12/22
淡路・阿波の史跡めぐりしてきました.
淡路国は,常隆寺,天王の森,伊弉諾神宮,大和大国魂神社,おのころ島神社,淡路国分寺,国分遺跡,事代主神社(市戎神社),諾宮神社(伝国司館跡),丘の松(陵墓参考地),惣社十一大明神,野辺の宮,淳仁天皇陵,当麻夫人墓.
阿波国は,大麻比古神社,光勝院,天河別神社古墳群,宝幡寺古墳,土御門天皇火葬塚,阿波神社,東林院,穴観音古墳,宇志比古神社,大御和神社,観音寺遺跡,阿波国府跡,阿波国分尼寺跡,徳島市立考古資料館,矢野古墳,宮谷古墳,八倉比売神社,阿波国分寺.
四国のお寺は現役バリバリの信仰の場所.だから,私のような物見遊山が混じってはイカンような気がしましたね.いや,ちゃんと拝礼してから見学してますよ.
今回一番良かったのはどこかなぁ.宮谷古墳は,なかなかの見晴らしでしたね.「ここから見える土地は全てオレのもんだー」という感じの立地.
旅に出ると毎度毎度,雨が降るわけですが,今回は傘を使用せずに終了.ポツポツと降ったりしましたが,すぐ止んだのでノーカウント.というわけで,雨男返上.
12/19
先日予告したとおり,明日(20日)から一泊二日で淡路・阿波に行ってきます.20日は淡路島を回り,21日に徳島・鳴門市を回ってみようと思います.古代以外は,よっぽどのことがなければ通過なので,徳島城とかはパスすると思います.無事帰ってきたら,写真とともにご報告いたします.
12/14
来週,20-21日に淡路島&阿波に行ってきます.淳仁天皇陵と観音寺遺跡が目的.それ以外は色々検討中.「ここは見ておけ」「これは食べておけ」という情報を,懲りずに今回も募集.徳島まで飛行機で行き,レンタカーで淡路島にいきます.淡路島は,1日でどのぐらい回れますかね?
11/18
先日,職場の日本史の先生から,郡司の大領・少領・主政・主帳の読みを質問されました.高校の教科書では,
官 職 省 国 郡 長官(かみ) 卿 守 大領 次官(すけ) 輔 介 少領 判官(じょう) 丞 掾 主政 主典(さかん) 録 目 主帳
などと載っています.大領を「かみ」,少領と「すけ」と読んでいたのか?と.
答えられませんでした.「古代の官職をやってる」なんて言いつつも,知らないことばっかりですね.はずかしい.
大宝令制以前の,評督・助督の時は,「こほりのみやつこ」と「すけのみやつこ」だったと思うんですが,主政・主帳は何よ?
で,『日本書紀』をみたら,「改新の詔」にあるじゃないですか.大領は「こほりのみやつこ」,少領は「すけのみやつこ」,主政に「まつりことひと」,主帳に「ふみひと」とルビが振ってありました.多磨郡大領は「たまの
こほりの みやつこ」となるのでしょう.「たまの こほりの こほりのみやつこ」ではなく.この読みがどこまで遡れるのかは知りませんが,まぁ信頼できるんでしょう.
それにしても,「こほりのみやつこ」がすぐに出てこなかったし,「改新の詔」に郡司の規定があったことも,別件で『日本書紀』を見るまで思い出さなかった….なさけないなぁ.いかに勉強していないかが,あらためて露見.コンビニ肉まんの食べ比べしてる場合じゃねぇぞ.
11/16
先日,角川学芸出版から,CD-ROM版の案内が送られてきました.
>書籍版より5倍の便利さ、ここが特長!
>1入力検索では漢字と仮名の両方から引ける(難読字の項目も苦にならない)
>2解説本文を読みながら重要項目(青字で表示)へ自由自在にジャンプ
>3画期的な分類検索(人名、地名、政治、有職などのジャンル別検索ができる)
>4書籍版の索引をはるかにこえた全文検索(人名や用語検索が容易)
>5ダウンロードや印刷が簡単
少しは欲しくなりました?
10/27
買いました.まだプロローグしか読んでおりません.あぁやっぱり蝦夷について,ちゃんと勉強したいなぁ.しなきゃね.
10/21
先日も書きました難波宮跡 最古の万葉仮名木簡が出土 和歌の一節かのニュース.今日,カルチャーセンターで少し話をしました.日本語表記の始まりは何時なんだろうか?と.文字が当たり前にある現代からみると,言葉をしゃべっているのに文字を表記しない,文字を使わない,というのは,なかなか理解しがたいみたい.でも,当時は必要なかったんですよね.
10/15
先日,かって来ました.学術文庫の現代語訳版は便利です.ただし,『日本書紀』『続日本紀』の現代語版は,私の肌に合わないんですよね.以前見ていて,どうも意訳が多かったり,ニュアンスが違うことがあったりしました.結局,古典文学大系とか国史大系を見直す羽目になりました.今回の『日本後紀』は,編者が『日本書紀』『続日本紀』と違いますし,原文が一緒に掲載されておりますから,安心です.そういえば,集英社から出た全注釈は買っていないどころか,図書館で見たりもしていませんな.
10/13
難波宮跡 最古の万葉仮名木簡が出土 和歌の一節か
上にリンクを貼ったニュースは,新聞にも載っていたのでご覧になった方も多いと思います.今回の木簡は大化のころのもの.しかも,結構完成された感じがします.となると,それ以前から使われ始めたことになりますね.高校の教科書に出てますが,推古朝に高句麗僧曇徴が墨・紙の作り方を伝えたと.これ以前から,墨や紙は渡来人の中では使用されていたんじゃないかとは思いますが,推古朝から日本人も使い始めたと.万葉仮名が成立したとすると,その後からでしょうね.推古・舒明ぐらいでしょうか?それ以前にも遡れるか?
『日本書紀』斉明天皇4年(658)10月甲子条に,斉明天皇が紀伊の温泉に行った時の話が載っています.老女帝は,この年の5月に8歳で他界した孫の建王を思い出し,歌を3首詠みました.そして,秦大蔵造万里に詔して曰く、「斯の歌を伝へて世に忘らしむることなかれ」と、とあります.『古典文学大系』の『日本書紀』の註では,秦大蔵造万里は歌詠をする家系か,ということが書いてあります.
以前,カルチャーセンターでこの話を扱ったとき,私はこの註に従って,「万里という歌人に覚えさせた」なんて言っちゃいましたが,よくよく考えれば,秦氏は渡来系氏族.万葉仮名で記録させたと考えるのが自然ですよね.
10/9
天武天皇元年(672)6月24日,大海人皇子は,吉野を脱出し東国へ向かいました.壬申の乱の始まりです.若い大友皇子と,ベテラン大海人皇子の戦いです.宇陀から,夜を徹して伊賀へ入り,翌25日,加太峠を越え,鈴鹿評に着きました.ここで伊勢国宰(美濃国宰とする説もある)が皇子を向かえ,500人の兵で鈴鹿の山道を塞ぎました.本能寺の変後,徳川家康は柘植から鈴鹿を通り,白子から船で逃亡したとか.交通の要所です.
それはともかく,そんな『日本書紀』の記述を見ていたら,どうしようもなく鈴鹿に行きたくなり,ネケト氏とともに行ってきました.ついでに金網越しにシューマッハを見てきました.
大海人皇子は,自らを漢の劉邦に見立てて,火徳を称しました.そして,近江軍と区別がつけられるように,自軍に赤布をつけさせました.そして,その赤布をつけた軍は,勝利しました.さて,あと1戦.赤い車のベテランは勝てますかね?
9/22
「古代を考える」シリーズが完結とか.全何巻とかいうわけじゃないのにねぇ.
ともかく,その最終巻となる『多賀城と古代東北』を買いました.以前から蝦夷や城柵には興味がありました.ちゃんと勉強したいなぁ,などと思ってはいるものの….ともかく,買いましたのよ.全部を読んだわけじゃないのですが,ちょっと衝撃的な本だったので….あとがきに,原稿を早く出してくれた人がいるのに,出るのが遅くなってしまった云々と.まぁよくあることですね.で,中身を見ていると,「本稿は一九九二年八月二日に」提出した,「本稿は一九八六年に執筆したもの」,「本稿は約二十年前に提出したもの」….20年前って,昭和時代ですよね.この20年で研究も発掘も進みましたよね….これ以上は何も言うまい….これだけだと営業妨害になってしまうか.でも,郡山遺跡のこととか加筆されたりもしてますから,ご安心を.弥生から後三年までぐらいの範囲を扱っています.巻頭の青木和夫・岡田茂弘両氏の対談は,なかなか面白いです.とくに白河関の場所については,意見が分かれていて.あと,気になるのが,多賀城が題についているように,陸奥が中心なんですよね.
9/10
左の写真は,奈良県北葛城郡広陵町にある牧野古墳の石室.築造時期や,石室規模,また,『延喜諸陵式』の記述から,押坂彦人皇子墓説が有力.ところで,写真で分かるでしょうか?石室の入り口の右に,白っぽい箱があるのが.おもちゃっぽい賽銭箱です.これは誰が設置しているんでしょうか?近所の中学生が小遣い稼ぎで置いているような,そんな雰囲気がありましたが,真相ご存知の方おりませんかね.
9/7
『平安時代史事典CD-ROM』,たかいねぇ.発売まで時間があるから,それまでちょっと節約しましょう.
9/6
ここのところ,古墳と国府跡ばっかりで,平安時代のことを全然勉強していないなぁ.ということで,ちょっと平安なことを.
天暦4年(950)5月,憲平親王が誕生しました.のちの冷泉天皇です.
父は村上天皇.母は皇后の藤原安子.母の父は藤原師輔です.
憲平親王は,村上天皇の第二皇子.
第一皇子は同じ天暦4年生まれの広平親王.広平の母は藤原元方の娘祐姫(元子とも)でした.
師輔は,藤原忠平の次男で,このとき右大臣・右大将,43歳.朱雀天皇の蔵人頭などをつとめ,28歳で参議となりました.
『九条年中行事』『九条殿遺戒』などを記した,非常に有能な人.
対して,元方.南家武智麻呂の系統.父は文章博士などを経て参議までのぼった菅根.
元方も文章得業生を経て官人となった人物.
師輔に比べれば出世は遅く,52歳で参議.天暦4年時は63歳で中納言・民部卿.
勝負は火を見るより明らか.第一皇子広平親王を差し置いて,憲平親王は生後2ヶ月で立太子しました.
『栄花物語』によると,元方は怨霊となったとか.
ところで,憲平親王の護持僧に比叡山の良源(慈恵)がおりました.
『阿娑縛抄』(巻215諸法要略抄)に,伝聞、慈恵大僧正依九条右丞相請、為変成男子始修之云々、〈冷泉院御誕生之時歟、〉とあります.
九条右丞相こと藤原師輔の依頼によって,「変成男子」の法,すなわち胎児の性別を変える術を修めたと.
同時代史料ではないので,怪しい伝承ですが,師輔だったらやりそうなこと.
憲平親王が生まれて,即位したことで,師輔の家系が時代の中心となってゆきます.
それにしても「変成男子」の法.まったく,いかがわしい術ですねぇ.
今の時代は,そんな怪しい方法じゃなくて,ちゃんと科学的に生み分けが出来たりするんでしょうかね?
ま,どーでもイイか.
8/31
栃木に史跡めぐりに行こう,などと思っていたのですが,なんかイキオイで,福島まで行ってしまいました.いったところは,下野国府跡・摩利支天塚古墳・琵琶塚古墳・下野国分寺・国分尼寺跡・下野国薬師寺跡(安国寺)・白河関・仮宿廃寺跡・関和久遺跡周辺・会津大塚山古墳・飯盛山・福島県立博物館・杵ガ森古墳・亀ヶ森古墳・鎮守森古墳.下野国府の資料館は,定休日で見られませんでした.泉崎の資料館は,着いたときには閉館時間でした.一泊二日のわりには,見学地が少ないなぁ.天気予報が「雷雨になる」って言うから,早めに切り上げて帰ってきちゃいました.雄国山の前方後方墳群も行きたかったなぁ.左上の写真は,大塚山古墳の前方部から後円部を見たところ.三角縁神獣鏡が出土したことで有名.古代史マニアなので,古代の史跡を中心に歩いていますが,せっかく会津に来たので,飯盛山でお線香を上げてきました.とか言いつつ,実はついで.メインは,飯盛山古墳.登っても,よく分からなかったんですが.なんか最近,古墳ばっかり見てるような気がするなぁ・・・.しまった!皆鶴姫の墓に行き忘れた!
8/14
社寺は文化財で観光地.しかし,それ以前に信仰の場所です.神仏に失礼を働くことは,その信仰している人たちに対する失礼だと思います.見学にきた人に信仰心がなくても,それは別に良いと思います.でも,信心を持ち,その神仏を礼拝する人がいる,いた,ということを知っておいて欲しい.このサイトに来てくださる皆さんは,歴史好きなんでしょう.ということは,社寺を訪れる機会が多いのでしょう.歴史に興味のない人と一緒に参詣することもあるでしょう.そんな時には,ウンチクを傾けるのも良いのですが,「仏様の前だから帽子は取った方が良いよ」とか,「お堂の中で飛び跳ねるのはやめようね」とか,それとなく教えてあげてください.あと,お寺は欲を捨てる場所なので,若い男女でイチャイチャするのは良くないね.それから,神様(とくに女神様)は,嫉妬深いので,若い男女でイチャイチャするのは良くないね.ひがんだり,ねたんだりして言ってるわけじゃないよ.うん.
8/11
奈良から昨夜帰って来ました.心配していた雨は,出発時に自宅付近で雷雨にあったのと,吉野で天気雨に降られたぐらい.雨男返上に一歩前進.筋肉痛でのたうちまわっています.
見学地は,吉野神宮・金峰山寺・後醍醐天皇陵
牧野古墳
真弓鑵子塚古墳・牽牛子塚古墳・キトラ古墳・文武天皇陵・高松塚古墳・中尾山古墳・鬼の雪隠・鬼の俎・天武持統天皇陵・亀石・橘寺・川原寺・石舞台古墳・飛鳥京跡・酒舟石・亀型石造物・鎌足生誕地・大伴夫人墓・飛鳥坐神社・東垣内遺跡(狂心渠)・飛鳥資料館・大官大寺跡・藤原宮跡・本薬師寺跡・大野丘北塔跡・豊浦宮跡・石神遺跡・水落遺跡・飛鳥寺・菖蒲池古墳・植山古墳・見瀬丸山古墳
大安寺・薬師寺・唐招提寺・平城宮跡・平城天皇陵・磐之媛命陵・コナベ古墳・ウワナベ古墳・海龍王寺・法華寺・東大寺・春日大社
六孫王神社だったと思います.最後の六孫王神社は,奈良から京都へ戻った時,新幹線の時間まで1時間弱の余裕があったので,ダッシュで行って来ました.
7/31
梅雨も明けたってことで,来週の8・9・10日に奈良へ行きます.「遊んでばかりいやがって」と思っている方もいらっしゃるでしょう.その通りです.いやいや,行けるうちに行かないと,行けなくなってしまうもの.ということで,許してください.でも,物見遊山だけじゃないんです.授業や講座に生かしてます.そう,仕事なのです.取材なのです.必要経費扱いなんですよ.
橿原に1泊,奈良市内に1泊の予定.吉野や浄御原宮跡あたりを見たいなぁと.それと大安寺跡ですね.
7/23
新潟・山形旅行をしてまいりました.この旅行中,土砂崩れで高速道路が通行止めになっていたり,片側交互通行になったりしていました.信濃川や最上川などは,濁流がものすごい勢いで流れていました.水害にあわれている方々,心よりお見舞い申し上げます.
予定も多少変更し,長岡の歴博と,和島の官衙跡はパスしました.また,そのうち行きます.とりあえず,まわった場所を羅列します.
長野県
上田市・・・国分寺・国分尼寺跡
新潟県
上越市・・・五智国分寺・居多神社
弥彦村・・・弥彦神社
新潟市・・・菖蒲塚古墳・緒立遺跡・市歴史博物館
山形県
酒田市・・・城輪柵跡・堂の前遺跡・八幡神社・飛鳥神社
鶴岡市・・・出羽三山神社
山形市・・・霞城公園・文翔館・国分寺薬師堂・印鑰神明社・大ノ越古墳・菅沢古墳
7/16
談○神社から封書が来ました.そういえば,3月に参拝した時,ちょっとだけ修築募金をしましたな.名前書いたんだ.昨年,秋田に行ったときに,秋田八幡が放火で焼失したと知り,ちょっと寄進をしました.そしたら,電話・葉書でお礼をされてしまった.今回もお礼かしらと,封を切ってみると,「もっと寄付して(はぁと」だった.祖父の遺言で,一社寺一寄付と決まっているので,もうできません.すみません.
さて,旅行は7/19〜22になりました.上越市の国分寺,和島町の官衙跡,新潟市の菖蒲塚古墳,渟足柵があった辺り,坂田市の城輪柵,羽黒町の出羽三山神社,山形市の国分寺あたりは見る予定.その他は,天気と気分と体力次第.
山形のあと,仙台に出て郡山遺跡や多賀城へ行くか,一気に南下して福島へ行くか.会津若松の大塚山古墳に行ってみたい気もするなぁ.
7/9
卑弥呼は邪馬台国の女王じゃなくって,倭国の女王.もしくは,邪馬台国連合の女王.
6/26
さぁ期末試験が近い.テストつくらなきゃ.でも,現実逃避.というわけで,夏の旅行の計画を立てよう!とりあえず7月下旬に東北行きます.昨年,秋田と山形のどちらに行こうか悩んで,秋田に行ってしまったので,今年は山形行きます.無謀か,横浜から車で行こうと思ってます.もしかしたら新潟も行くかもしれません.というわけで,山形・新潟の古代史跡情報を,左下の「web拍手」からお寄せください!とりあえずは,国府・国分寺・城柵あたりは回りたいなぁと.
6/13
50分で高校1年生に邪馬台国の話をしてきました.話したいことは山のようにあったけど,教科書に書いてあることだけをまとめただけにとどめました.昨年から高校3年生の選択科目の「日本文化史」を担当しています.この科目は,そんな私のストレス解消授業.50分×4回にわたり,邪馬台国の習俗,位置について話しました.しつこいよーだけど,余計なことが楽しい.マキムク遺跡が教科書に載るのは,まだまだ先になるのかなぁ.
6/9
ひさびさに『大日本古文書』をめくってみた.下級官吏の宝庫で面白いねぇ.官位相当がしづらいから,「ちょーてー君」には反映できないのが残念.
5/25
中間テスト終了.これから採点です.今回は範囲が短くって作りづらかったなぁ.週2時間だから,全然すすまないし,余計なことが話せない.余計なことが楽しいんだけどねぇ,歴史って.
5/1
東京・上野にプラド美術館展とナスカ展を見に行ってきました.大型連休ということで,どちらも満員で入場制限.中に入っても作品をじっくり見るってのは難しかった.美術にはトンと疎い私.カール5世やフェリペ2世の肖像画など,見たことのある絵が出てくるとほっとしますな.グッズはムリリョの「無原罪の御宿り」の額装の小さいのを1つと,絵葉書を数枚購入.最近,クリアファイルを買いすぎてるので,その辺りは自重.
ナスカは閉館ギリギリで飛び込んだので,ミイラとバーチャル地上絵を見たぐらい.土器がズラズラと並んでいましたが,時間がない&混んでいたので素通り.科学博物館で開催してるだけあって,ミイラの科学的分析が詳しく書いてありました.地上絵グッズが何か欲しかったのですが,あまり心を揺さぶられなかったなぁ.ということで何も買わずに退出.
4/30
かつて全3巻で出ていた角田文衛『日本の女性名』が,国書刊行会から1冊にまとめて再刊されるそうですね.ちと高い….
4/23
大阪・桑原遺跡 中臣氏の墓地か 八角墳など24基出土(読売新聞)茨木市桑原.地図を見ると阿武山の西側ですね.おしいなぁ.阿武山古墳に行ったのがちょうど1ヶ月前のこと.7世紀中頃というと,大化改新のころですね.ということは舒明天皇陵とほぼ同じ時期.桑原遺跡の八角墳が中臣氏のもので,改新以前のものだったら,さらに舒明陵以前だったら,かなり面白いなぁ.八角墳の出現に興味があるもんでねぇ.
4/15
横浜そごうで開催中の「マリア・テレジアとマリー・アントワネット展」に行って来ました.マリア・テレジアの肖像画がたくさん並んでました.35歳のマリア・テレジア.今の私とほぼ同じ年齢.貫禄あるなぁ….美術品には,あまり関心はないんだが,伊万里とか聖パウロ聖遺骨入れとか凄かったね.子供用コルセットとアントワネットの小便器とか.イロイロ並んでました.
4/11
夏休みまで,あと3ヶ月ですね.
4/7
本日は始業式.新年度が始まりました.で,岡山土産を講師の人たちに配りました.岡山土産といえばキビダンゴ.これで,講師の面々は私の子分となったわけだ.近日中に鬼を退治する予定は無いけど.吉備が古代史上で重要な地域だったということは,どうやら,あまり知られていないようだ.
古代史好きな人にとっては,・畿内に匹敵する巨大古墳がある・特殊器台・吉備津彦神社・吉備真備や和気清麻呂の出身地といったことがすぐ思いつくんだけどねぇ.・岡山城と後楽園・倉敷という方がメジャーらしい.がんばれ吉備.出雲にまけるな.
4/6
1泊2日で岡山に行ってきました。
鬼の城,秦廃寺跡,備中国総社,伝備中国府,総社市埋蔵文化財学習の館,備中国分寺跡,こうもり塚古墳,備中国分尼寺跡,県立吉備路郷土館,楯築遺跡,両宮山古墳,備前国分寺跡,備前国分尼寺跡,高月駅跡,伝備前国府,素盞鳴神社,備前国総社,唐人塚古墳,賞田廃寺跡,県立博物館,
と言ったところを回りました.15年ぐらい前,大学のサークルの合宿で造山・作山古墳や吉備津彦神社は行ったので,そのあたりはパスし,なるべく行ってないところを重視.一番印象に残ったのはホテル.諸事情あり,良いホテルに泊まってしまいました.荷物は部屋まで運んでくれるわ,部屋は広すぎるわで,なんとも落ち着かない感じ.先々週の京都もまぁまぁ良いホテルだった.マズイ.身体が贅沢に慣れてしまいそう….
あと,雨.舗装されていないところに入るもんだから,あっという間に靴がグチャグチャに.しばらくすると,靴・靴下が異臭を放ち….まぁ,なんというか,生乾きの雑巾の如き臭い.電車・バスで近隣に居合わせた方々には,ホント申し訳ないと思っています.史跡の話は,また改めて.
4/3
てなわけで,明日から吉備路いってきます.鬼の城が主目的.また雨か….
3/29
東京国立博物館に「最澄と天台の国宝展」を見に行ってきました.唐の過所とか,良源の遺言状とか,藤原彰子の経箱とか,興味深かった.国宝・重文が8割とか書いてありましたか.さすがにイイものがズラリと.六道絵が一番人気っぽかったかな.
で,気になるのがキャッチコピー.「春爛漫、上野。百年に一度の大展覧会」.この陳腐な宣伝文句は必要なのかね?博物館学の授業で,「特別展の名前とかには凝れ」と習いました.まぁ人目を引くのが必要なのはわかりますが,受けを狙いすぎるのは嫌い.せっかくの面白い展示が安っぽく感じられる.
3/25
旅行してきました.計画をほとんど立てずに,地図も持たずに行き,駅の路線図や案内板だけ見て,その場で行く所を考えたりしたので,効率悪いったりゃありゃしない.てなわけで反省中.
とりあえず回ったのは,継体天皇陵(大阪府茨木市).番山古墳・新池遺跡ハニワ公園・阿武山古墳・弁天山古墳・今城塚古墳・阿久刀神社・素盞鳴尊神社・嶋上郡衙跡(以上 大阪府高槻市).長岡天満宮・乙訓寺(京都府長岡京市)向日神社・長岡宮大極殿跡(京都府向日市)
唐古鍵遺跡(奈良県田原本町)纏向矢塚・勝山・石塚古墳・崇神天皇陵・景行天皇陵・箸墓古墳・ホケノ山古墳・談山神社・崇峻天皇陵・赤坂天王山古墳・舒明天皇陵・長谷寺・メスリ山古墳(以上 奈良県桜井市)
天智天皇陵(京都市山科区)豊国神社・蓮華王院・後白河天皇陵・泉涌寺・東福寺(以上 京都市東山区)伏見稲荷大社(京都市伏見区)万福寺・県神社・平等院(以上 宇治市)
あっちこっち行きすぎ….時間と交通費を無駄につかったわ.そうそう,Yahoo!ニュース 纒向石塚の周濠は馬蹄形というのがありましたが,私が言ったときに記者発表してました.
3/19
おととしの秋から,カルチャーセンターで日本古代史の話をしています.半年単位でやる講座で,先日で今期の講座は終了.いままでで33回行い,弥生時代の村の成立から天智朝まで,お話しました.4月1日からの半年は,壬申の乱から律令国家の成立までを話す予定.今は,なぜか摂関期の武士とかやってますが,卒業論文・修士論文のテーマは律令官職制度の形成でした.てなわけで,天武朝は昔取った杵柄.いろいろと本を引っくり返して予習中.
3/14
学年末試験終了.2学期末のテストで100点を取った生徒が,またしても100点.「よくがんばった」と褒めなきゃいけないところだけど,なんか悔しい….
3/10
今週末からF1が開幕.素人が根拠のない予想をしてもしょーがないけど,ホンダは,あんまり期待できないような….シーズンオフのテストでは,目立ったタイムを出してなかったからなぁ.トヨタもしかり.去年のトップ3チームが,今年も争うんだろうなぁ.
そういえば,去年の開幕直前に,
>それはさておき,私の最寄駅前にラーメン屋さんがあります.
>3年ぐらい前からありますかね.
>ラーメン屋さんなのに,店の前にフェラーリの旗が飾ってあります.
>昨年ごろから,「タクマセット ラーメン+餃子orシュウマイ+ライス」
>なるものが出現しました.
なんてことを書きました.が,去年の佐藤琢磨は散々な結果.気がついたら,「タクマセット」の名が消えていました.今年の新規チームでは,完走すら期待できないから,「タクマセット」の復活は難しいか?日本人初優勝は当分ありませんかね….
3/7
先日,横浜市歴史博物館の記念講演会に行ってきました.以前にもご紹介した白鳳期の地方行政の展示に関する公演です.奈良文化財研究所の市大樹氏が,飛鳥で発掘された荷札木簡を中心に,深谷市教育委員会の鳥羽政之氏が,武蔵国域の役所跡についてでした.
市氏のお話は,木簡の読み方など文献史学の面からのもので,まぁ大体知ってる話,と言ったら偉そう?郡に引き継がれなかった評の話をもう少しして欲しかったなぁ.
鳥羽氏のお話は,北武蔵の遺跡の実例を紹介する考古のお話.こちらは知らない話が多いので,勉強になりました.
「郡家(ぐうけ)」の遺跡だけでなく,それ以前の「評家」時代のものも,最近見つかってきました.
評家と郡家は位置は同じであっても,向いている方角が異なる場合が多い.武蔵国橘樹郡の郡家と考えられている川崎市の千年伊勢山台遺跡や,郡家ではないけど,仙台市の郡山遺跡なんかもそうですね.新しい測量の方法や,条里制施行に伴う変化などなどによるものですかね.7世紀中葉の,評時代のものは真東・真南に向かわずに,45度ぐらい振れているものが多いのですが,郡時代のものは,ほぼ真東・真南に向く感じ.そーいえば,斑鳩寺と再建法隆寺も角度変わってますね.
3/4
駒大苫小牧ねぇ・・・.連帯責任とかは難しい問題ですな.不祥事が続くって言っても,前回のは生徒の不祥事じゃないんだけどねぇ.きびしいきびしい高校・野球生活を終え,開放感に浸る気持ちは分かるが….そーいえば,私の勤務校は今日卒業式じゃなかったっけ?
3/3
今年は,東京国立博物館の国宝カレンダーを使っています.2ヶ月で1枚なので,2枚目に入りました.3・4月は「金銅鳳凰唐花文水滴」.奈良時代のものらしいんですが,初めて見ました.法隆寺献納物らしい.まだまだ知らないものがたくさんありますなぁ.
2/27
正月すぎに静岡の磐田市に行きました.その写真を少し整理しました.まぁ古墳の写真って,航空写真じゃないと,あんまりおもしろくないんですけどね.
磐田市の古墳
2/24
確定申告終了.来年こそは,雑収入(当選金)300000000円を申告してやる.
申告終了記念ということで,春休みの旅行を予約しました.とりあえずは,京都に行ってみよう,久々だから2泊ぐらいするか,と思い,インターネットで予約.
受付完了のメールが来て,良かった良かったと思ったら,妙に値段が高い.出張フリープランなのにおかしいなぁ,とよく見たら,「旅程:4泊5日」とか書いてありますよ・・・.
2/16
なんか,大臣祭りになってますね,「ちょーてー君」.
2/13
本日,今季の花粉症がスタート.
2/10
勤務校が入試のため,授業ナシ.非常勤講師は,お休み.あ〜ほかの非常勤の人に「授業始まってますよ!何やってんですか!」ってイタズラ電話したい衝動が….
2/6
横浜市歴史博物館で開催中の企画展「『諸岡五十戸』木簡と横浜―大宝律令以前の支配システムを探る―」のフロアレクチャー(担当学芸員による展示解説)に行って来ました.
まず,研修室で展示の時代背景(大化の立評,国郡里・国郡郷里)の解説があり,展示室に移り,展示品の解説を受けました.マニアックな展示なので,フロアレクチャーおすすめです.でも,まったく知識がない人は,フロアレクチャー聞いても,難しい展示かもしれない….
大化改新で,それまで地方を治めていた国造の支配領域(「クニ」と呼んでいます)をやめました.
「クニ」を「評(こおり)」という単位に分割・再編しました.「評」は,大宝令で「郡」に改められました.
「評」の下の単位が「五十戸」です.徴税の単位である「戸」(一家族・一軒の意味ではない)を50ヶで,ひとまとめにしたものが,五十戸.
これは,のちに「里」に,さらにのちには「郷」と改められました.
「諸岡」の場合は,
| 大化制 | 久良評 | 諸岡五十戸 |
| 浄御原令制 | 久良評 | 諸岡里 |
| 大宝令制 | 久良郡 | 諸岡里 |
| 霊亀元年制 | 久良郡 | 諸岡郷 |
となります.
今回の展示は,評・五十戸時代の地方の様子ということをテーマとしています.農民の生活ではなく,行政側の展示です.
「五十戸」の木簡(複製)や,正倉院文書の戸籍(複製)の展示,関東の,「評」「郡」の役所である「評家」「郡家」の遺跡の紹介などなどがされています.
ぜひぜひ,ご覧ください.フロアレクチャーでは,担当学芸員のH氏のコスプレも見られます.
2/2
職場で,先日刊行された吉田孝『歴史のなかの天皇』(岩波新書)の一節を見せてもらいました.
『養老継嗣令』皇兄弟条が出ていました.凡皇兄弟皇子、皆為親王、女帝子亦同、・・・と.
天皇の兄弟や子は親王とする.そして,女帝の子も親王とする.
ということは,天皇ではない男性を配偶者にもつ女帝を,法制上は認めていたということになります.これは知りませんでした.
親王ということは,皇位継承の資格アリってことで,実際には一度もなかったものの,日本律令は今話題の「女系天皇」を認めていたと.
では,なぜこのような規定が入れられたのか?養老律令が施行されたのは,天平宝字元年(757).
そのときの天皇は,独身の孝謙女帝.この条文は,孝謙が非天皇の夫を迎えるために作られたのでは?
などと寝ながら妄想しました.
が,ハズレ.757年に孝謙は40歳.出産できる年齢じゃない,という言い方は失礼ですかね.
養老令が作られたときの天皇も独身の女帝だよ,という指摘を受けたので見てみたら,編纂開始時に元正天皇は39歳.
それ以前に,『令集解』に「古記」が引用されているじゃないの.ということは,「女帝子」規定は大宝令段階からあったということになりますね.
なぜこのような規定が入れられたのか?男系でも女系天皇でもかまわなかった,からですかね.
ま,内親王の夫になれるのは,皇族のみですから,男系が維持されるといえば,いじされるのでしょうけどね.
1/28
本日から,横浜市都筑区の横浜市歴史博物館で,「諸岡五十戸」木簡と横浜―大宝律令以前の支配システムを探る―という企画展が始まります.
「『諸岡五十戸』木簡」とは,奈良県明日香村の石神遺跡から出土したもの.
諸岡は,武蔵国久良郡(現・横浜市港北区)の地名.その木簡を通して,大化以後の地方行政について展示されているらしいです.
ちょっとマニアックですが,ぜひご覧になってください.別に関係者でもなんでもないんですけどね.私は,来週の2月5日のフロアレクチャーの日に行くつもり.3月5日の講演会も申し込みました.近隣の方,ちょっと立ち寄ってみてはいかがでしょうか.
1/27
あ〜久々に泣いた.
1/22
大阪・羽曳野市の塚穴古墳が,聖徳太子の弟(来目皇子)の墓である可能性が高まったと出ていました.詳細は
Yahoo!ニュースを参照.
来目皇子の死と墓は,『日本書紀』推古天皇11年2月丙子条に,来目皇子薨於筑紫、(中略)後葬於河内埴生山岡上、と記されています.今回の塚穴古墳が,この埴生山岡上だろうと.
塚穴古墳は,報道によると一辺50m四方の方墳で,2段築成とか.これは石舞台古墳(一辺50〜51m)と同規模.大王家の墓は3段築成が普通なので,2段というのが少々気になりますが,削れた,崩れた,埋もれたのかも.さてさて,問題は方墳という形.蘇我氏の系統の王族の陵墓は方墳です.
用明は,春日向山古墳(大阪・太子町,方墳,東西60m・南北58m).崇峻は,倉梯岡陵(奈良・桜井市,円墳)が指定されていますが,天王山1号墳(同,方墳,一辺45m)が適当と考えます.推古は,植山古墳(奈良・橿原市,長方形墳,東西40m・南北27m)に葬られ,のちに山田高塚古墳(大阪・太子町,方墳,東西59m・南北55m)に改葬.
蘇我の血を引いていない押坂彦人大兄皇子の墓と考えられているのは,牧野古墳(奈良・広陵町,円墳,直径50m).丸い.
さて,本題.左上の写真は奥城古墳(大阪・太子町).聖徳太子の墓といわれています.横穴式石室内には,石棺1基,乾漆棺2基が安置されています.石棺は穴穂部間人皇女,乾漆棺は太子と膳大娘のものと伝えられています.で,この古墳は直径54mの円墳.丸い.
今回,太子の同母弟の墓が大型の方墳であることが分かりました.父が方墳,弟が方墳.となると,太子の墓も方墳でなければおかしいでしょう.
さらに『延喜諸陵式』には,龍田清水墓〈間人女王、在大和国平群郡、(後略)〉とあります.これは孝徳皇后の間人皇女といわれていますが,間人皇女は,『日本書紀』天智天皇6年2月戊午条に,皇極=斉明天皇陵に合葬したと見えております.もちろん,その後,龍田清水墓に改葬したという可能性もありますが,これは太子の母の穴穂部間人皇女だとする説があります.
というわけで,聖徳太子墓を再検討しましょう.
1/15
東京国立博物館でやっている特別展「書の至宝」を見てきました.
書道に興味があるわけではないが,ちょうど高校の授業で王羲之のあたりだったりするし,東博パスポートがあまってるし,ということで.
やはり,王羲之が目玉ということで,「淳化閣帖」とかは行列でした.
日本古代史だと,三筆・三蹟モノですかね.
でも,橘逸勢・嵯峨天皇のはナシだったような.空海と小野道風ばっかりが印象に残ってます.
藤原道長の直筆の『御堂関白記』も出ていました.
あれだけの能書と並べられると….ちょっとだけ道長がかわいそうになりました.
1/11
通常国会で,皇室典範の改定案が出るという.女系相続を認めたくない派は,日本は伝統的に男系だと反対する.確かに,男系で来ている.しかし,男系の原理だけで皇位が継承されているわけではない.
そこで,古代の皇位継承の中で,前天皇の系統から離れた人物の例を見てみたい.実在か非実在かはともかくとして.(
)付きの番号は『皇統譜』による即位の順序を示す.詳細は省くので,系図を参照のこと.
(23)顕宗天皇
皇后は,(19)允恭の曾孫の難波小野王.ちなみに顕宗の後に即位した(24)仁賢は,(22)清寧の姉妹である春日大娘皇女を皇后に立てた.
(26)継体天皇
皇后は,(25)武烈の姉妹の手白香皇女.継体の子の(27)安閑・(28)宣化も武烈の姉妹を皇后に立てた.
(36)孝徳天皇
皇后は,(34)舒明の女子の間人皇女.
(49)光仁天皇
皇后は,(48)称徳の姉妹の井上内親王.
このように,前系統から離れた人物が即位する際には,前系統の女子を妃にした.前系統の女子と婚姻関係を結んだことで,その立場を確実になり,群臣たちに認められる.つまり,男系の原理だけで即位してきたわけではない.
1/9
卑劣な犯罪者が同姓だったりすると,赤の他人とはいえ,イヤな気分になる.
1/7
磐田市の史跡めぐりをしてきました.
寺谷から銚子塚古墳までの上り坂の途中で,地元の方が,お声をかけてくれ,車に乗せてくれました.いやぁ助かりました.
「古墳を見に」というと,「そういえば、あの辺りで掘ってるな、そこまで行ってやるよ」と.
へぇ〜発掘してるだ,と降ろしてもらった場所は,道路工事の現場でした.いやいや,でも,助かりましたよ.
詳細は後日.
1/4
仕事始めまで,あと1週間.少し体を絞らないと….ということで,6日に磐田市へ行くことにしました.
先日,メッセージへの返信で,「磐田の新豊院山がマキムク型」と言ったものの,見たことがないもので.
日帰りで,磐田周辺のみフラっと行ってきます.例によって,何か情報がありましたらよろしくです.
駒大の5連覇がムリなのは,去年の出雲や全日本でなんとなく予想がついていたので,別に気にしていません.
アトランタ・ファルコンズもプレーオフ出られないのも,まったく気にしておりません.気にするもんですか.
1/3
スズメバチが怖い.体調の悪いときは,大体スズメバチの夢を見る.新年早々,スズメバチの夢を見た.
1/1
あらためまして,明けましておめでとうございます.本年もよろしくお願いいたします.
今年の目標は,今やるべきことは今やる.まぁいっつも,そうあるべきとは思ってるんですけどね.
学生時代,今は亡き恩師に,「『そのうちなんとかなるだろう』で,なんとかなった人間はいない」と注意されたことがありました.
でも,ついつい「そのうち…」にしてしまっちゃうんですよね.今年こそ,それをやめたいなぁ,と.