雑感2009

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10/31
先日,奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳の石室調査が行われたとか.さらには,現代の落書きも見つかったとか,そんなニュースがありましたね.桜井茶臼山古墳は,箸墓古墳の次の世代の墓.大王墓は箸墓の次は西殿塚古墳とする説が有力らしい.西殿塚が全長280m,茶臼山200m.地理的にも,マキムクからちょっと外れているし,茶臼山は大王墓ではなく,連合を構成する有力者の墓と考えたほうが良いようですね.それでも水銀朱が約200kg.岡山の楯築墳丘墓は32kg.「朱の総重量は、計測によると三二キログラム以上に達するといわれている。驚くべき量の朱である」,「木棺内部の調査は、まさに朱の層をを掘るというはじめての体験となった」(福本明『吉備の弥生大首長墓・楯築弥生墳丘墓』新泉社,2007年)。築造時期も,規模も全然違うので,比較の対象には全くなりませんけどもね.大王墓と茶臼山に,どの程度の差があるのかわかりませんが,大王墓が掘れない現状では,指定外の大型墳墓の調査は楽しみですね.落書きは,最近のモノではないようですが,そやつに王の呪いがありますように(はあと).

10/6
興福寺で南大門跡,薬師寺で東院跡,といろいろと発掘がされてますねぇ.そもそも私が古代史を始めたのは,古代寺院の発掘をしたかったから.中学生の時,仏像と瓦に興味を持ってしまい,よし考古学やるぞ,と.大学に入り,考古学研究会に入ろうとしたら,「いま会員いなくって活動してないよ」と言われ,古代史研究会に入り,そのまま文献史学の道へ.いや全然後悔してないっすよ.

9/13
年に数回,史跡巡りをします.その際のガイドブックになるのが,山川出版社から出ている「歴史散歩」シリーズ.自治体史を見て行く場合も,たまにありますが,やはり「歴史散歩」が重宝します.「歴史散歩」のプラス面でありマイナス面であるのが,有名無名を問わず,沢山の史跡をのっけていること.その結果,地元の人も知らない史跡が載ってます.左の写真の史跡がそのひとつ.和歌山市の上野廃寺跡です.『和歌山県の歴史散歩』によると,7世紀後半に創建された薬師寺式の伽藍で,軒丸瓦の文様は法隆寺西院の影響が見られるとか.さらに「現状は充分に整備されていない」とある.「歴史散歩」には地図があるものの,けっこう大雑把.近所の人に聞いたものの,「廃寺」という単語が通じない.フラフラ歩いて,発見.史跡の入り口は封鎖され,解説板は草に隠れています.そりゃぁ誰も知らないわよね.よじ登って解説板だけは読みましたが,史跡内に立ち入ることはガマンしました.まぁ今回は遺跡の前までは辿り着けたから良しとしましょうか.

8/23
先日,ちょっくら御陰参りしてくるぜっ!と豪語しました.で,ご報告.行ってません!いや,伊勢国には行ったんですよ.18日の朝の5時に横浜の自宅を出発.昼前には三重県に侵入.「なぁんだ時間余裕じゃん」ということで,だったらお伊勢さん行く前にイロイロ回ろう!ということで伊勢国分寺跡に行って,加佐登神社・白鳥塚古墳・伊勢国府跡・能褒野神社・能褒野陵(ヤマトタケル墓)を参拝・見学.そんなことをしていたら,あっという間に3時すぎ.「今から神宮まで行ってもなぁ・・・」と.こうなったら伊勢国最大の宝塚古墳いっとけ!てなわけで,松阪市へ向い,古墳を見て,さらに市のはにわ館を見学.もう夕方の5時.宿は鳥羽.伊勢神宮を通り過ぎて,鳥羽まで行き,翌日以降は志摩国分寺を経由しつつ熊野に行って,紀伊国分寺など見て,さらに高野山にまわり,奈良を横切って名張に出て,伊賀国分寺に行ったりしました.4泊5日で4国分寺を攻略.だが全国分寺征服まで,まだ道は遠い・・・.

8/16
あっという間に8月中旬!夏休みの宿題(予定)が全然終わらないっ!終わらないというか,手もつけてない・・・.8月に入ってから,ほとんど出かけていないんですよねぇ.だからと言って,学問にいそしんでいたわけでもナシ.残りあと2週間.ちょっと頑張らないと,ただ贅肉をつけるだけの夏休みになってしまう・・・.てなわけで,とりあえず火曜に伊勢に行くことにしました.伊勢神宮に参拝するのは何年ぶりかなぁ.赤福は,まだ買わない.

7/30
青森に行ってきました.大平山元(旧石器〜縄文)三内丸山・亀ヶ岡(縄文)垂柳・砂沢(縄文〜弥生)福島城・十三湊(平安末〜中世)弘前城(近世)などなどを見ました.古代のモノがないよ!ないから今まで行かなかったんですけどね.古代じゃなくっても教科書に載ってる有名ドコロは抑えて置かないとねぇ,てなわけで,行ってきました.竜飛へ行く途中,濃霧で泣きそうになりました.いちご汁がおいしゅうございました.

7/22
日食.関東では全然ダメでした.事前に聞かされていなければ,ただの雨の日.つぎの皆既日食は26年後.まぁ,私に平均寿命があれば,見られますね.ところで,テレビのニュースではインドの話とかやってましたが,天岩戸神社とかは何かやらなかったのかな?18禁な踊りとか.

7/7
毎年言っている気がますが今日は7月7日ですが,七夕ではありません.七夕は旧暦でやろうぜ.今日は旧暦閏5月15日.七夕はまだまだ先だ!

5/29
奈良・桜井の箸墓古墳、卑弥呼の墓か…死亡時期と一致(YOMIURI ONLINE)
新聞各紙,さらにはNHKの夜のニュースでもやっていたので,ごらんになった方も多いのではないかと思います.わたしはマキムク遺跡を重要視しています.直接発掘に関わったどころか,考古専攻ではないんですけどね.でも,同時代の日本列島に,マキムクのような遺跡は見つかっていない.マキムクがかなり広い地域を統率する地位にあったのは間違いないでしょう.箸墓古墳は,そのころの日本列島で突出した巨大な墓です.ここから吉備の特殊器台が発見されていたり,出雲や阿波の影響や技術が見られていたりするってのも,ここの被葬者が広い地域と関わりを持っていたことを証明しています.『魏志倭人伝』というのを,わたしはあまり信用していないんですが,もしもヤマタイ国が倭でナンバーワンの国であったなら,それはマキムク以外に考えられないでしょう.卑弥呼が大連合を形成した初代の王であるならば,同時代最大の箸墓古墳こそが,その墓にふさわしいでしょう.ただし,本当にナンバーワンかわかりません.クナ国に苦戦していたところを見ると,ヤマタイ国連合が最強だったとはいえません.ただし,その戦いの様子も所詮『魏志倭人伝』.どこまで信じて良いのかわからん.もう『魏志倭人伝』なんて忘れよう!あんなもんに引きずられてるから,見えるものが見えなくなるんだ.箸墓が卑弥呼の墓か,マキムクがヤマタイ国か,んなのはどうでもいい.箸墓が異常にでかくて,マキムクが特殊な場所であった,日本の国家形成史では,そっちの方がはるかに重要だと思うんですけどね.

4/30
左の写真は京都・二尊院の墓地.一番左側が,近世初期の豪商の角倉了以の墓.古代じゃないけど,私とって重要な人物.高校時代,日本史のテストで答えられなかったヒト.「ここまで出てきているのに〜!」ともだえつつ,出てこなかった.
それから10年以上が過ぎ,テストを作る側になった私.私の作るテストには,かなり高い確率で角倉了以が出るという・・・.

4/7
京都には何度か行っていますが,まだまだ見ていない場所がいっぱいです.せめて高校の教科書に載っているところぐらいは,と思って,ひとつづつ潰して行ってます.というわけで先月,神護寺に行きました.ここの和気清麻呂や空海ゆかりの寺.伝源頼朝像でも有名ですね.それ以上に私が見たいと思っていたのが,ここのご本尊の薬師如来像.弘仁貞観文化の代表的な彫刻として,教科書や副教材に写真が載っています.正直言って,私は弘仁貞観文化の仏像が苦手.あのアゴのたるみや目.色遣い.ふてくされているように見えるんですよね.だからこそ,生でじっくり見てみたいと思っていました.春休みとはいえ,平日の午前中.しかも,京都の街からは中途半端な距離にある神護寺.他の人を気にすることなく,じっくりと拝してきました.で,生で見てもやっぱり,美しいとか,仏の慈愛とか感じることは出来ませんでした.しかし,その迫力というか,力強さというか,そんな感じはうけました.光の当たり具合や,下方向から拝する,ということもあったかもしれませんが,170センチという像高以上の存在感を受けました.語彙がない自分が悲しくなりますが,良い仏様だと思いました.

3/29
すっかり放置していました.どっこい生きてる.春休みに入りましたんで,京都に行ってきました.今回の主目的は清水寺.本尊の開帳と,田村堂の開扉が一緒に行われるということを聞き,こいつは行かなければ,と思いまして.人が多いところが苦手で,普段は人を避けひっそりと生きている私.てなわけで,清水寺参詣は久々.10数年ぶりでしょうね.いやぁ〜ごったがえしてました.ホント疲れた・・・.やっぱり人が多いところはダメだ.自分のペースで歩けないとイライラしちゃう.次に行くのは,次回の開帳ん時になるかな?いやしかし,本尊を見られたのは良かった.良い観音様でした.あと,アテルイの記念碑.設置されたのは聞いていましたが,実物を見るのは初めて.それと三重塔.これも修理をすると聞いており,期待していたんですが,シートで覆われてしまっていて,見ることかなわず.バラされているところが見たかったのになぁ.

2/10
飛鳥浄御原宮の北に大型建物跡…想定超える規模を確認(YOMIURI-ONLINE)
浄御原宮は,天武天皇の宮殿.天武の父の舒明天皇の飛鳥岡本宮を,舒明の皇后で次の天皇だった皇極天皇が板蓋宮として継続使用.それを増改築したのが浄御原宮.官僚制導入以前の宮を,そのまま使うのはムリがあり,「エビノコ郭」と呼んでいる外廷空間を「内郭」の南西に新設したものの,あくまで暫定措置で,天武は飛鳥の北に新都の造営を計画しました.
さて,今回の建物. 東西15m,南北7m以上かぁ.「内郭」の「正殿」と言われるのは,東西約24m,南北約12m.大極殿に相当すると考えられる「エビノコ大殿」は,東西約29m,南北約15m.それらよりは小さい.ということは・・・何だろう?広場を伴っているということだから,朝堂院のような空間か?そうすると,「エビノコ」と役割が重なっちゃうねぇ.「内郭」の東側の「外郭」の詳細もよくわからんし,まだまだわかんないことだらけですなぁ.

2/2
邪馬台国の宮殿跡見つかるか、最有力の纒向遺跡で調査(YOMIURI ONLINE)
楽しみですねぇ.上のリンク先の記事にある「祭殿」は,JR巻向駅のちょい北で発見されたモノ.宗教施設という確証はないものの,付属建物を持ち,柵に囲まれ,心柱を持ち,と一般の高床倉庫や住居とは異なる要素を持つため,通称「祭殿」と呼ばれています.
さて,今回の発掘は,その周辺だとか.「祭殿」の北側は未発掘だったと思いますが,そちら側には南と同じ付属建物があり,左右対称になっていたと想像されています.はたしてそうなのか,また宗教関連のモノが出てくるか.楽しみですなぁ.邪馬台国の答えは,そう簡単にでないでしょうが.

1/30
人生初インフルエンザをしてしまいました.学校を欠勤するのも初めて.10年以上無遅刻無欠勤だったのになぁ.早退は1回だけあったけど.25日に,姉が風邪をひきながらウチに来たんだよねぇ.27日の朝,咳が止まらず,こいつはマズイなぁと.まぁ授業できないことはないけど,教室にまき散らしてもなぁ,ということで,無欠勤記録を止めるのはイヤだったが,勇気を持って電話.そして,近所の診療所へ.満員御礼の待合室で2時間待ち.待っている間に,どんどん不調になって行きました.で,インフルエンザで,隔離決定.
しかし,薬師如来とタミフルの御加護があり,今日の診察で社会復帰の許可がおりました.
一冬に2度も風邪引くなんて,まったくゆるんでますなぁ.明日はカルチャーセンターで,箸墓とかの話をすることになってるんですけどねぇ.果たして準備が間に合うのか.体力が持つのだろうか.あぁ〜栄養剤買ってくれば良かった.

1/26
2009年1月26日は,旧暦正月朔日です.てなわけで,あけましておめでとうございます.今年もよろしくお願いいたします.旧暦ってのを大切にしたいなぁと思ってます.七夕とか赤穂浪士の討ち入りとか,旧暦時代の出来事は,旧暦でやるべきなんじゃないかなぁと.気候変動や技術の進歩で季節感が,あまり感じられなくなっている昨今.だからこそ,「こよみ」というものを大切にしてみたい.

1/23
淡路島で,弥生時代の大規模な鍛冶工房跡が発見されたとか.なかなか重要な遺跡になりそうです.
弥生〜古墳時代,鉄は倭にとってすっごい重要な品.鍛冶技術は伝わったものの,鉄を掘ったりはマダ.朝鮮から鉄の延べ板を仕入れて,日本列島で加工してました.今回の垣内(かいと)遺跡は,その加工場.朝鮮からの仕入れは,各自がバラバラにやるよりも,誰かが代表してやった方が効率的です.畿内のように突出した集落がない場合,複数の集落が連合して代表者を擁立したりするわけです.
垣内遺跡は,現在見つかっている鍛冶工房では最大級とのこと.てことは,ここで加工される鉄器が,淡路島だけで消費されるとは思えません.近畿や四国に運ばれていった,と考えるのが自然でしょう.じゃぁ淡路に代表者がいた?う〜む,それはないだろうなぁ.大阪・徳島・兵庫・和歌山へ鉄を分配するのに,この場所が適当だった,というのはムリがあるかなぁ?代表者は池上曽根や唐古鍵にいたんだろうなぁ.
九州との関係がどうだったか,そこがポイントですな.朝鮮から淡路島まで,九州を通らずに行くのはムリだろうからねぇ.九州通らずに出雲へ行って,丹波から中に入る,というのなら,わざわざ淡路に工房作るわけありませんね.淡路の原料は北九州から買っていたのか?直接買い付けていたのか?今後の研究が楽しみです.
淡路島の工房の主が,イザナギという名の王だった,というのは・・・.

1/4
鎌倉・鶴岡八幡宮の手斧始式を見てきました.いやぁ混んでた.初詣は三が日までに終わらしておいてよ,という言いたくなるねぇ.手斧始は鎌倉の大工が仕事始めとして,八幡宮に奉納する儀式.開始の40分ぐらい前から場所取りしていたんですが,いざはじまると,ばぁちゃん数人がガシガシ割り込んできたり,神職が祝詞をあげてるのに,アベックがギャアギャア騒いだりして,新年早々殺意がわき起こったりしましたが,まぁなんとか見届けました.やっぱり人ゴミはダメだ.ちゃんとした初詣は旧暦の正月元日に行きます.