| 長暦元年(1037) | |||||
| 閏4月 | 8日 | 14日 | 17日 | 19日 | 27日 |
| 5月 |
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【原文】
有(1)□□〔但馬〕国定、可勘国司罪名、□諸卿定申云々、仍被下宣旨、今日雷鳴雹降、人以恐懼、件国官人・雑色人等、(2)左少弁定親於官令(3)史致親勘問、々々之日鳩飛座□〔上カ〕云々、
【註】
(1)但馬国定 ・・・ 但馬守源則理が、石清水八幡宮別宮の神人と闘乱をした事件の定め。源則理は、生没年未詳。醍醐源氏。父は重光、母は行明親王の女子。尊3-448。
(2)左少弁定親 ・・・ 平定親。
(3)史致親 ・・・ 右大史。津守氏か。正月15日(6)参照。
【解説】
但馬守源則理と石清水八幡宮別宮神人の闘乱事件の定めがあった。闘乱の具体的な内容については5月20日条を参照。5月20日に則理は土佐国に配流となったが、12月8日には恩免されることとなった。
【原文】
有(1)推問使申請定云々、三ケ条、一停(2)師〔帥カ〕釐務、〈不□停者、〉一推問日限府(3)返抄、〈可依(4)長保例也、〉一推問之日無所遁府、(5)安楽寺□随身可参歟、〈(6)□〔蹴カ〕鞠之日無所遁者、任法可行断決、□終為後備者、可随身者、〉今夜(7)美作守召進刃傷(8)宮内丞延任并殺害延任従者、下手人(9)文平・文保、下給(10)右獄云々、今月朔比成此犯、仍先検構父(11)光任朝臣宅、□被付(12)検非違使重元〔基〕、於(13)定経朝臣宅被責、〈件文保彼美作妻乳母子云□、〉□(14)院頻雖有御消息、已無恩免、分使於方々、捜求之、□従備前国、捕来云々、後聞案内文保成猜於光□〔任カ〕責構預置□云々、有消息者未聞、候獄者書消息通安事、又申請妻、可令訪養者、(15)庁定不任此愁歟、
【註】
(1)推問使 ・・・ 事件の調査のために派遣される使者。ここでは大宰権帥藤原実成と安楽寺の闘乱に対するもので、左衛門権佐藤原隆佐が補された。
(2)師 ・・・ 「帥歟」と傍書があるように、権帥藤原実成(975〜1044)を指す。63歳。北家。父は公季、母は有明親王女子。長元6年12月30日に大宰権帥に任ぜられた。補1-254・尊1-120。
(3)返抄 ・・・官司が文書等を受納した際に出す受取状。
(4)長保例 ・・・ 長保5〜6年(1003〜4)の大宰権帥平惟仲と宇佐八幡神人の対立のことか。『百錬抄』によると、長保5年11月27日と翌年3月24日の2度、宇佐が惟仲の苛政を訴えた。それにより3月27日に定があり、推問使が発遣され、10月28日には惟仲は停任された。
(5)安楽寺 ・・・ 大宰府にあった寺院。正月25日(2)参照。
(6)□鞠之日 ・・・ 長元9年(1036)3月の曲水宴のこと。
(7)美作守 ・・・ 大江定経(?〜?)。父は清経、母は藤原道綱女子の豊子。母が上東門院藤原彰子の女房をつとめ、さらに後一条天皇の筆頭乳母をつとめたことから、それらの保護を受けた。長元4年2月17日、昇殿がゆるされたが、藤原実資は乳母の子であるから、と記している(『小右記』同日条)。
(8)宮内丞延任 ・・・ 不詳。
(9)文平・文保 ・・・ ともに不詳。2人ではなく、最初の「文」字を衍字と見、「平文保」と読むか。
(10)右獄 ・・・ 西獄とも。刑事被告人・獄囚を収監する施設。平安京右京中御門大路北・西堀川大路西に所在。
(11)光任朝臣 ・・・ 不詳。
(12)検非違使重元 ・・・ 検非違使・右衛門府生日下部重基(?〜?)。万寿4年(1027)2月3日に検非違使の宣旨を蒙り(『小右記』)、長元元年には平維盛郎党が略取事件を起こしたとき、伊勢に下向し犯人を逮捕するなどの功績を上げた(同長元元年7月19・20・22・23日、8月5・6・11・14・15・17日条、『左経記』同年7月23日、10月6日条)。この記事以降、検非違使としての活動は見られない。
(13)定経朝臣 ・・・ 美作守大江定経。
(14)院 ・・・ 上東門院藤原彰子。
(15)庁 ・・・ 検非違使庁。
【解説】
この日の記事は二つの内容に分けられる。前半は藤原実成と安楽寺の闘乱に関するもの、後半は大江定経による某延任ら殺傷事件である。
前半の事件に関しては正月25日条参照してもらいたいが、ここでは5月15日に派遣される推問使に関する定が行われた。
後半の事件は、この月の1日頃に起こった大江定経が某文保に、某延任とその従者を襲わせた事件に関するもの。定経が何故このような事件を起こしたかは不明である。定経は、註にもあるように藤原彰子らの保護下にあったため、「御消息」などがしきりにあったようだが、恩免はなく捕らえられた。
【原文】
依(1)大夫御物忌参門外、申(2)史生事・(3)頼孝事、雖被□令申案内、後仰云、以此定可下者、仍参(4)宮仰(5)属重則、
【註】
(1)大夫 ・・・ 中宮大夫藤原長家。
(2)史生 ・・・ 公文書の清書や複写などを行う下級職員。ここでは、中宮職の史生のこと。同職史生の定員は8人であった(『延喜式部式』諸司史生条)。
(3)頼孝 ・・・ 不詳。『御堂関白記』長和元年閏10月27日条にみえる藤原頼孝か。藤原頼孝は北家良門流。父は頼経、母は不詳。尊2-51。
(4)宮 ・・・ 中宮藤原●[ゲン(女+原)]子。
(5)属重則 ・・・ 不詳。
【解説】
この日、行親は藤原長家を訪れるが、長家物忌のため門外でことを済ます。中宮職の史生と頼孝のことについてとあるが、詳細は不明である。史生のことは、おそらく人事であろう。頼孝も人事関係であろうか。
【原文】
(1)頭弁奉仰、依(2)右兵衛督被奏、問(3)右衛門権佐、〈於殿上云々、〉(4)金吾所述申雖不違法式、不被任所申条□〔之カ〕事、只推可恐申者、(5)武衛被奏詞中、随身兵衛無故被拘禁云々、専不拘禁云々、若違懸下臈者、奏事不実罪可有□□歟、
【註】
(1)頭弁 ・・・ 蔵人頭・左中弁藤原経輔。
(2)右兵衛督 ・・・ 源隆国。
(3)右衛門権佐 ・・・ 平範国。
(4)金吾 ・・・ 衛門の唐名。ここでは右衛門権佐の平範国をさす。
(5)武衛 ・・・ 兵衛の唐名。ここでは右兵衛督の源隆国をさす。
【解説】
源隆国と平範国の間で問題が生じたようである。原因ははっきりしないが、範国が隆国の随身を拘禁したか、しないか、ということらしい。これにより、今月27日に範国は召問を受けることになる。
【原文】
召(1)右衛門権佐云々、