| 長暦元年(1037) | |||||
| 6月 | 1日 | 8日 | 23日 !NEW! |
28日 | 29日 |
| 7月 |
|||||
【原文】
一日、早朝参(1)宮、令供(2)忌火御飯、其儀(3)采女一人、〈理髪、〉取御□台〔御台盤カ〕一本参入御前、〈東廂南第二間、〉女房伝取、〈陪膳益〔盃カ〕供、不理髪只指(4)釵子、〉采女還持□〔御〕台参入、〈御飯盛中(5)●[土+完]、蚫御汁物盛中●[土+完]、干物四種盛盤、干鯛・蚫一寸許盛之、鰯・鯵焼物盛之、御箸一双不置盤、酢・塩同盛杯、〉女房伝取、陪膳供之、次令取御三把給、撤之、先御飯等居飯盤賜之、次撤御台、至于御飯返給、(6)内膳御炊令埋忌火殿、御菜采女以下令之云々、件御飯・菜内膳御炊男所勤仕也、□〔御〕飯料従(7)大炊寮請之、御菜料・米三斗従庁給之、今暁□鶏鳴、以忌火炊御飯云々、(8)旧記云、御箸二双、御〔菜脱カ〕四種云々、以(9)頼輔朝臣蜜々令見大内、御膳所供如此云々、任其例令供云々、今夕御巫参入、供御贖物、〈(10)官人代吉正相副、〉供御膳之後、従御膳□方参入昼御座方、先供人形、〈置人形於如中取者二脚居(11)折敷、〉次(12)鎗八〈二折敷以紙裹其口、〉□〔供カ〕了次第撤之、〈懸御気返給、但鎗以御人指一度衝穿紙、其穴懸御気給云々、〉(13)造酒司従今日供醸御□□、
【註】
(1)宮 ・・・ 中宮藤原●[女+原(ゲン)]子。
(2)忌火御飯 ・・・ 神事に先立ち食する清らかな食事。
(3)采女 ・・・ 忌火屋女のことか。忌火屋女は忌火御飯を調理する女。
(4)釵子 ・・・ さいし。簪の一種。儀式・陪膳の髪型である「髪上」を作るのに用いる。
(5)●[土+完] ・・・ ●[土+完]椀(おうばん)。食器。『西宮記』恒例2・六月一日内膳司忌火御飯には、御菜は土器、御飯は片椀を用いるとある。
(6)内膳御炊 ・・・ 中宮職所属の炊夫か、内膳司の炊夫か。氏名・系譜不詳。
(7)大炊寮 ・・・宮内省被官。諸国から収納した穀類を諸司に配分する官司。
(8)旧記 ・・・ 何を指すかは不明。『江家次第』六月・忌火御飯に「置木箸二双」「先四種、酢・塩・酒・醤」とある。
(9)頼輔朝臣 ・・・ 藤原頼祐か。頼祐の父は伊祐、母は佐伯公行女子。このころ少納言か(尊2-37)。
(10)官人代吉正 ・・・ (卜部カ)吉正。
(11)折敷 ・・・ おしき。飲食具をのせる饗応用の食膳。
(12)鎗 ・・・ 不明。針のようなものか?
(13)造酒司 ・・・ 宮内省被官。酒・酢の醸造を行う官司。
【解説】
この日、中宮で忌火御飯の儀があった。忌火屋で炊かれた御飯が中宮に進上された。箸のことで、頼輔を内裏に送り調べさせるといったこともあったが、それ以外は特に問題なく執り行われた。
中宮忌火御飯は、内裏の忌火御飯と同じ作法で行われた。『江家次第』によると、まず御台盤1基を清涼殿大床子間に設置し、御飯・御菜4種(蚫・干鯛・鰯・鯵)が供される。天皇はそれに三箸つけ、入御ののち、陪膳はその箸を折る。蔵人は、鬼間からその様子をうかがい、参入して御台盤を御飯宿へしまう。
また、夕刻からは御巫が参入し、御贖物が供せられた。5月30日条にあるように、御巫は卜部兼忠が行い、御贖物は同吉正が供した。
その儀は、まず八本の鎗のうち、二本は折敷に載せ、紙でその口(鎗の穂先)を裹む。そして人形に穴を空け、息を吹き込む、というものであった(鱸絲垓さまのご指導による)。
【原文】
八日、今日賜御衣於御巫云々、
【解説】
今月1日の中宮忌火御飯において御贖物を供した御巫に、御衣が賜られた。
『延喜式』(神祇1・四時祭上)忌火・庭火祭条によると、御巫には装束料として絹4疋、あしぎぬ1丈1尺、綿2屯、細布6尺、紅花6斤、銭130文が、禄として絹3疋が支給されることとなっていた。
この日の「御衣」は、上記の規定のものではなく、中宮から特に下賜されたものか。
廿三日、甲子、請渡(1)印、并始行請印、早旦請印目録二通、〈一通被留、一通□□、〉(2)日時勘文奉覧(3)大夫、次参(4)殿令御覧日時勘文・目録等、〈目録召両□〔払カ〕、〉次参(5)宮、巳刻(6)属重則、(7)史生為恒、〈外記史生、〉(8)蔵人国光、(9)職掌松枝、召□〔使カ〕三人、〈(10)布衣着冠、史生已下束帯、職掌(11)布袴、〉向(12)外記局請印、即有請文、属着外記末、史生・蔵人着一分客座、職掌已下在壁外、先是(13)内匠寮進印、〈印盤納(14)赤辛櫃、居印板居史生座上案、〉大外記〈(15)頼隆真人、〉加封、属以下着座、書請文之後、召使〈須使部役留以召使令役也、〉取印書、属等起座相従於壁外、授宮召使、即出(16)外記門北行、西折入自(17)朔平・玄耀等門参(18)庁、置印案、〈着冠召使二人在前、次印着冠者捧之、職掌相副、属已下在後、烏帽子召使四五人、在過路頭雑人、〉未二刻、(19)亮・(20)権大夫・(21)進・属重則等着座、〈于時庁在(22)襲芳舎北廊、〉亮座在東横切〈南上西面敷(23)高麗端、〉進座〈東□〔上〕南面、〉属座〈北上東面、已上(24)紫端、〉印案在南面、座定之後、史生為恒捧筥来、授属重則、〈件筥(25)返抄三枚目録一枚訥〔納〕之、又封紙・筆等在之、〉重則奉覧、亮見了書封返給為恒、々々置筥・印案中階、先取出印并丹盤、以印櫃置中階端、笏却行申云、枚文三〔文三枚カ〕印捺<寸>、亮与奪称唯捺之、捺了申云、印捺〈志豆〉又与奪称唯、取文置中階、取上印櫃納印等封、取筥退出、次舁印案立西方、次居饗、〈机亮前属、(26)手長史生盃供、進前史生蔵人職掌等、〉一献後汁、二献、次起座、〈両度大夫進勧杯之、〉印納襲芳舎殿内、次退出、今日亮已下従者庁給(27)酒直料云々、
【註】
(1)印 ・・・ 中宮職の印。
(2)日時勘文 ・・・ 儀式などを行う際に、吉日を勘申した文。陰陽寮が作成する。
(3)大夫 ・・・ 中宮大夫藤原長家。
(4)殿 ・・・ 関白藤原頼通。
(5)宮 ・・・ 中宮藤原●[(女+原)ゲン]子。
(6)属重則 ・・・ 姓不詳。中宮少属。
(7)史生為恒 ・・・ 姓不詳。外記庁の史生。
(8)蔵人国光 ・・・ 姓不詳。
(9)職掌松枝 ・・・ 姓不詳。
(10)布衣 ・・・ 「ほい」「ほうい」。狩衣のこと。また、六位以下が着用する無文のもの、それを着用する身分の者のことも指す。普通は、これに烏帽子をつけるが、冠をつける場合もある。
(11)布袴 ・・・ 「ほうご」「ほうこ」。束帯に准じた装束。束帯のときの表袴にかえて,指貫(布で作られた袴)を用いる。
(12)外記局 ・・・ 詔書の作成、論奏の草案を作成を職掌とする外記の執務所。建春門外にあった。
(13)内匠寮 ・・・ 供御物などの製作を行う官司。神亀5年(728)に設立された令外官(『続日本紀』神亀5年8月甲午条)。
(14)赤辛櫃 ・・・ 調度品や衣類を収納する器物。六もしくは四つの脚をもつ。
(15)頼隆真人 ・・・ 大外記清原頼隆。
(16)外記門 ・・・ 外記庁の正門。外記庁の北側にあった。
(17)朔平・玄耀等門 ・・・ ともに内裏の門。朔平門は内裏の北門。玄耀門は朔平門の内側にある門。
(18)庁 ・・・ ここでは中宮職のこと。
(19)亮 ・・・ 中宮亮藤原経輔。
(20)権大夫 ・・・ 中宮権大夫藤原公成。
(21)進 ・・・ 記主の中宮大進平行親か。
(22)襲芳舎 ・・・ 「しほうしゃ」。雷鳴の壺とも。後宮七殿五舎のひとつ。『拾芥抄』は五間四面としているが、『大内裏図』(『新訂増補故実叢書』)によると東西七間、南北四間。
(23)高麗端 ・・・ 「こうらいべり」。高麗縁とも。畳の縁の文様で、白地に黒の花文が基本。
(24)紫端 ・・・ 「むらさきべり」。紫縁とも。紫色の畳の縁。
(25)返抄 ・・・ 官司が文書等を受納した際に出す受取状。
(26)手長 ・・・ 「てなが」。饗宴で膳の取次ぎを行う役。
(27)酒直料 ・・・ 酒代。
【解説】
3月1日に藤原●[(女+原)ゲン]子が中宮となり、中宮職が新たに組織された。そして、この日に新中宮職の印が出来、はじめて庁務が行われた。陰陽寮に吉日を勘申させ、それにより今日となった。
まず、中宮少属重則・外記史生為恒・蔵人国光(蔵人所雑色か?)・中宮職職掌松枝・中宮職召使が外記庁に向かい、新鋳された印を受け取った。
印を作製するのは中務省被管の内匠寮であった。
以下、作製にいたる手順は、『延喜中務式』鋳印条にある。
太政官→中務省→内匠寮という経路で作製が命じられ、それを受けて内匠寮から中務省に用度の申請が行われる。
中務省は太政官に、印の字様を申請。
太政官は式部省に命じて、書博士に印文を書かせる。
印文が出来ると、少納言・中務輔・内匠助以上が検校し、鋳造に入る。
完成品を内匠頭が監したのち、進上される。
また、諸司印は、『養老公式令』天子神璽条に方2寸2分(約6.6センチメートル)と規定され、『延喜内匠式』諸司印条によると、印1面の作製のためには、「熟銅大十四両、白●[(金+葛)スズ]大一両二分、臈大一両二分、調布二尺、炭二斗、和炭二斗」が必要とされた。
外記庁で印を受け取った重則らは、外記門を出ると内裏と職御曹司の間を北に向かい、内裏の北門である朔平門・玄輝門から内裏に入った。この時の中宮職は、後宮の最北部にある襲芳舎の北廊(北廂間)にあった。
その北廂間の、東側に西面して中宮亮の座、北側に南面して進の座、西側に東面して属の座が設けられ、南側に印が置かれた。
そして、3通の文書に印が捺された。文書の内容は不詳であるが、通常の庁務の始には吉書をみるのが恒例であった。おそらく、中宮の封戸に関する文書であろう。
捺印後、印は納められ、饗宴があった。また、中宮職から亮以下従者に酒代が支給された。
『中右記』大治5年(1130)3月4日条に、中宮職請印の記事がある。参加者の身分、作法など、今回の『行親記』の記事とほぼ同内容である。