摂津源氏に関係する先行研究一覧。
今後、少しずつ内容紹介をして行きたいと思います。
文学・和歌関係は申し訳ありませんが、しっかり見ていません。
こんなのがある、と言うものがありましたらご教授下さい。
(2005/1/8)
星野 恒 「世ノ所謂清和源氏ハ陽成源氏ナル考」(『史学叢説』第2集、冨山房、1909/9、初出は1901/1)
経基流のいわゆる「清和源氏」は、「清和源氏」ではなく「陽明源氏」であるとする衝撃的論文。岩清水文書の中の「源頼信告文」の記載を根拠とし、清和天皇−貞純親王−源経基の系譜を疑い、清和天皇−陽成天皇−元平親王−源経基とする。
犬養 廉 「和歌六人党に関する試論-平安文壇史の一齣として-」(『国語と国文学』昭和31年9月号、1956/9)
安田 元久 「源満仲とその説話について」(日本歴史学会編『歴史と人物』、吉川弘文館、1964/11)
「伝説的武士」である満仲の系譜・経歴・伝承を史料的に再検討した、研究史上非常に重要な論文。『今昔物語』の「満仲の武士団」が、同書成立時の武士団の姿を反映したもので、満仲当時の姿ではない、と指摘したことは武士団研究史にとって重要である。
鮎沢(朧谷) 寿 「摂関家と多田満仲」(古代学協会編『摂関時代史の研究』、吉川弘文館、1965/5)
鮎沢(朧谷) 寿 「源頼国(一)・(二)」(『古代文化』 19-6,20-3、1967/12,1968/3)
頼国の経歴を史料により紹介した研究。また、室や女子についても触れる。蔵人所雑色補任を六位蔵人補任としたり、左衛門尉が少尉であったか大尉であったのかという点に関してもやや誤認がある。頼国に対する評価は私とは異なっている。
朧谷 寿 『源頼光』(人物叢書、吉川弘文館、1968/6)
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萩谷 朴 「●[バイ(示+某)]子内親王を中心とする後宮文学圏」(『平安朝文学の史的考察』、白帝社、1969/2)
角田 文衛 「左大臣頼長の外祖母−『保元の乱』の理解のために−」(『王朝の映像−平安時代史の研究−』、東京堂出版、1970/8)
保元の乱の主役の一人である藤原頼長、彼の外祖母の出自について論及。頼長の外祖母は、頼綱女子の盛子である。
角田 文衛 「源頼綱の娘たち」(『王朝の映像−平安時代史の研究−』、東京堂出版、1970/8)
『岐阜県史』 通史編古代(岐阜県、1971/3)
増淵 勝一 「源頼家伝考-和歌六人党の成立をめぐって-」(一)(二)(『立正女子大学短期大学部研究紀要』16,18、1972/12,1974/12)
歌人頼家の生涯を紹介した論考。記録以外に和歌から頼家を追う。頼家の心情なども語られている。
多賀 宗隼 『源頼政』(人物叢書、吉川弘文館、1973/2)
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安田 元久 「多田源氏の系譜をめぐって」(『武士世界の序幕』、吉川弘文館、1973/10、初出は1973/2)
「多田源氏」の家系と多田庄の伝領過程についてと、明国の子孫の「多田蔵人行綱」について。頼光・頼国が「多田」を称さないことと『尊卑分脈』の記載から頼綱は頼範の子で、頼国の養子となったと考える。そして、多田庄は満仲-頼範-頼綱に伝えられたとする。
『かわにし・川西市史』 第1巻(川西市、1974/8)
岡田 清一 「両総における北条氏領―補遺―」(『房総の郷土史』 3、1975/6)
上野 理 「和歌六人党と歌」(『後拾遺集前後』、笠間書院、1976/4)
井上 宗雄 「源頼綱−その生涯と和歌と−」(『日本歴史』337、1976/6)
宮崎 康充 「古代末期における美濃源氏の動向」(『書陵部紀要』 30、1978/2)
国房−光国−光信・光保の、いわゆる「美濃源氏」の動向について考察し、「棟梁的武士」と郎党の関係を論じる。美濃国での活動、都における活動が詳細に検討されており、研究史上大変重要な論考。
湯山 学 「多田源氏と東国−下総国下河辺庄を中心として−」(『古河市史研究』 3、1978/3)
渡辺 雅子 「源三位頼政の生涯と和歌」(『北見大学論集』 1、1978/10)
井上 宗雄 「摂津源氏の歌人たち」(『平安後期歌人伝の研究』、笠間書院、1978/10)
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井上 満郎 「源氏と平氏-棟梁の成立-」(『平安時代軍事制度の研究』、吉川弘文館、1980/5)
野口 実 「秀郷流藤原氏の基礎的考察」(『板東武士団の成立と展開』、弘生書林、1982/12)
朧谷 寿 『清和源氏』(教育社歴史新書、1984/11)
清和源氏の発祥と展開過程についての概説書。満仲・頼光・頼親・頼信については、その経歴・生涯を詳説している。もちろん、その次世代以降についても触れられている。
元木 泰雄 「摂津源氏一門−軍事貴族の性格と展開−」(『史林』 67-6、1984/11)
「軍事貴族」の性格の変遷を明らかにするため、頼光〜頼政までの摂津源氏を細かく分類し、各時期の特質について論じる。頼光・頼国の時期は軍事的側面を公然化させない「兵家貴族」段階、頼綱・国房は軍事的側面を公然化してゆく過渡期、それ以降は公然化した「京武者」と区分。
上条 彰次 「武家歌人源頼政論」(『静岡女子大学研究紀要』 18、1984)
樋口 州男 「頼政の墓」(『中世の史実と伝承』、東京堂出版、1991/09、初出は1986)
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盛本 昌広 「下河辺氏と源頼政」(『龍ヶ崎市史』 3、1989/3)
下向井 龍彦 「天慶藤原純友の乱についての政治史的考察」(『日本史研究』348、1991/8)
藤原純友の挙兵は、承平年間の海賊平定に功績があった者への恩賞が不十分であったことと、受領とそれら「承平南海賊平定勲功者」の対立が原因であったとする。純友の乱平定に参加した源経基らについては「東国での将門追悼戦でめだった勲功を揚げ得なかった」ことで、汚名挽回のため「自発的に西国へ転戦」したとする。
堀竹 忠晃 「源頼政の挙兵について」(『論究日本文学』 57、1992/12)
元木 泰雄 『武士の成立』(吉川弘文館、1994/8)
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福田 豊彦 『東国の兵乱ともののふたち』(吉川弘文館、1995/2)
保立 道久 「都市王権の成立」(『平安王朝』、岩波新書、1996/11)
P91〜93に満仲と安和の変について記す。従来、満仲は摂関家の家人といわれ、師尹か兼家に仕えていたとされるが、ここでは藤原師輔と親族であったこと、師輔と良源、満仲と良源の関係から、師輔家人であるとする。また、この王家の対立の裏面に身を置いたことで「暴力を職分とする軍事貴族となっていった」とする。
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佐藤 恒雄 「為家室頼綱女とその周辺」(『中世文学研究』 24、1998/8)
根本 隆一 「摂津源氏と下総国」(『野田市史研究』11、2000/3)
頼政と、その郎等で下総国の在地領主である下河辺氏との関係がいかに生じたのか、という点を主題に、経基〜頼政までの官歴、東国との関係を紹介する。多田荘の成立時期や、頼綱と馬の調達に関して独自の論を立てた、つもりです。
野口 実 『伝説の将軍 藤原秀郷』(吉川弘文館、2001/12)
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赤坂 恒明 「世ノ所謂清和源氏ハ陽成源氏ニ非サル考-源朝臣経基の出自をめぐって-」(『聖学院大学総合研究所紀要』25、2003/01)
元木 泰雄 『源満仲・頼光-殺生放逸 朝家の守護-』(ミネルバ書房、2004/2)
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元木 泰雄 『保元・平治の乱を読みなおす』(NHKブックス、日本放送出版協会、2004/12)
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