、今の話、これからの話をする。最後に、素晴らしい記念品を頂いた。それは、今日腰に下げて走った、「修行中」と書かれた布だ。汗と共に、懐かしい修行の思い出が詰まっている。修行を終え夕食の時間直前に何とかYHに帰り着き、腰から布をはずすことも忘れて食事につくホステラーの姿なども思い出される。
 いつまでも話をしていたいのだが、明日の勤務のことが気になるので、笑い地蔵共和国を後にする。副住職も出てこられて、みんなの笑顔に見送られて出発。
 共和国の名前になっている「笑い地蔵」とは、このお寺のシンボルで、木彫りの6体の笑顔のお地蔵さん。他の仏像や巻物などと共に、境内の「宝物館」に置かれている。
 住職も、笑い地蔵そのものの笑顔に人柄が現れている。
 YHを盛り上げた(もちろんYH以外の面でも)努力家であるが、そんな陰の努力を感じさせない笑顔が人々に受け入れられてきたのだろう。
 そして、そのアイデアは洒落が効いている。五大修行などはその代表的なもので、新聞、雑誌、TV番組でも取り上げられた。
 例えば、TV番組ではコメディアンの井出らっきょや大仁田厚とも共演し、雑誌では「プレイボーイ」誌にも登場している。TVで大仁田に頭を張られる姿は、「住職たるものがそんな姿をTVで見せてはいけない」とも言われたそうだが、それもまた愛嬌。「とうとう私もプレイボーイに出ましたよ」と笑ったときの住職の顔が印象的だ。
 さて、YHを出発してすぐに、怒濤の大雨。先ほど走ったR32は路面が川になるほどの降りよう。けれども、大歩危に入る頃には小降りになり、池田では路面も濡れていない。
 帰路は、淡路島経由でできるだけ高速道路を使わないで帰る。これが失敗で、淡路島の洲本当たりでは夜の10時頃というのに大渋滞。海水浴客のクルマだろうか。というわけで、丹後に帰ったのは、午前3時。空が明るくなる前に寝ることができた。
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