2005年12月 宮崎県の旅
〜西都原古墳群編〜
宮崎県西都市の西都原古墳群には,
大小あわせて300基以上の古墳が密集しています.

今年の調査で,古墳群最古のものであることが判明.
形状は纏向型とよばれる形.
前方後円墳の原型ともいえるもの.
纏向との関係はまだ不明.
古墳というのは,モニュメント.
人々に見せる必要があります.
この81号墳は台地の縁に造られています.
写真の古墳の奥の林は斜面になっていますが,.
古墳が造営された当時は,林の木はすべて切り倒され,
台地の下からこの古墳が見えたはず.
民衆は,台地の下の水田の周辺で生活をしながら,
台地の上の首長の巨大な墓を眺めていたのでしょう.
地形図を見れば分かりますが,
81号墳だけでなく,西都原古墳群のほとんどの前方後円墳が台地の縁に造られています.
男狭穂塚・女狭穂塚などは,規模は大きいが,
台地の奥のほう,台地の下からは見えない場所にあります.
81号墳などに比べて,かなり後のものだということがわかりますね.

81号墳の後円部上から前方部を眺める.
今春の調査のため,ほかの古墳のような芝生はなく,
土がむき出し.

81号墳の前方部から後円部を眺める.
私は神武東征をとらないし,ヤマタイ国は纏向だと考えています.
この古墳とヤマト政権の関係についての私見は,
そのうち,このサイトのなかで書きます.
10年以内には書きます.
いや,20年以内には….

完成時に近い形に整備されています.
本来は芝生ではなく,石葺ですが.
内部が見学できるようになっています.


13号墳の内部.
横穴式ではなく,竪穴式.
置いてある鏡や玉はレプリカですが,
発掘時に,だいたいこんな感じにあったと.
竪穴式の埋葬主体部を,古墳の中に保存しながら公開する,
というのは初めて見ました.面白い.

たぶん72号だと思う.
鉄刀や方格規矩鏡が出土したと云々.
日本ではじめて粘土槨が確認された古墳です.

72号墳の後円部上から見た西側の陪冢群.
とにかく,数が多い.

地下式横穴墓は,南九州独特の埋葬方式.
まず竪穴を掘り,そこから横穴を掘り,石室を造るというもの.
ここは,小円墳である111号墳と,4号地下式横穴墓が重なっています.
これらは同時期に造られたらしいというので,なかなかおもしろい.
整備中らしい.

陵墓参考地につき,立ち入り禁止.
コノハナサクヤヒメの陵という.
西都原古墳群内では最大規模.
図版で見ると,きれいな形の前方後円墳.
でも,陵墓参考地につき,立ち入り禁止.

大きな円墳.
後ろの茂みは男狭穂塚(陵墓参考地).
男狭穂塚の陪冢らしいが,大きい.直径50メートル.
国の重要文化財に指定されている子持家形埴輪は,
ここから出土したといわれていましたが,
近年の調査で,おとなりの170号墳(雑掌塚)からだったことが判明したそうです.

古墳群内で唯一の方墳.
規模は小さい.右側の林は女狭穂塚.
女狭穂塚と関係ありか?
四辺のうち,写真に写っている二辺だけ石葺を再現します.

大円墳で,この古墳群で唯一,横穴式石室を持っています.
珍しいのが,円墳の周囲に土塁(外堤)を持っていること.
この土塁が高い.
円墳の1段目ぐらいの高さ.
日本の古墳じゃないみたいな雰囲気です.

羨道から石室を望む.
6世紀末と7世紀初の2回の埋葬があったらしい.

延喜式内社.
コノハナサクヤヒメを祀る.
『続日本後紀』承和4年8月朔条に「妻神」とあるのが初見.
このとき官社に預かった.
古墳群のある台地の下にあり,
上記の72号墳のほぼ真東に位置します.
木々を伐採しちゃえば,ここから首長の古墳が見えるということ.
古墳群を築いた首長の居館はこの神社の周辺と考えられています.

基壇と礎石が残っていますが,何の跡でしょうか?
国分寺跡は,古墳群と同じ台地上にあります.
国分寺跡の周辺にも前方後円墳があります.

現在調査中のようです.

国府の印,不動倉の鑰を神聖視し,神格化し祭った神社.
この辺りに日向国府があり,
印鑰が収められた殿舎があったのでしょう.
日向国分寺の南600メートルぐらいのところにあります.
参考文献