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曜日 |
日数 |
記事 |
| H12.09.25 |
(月) |
64 |
夜母のところへ、今日は左脚の骨折の具合の説明だ、何だか戦いに行くような気持ちになる、朝からとてもナーバスになっていて緊張が続いている、作者自身自分がどうしたの分からない、何故か苛立つ(この苛立ちは母の行動そのものに対してでもある、本当に馬鹿な事をしたものだ)、とにかく今後の回復の可能性の無事を祈る |
| H12.09.25 |
(月) |
64 |
初めて母の食事風景を見る、お粥とスープと細かい野菜and挽肉だ、どうにか食べている、割と普通に食していることに安心、写真を撮る(写真6へ) |
| H12.09.25 |
(月) |
64 |
知人は予定通り退院したとのこと、良かった安心だ、母も早く退院出来ることを祈る |
| H12.09.25 |
(月) |
64 |
左脚のスネを見ると「赤アザ」のような物が出来ていて、更にそれに発疹状のブツブツが3、4カ所出来ている、木曜日に形成外科の先生に診ていただく予定 |
| H12.09.25 |
(月) |
64 |
整形外科の先生が緊急手術とのこと、7時の約束が9時に変更、出直すことに |
| H12.09.25 |
(月) |
64 |
9時に整形外科の先生にお会いする、説明は分かりやすかった、良さそうな先生に安心 |
| H12.09.25 |
(月) |
64 |
骨折箇所(図4へ)は「大腿骨頸部」、丁度大腿骨頭と大転子の間の正に頸の部分が潰れているような骨折、手術可能かどうか、受けるかどうか、これからが問題だ(祖母と同箇所) |
| H12.09.25 |
(月) |
64 |
手術するとしたらスクリュー・ボルトで固定する方式か人工骨頭を入れる方式らしいが、ボルトでの固定はいずれ人工骨頭への時間稼ぎでしかないとのこと |
| H12.09.25 |
(月) |
64 |
歩行については手術を受けると骨折前の1ランク下のレベルでの回復が期待されるらしく、受けなければ「一生、車椅子」での生活を余儀なくされるとのこと |
| H12.09.25 |
(月) |
64 |
手術に関しては「手術可能かどうかは先生が脳神経外科の先生と相談」「受けるかどうかは作者ら家族で相談」となった |
| H12.09.25 |
(月) |
64 |
母へは明るくなってから話をしよう、とにかく左脚に体重を掛けてはいけないこと、などを話した |
| H12.09.25 |
(月) |
64 |
帰宅後、大きな脱力感に襲われる、もっとしっかりしなければ |
| H12.09.26 |
(火) |
65 |
仕事の都合で病院へ行けず(また正直なところ、夕べの脱力感が尾を引いているのも事実だった、現実からの逃避なのか?) |
| H12.09.26 |
(火) |
65 |
夜気を取り直して骨格図などで骨折箇所等を調べる |
| H12.09.26 |
(火) |
65 |
担当医がリハビリの様子を観察されたそうだ、安心した |
| H12.09.27 |
(水) |
66 |
16時半頃MRIを撮ったとのこと、30分ほどじっとさせられたことに母は不満の様子、終了と同時に咳き込んだらしい |
| H12.09.27 |
(水) |
66 |
ヘヤブラシ・靴下(ストッキング)・スリッパ(トイレ用)・座椅子が欲しいとのこと、本当にそこまで良くなっているのか確かめたく思い明日にでもリハビリの様子を見学しに行くつもりだ |
| H12.09.27 |
(水) |
66 |
親戚の知人でくも膜下出血で片目が不自由だった人の体験談を知りたいそうだ、その方はその後目が開いたとのこと、どのような治療をしたのだろうか |
| H12.09.27 |
(水) |
66 |
左脚スネの赤アザの痒みは少し良くなっているらしい、但し木曜日と言っていた診察は金曜日になるらしい |
| H12.09.27 |
(水) |
66 |
初めて車椅子を押して母をトイレへ、車椅子への乗り方が随分うまくなっている、車椅子のストッパーを丁寧に掛けている母の姿が痛々しいしそれでいて律儀にも感じる、しかし言われた事をしっかり正確に行っている母の姿に以前の面影を感じる、感謝 |
| H12.09.27 |
(水) |
66 |
担当医が作者のパソコンの記録に興味を持っていらっしゃるとのこと、早急にまとめよう、感謝 |
| H12.09.28 |
(木) |
67 |
午前10時に初めてのリハビリ見学、妻もいっしょに行ってくれる、勇気100倍感謝100倍! |
| H12.09.28 |
(木) |
67 |
10時半まではST(SpeachTehrapy)とのこと、面会禁止なので待つことに |
| H12.09.28 |
(木) |
67 |
10時半からOT(OccupationalTherapy)で見学と手元のみ写真撮影を許可される(周囲の患者さんの顔が写らないように配慮) |
| H12.09.28 |
(木) |
67 |
初めてのリハビリ見学(OT:Occupational Therapy)【写真7へ】、革細工のような事をしながら手先の器用さを回復させるようだ |
| H12.09.28 |
(木) |
67 |
女性のトレーナーに現状を伺う、錯書(間違った文字を書いても気付かない)・軽度の失語症・入院以来の記憶力が低下・注意力の低下(これはひどいようだ)・OT時に指先に震え、等があるとのこと |
| H12.09.28 |
(木) |
67 |
女性トレーナーに9月7日の骨折あたりに幻覚症状があったかも知れないと伝えた |
| H12.09.28 |
(木) |
67 |
妻その場で久しぶりに聞く母の声に感激! |
| H12.09.28 |
(木) |
67 |
現在では誤飲(ごえん)はなくなってきている、喉の管を2ランク細いモノに代えたからだろうか、代えた理由は管の交換時に前のが入らなかった為とのこと |
| H12.09.28 |
(木) |
67 |
食事は今朝よりパン食で普通食、1200cal→1600calにしたとのこと |
| H12.09.28 |
(木) |
67 |
女性トレーナーが仰るには「9月の初めにIQテストを行った、結果が悪く本人もショックだった様子、しかし最近では立ち直ってきたようだ」とのこと |
| H12.09.28 |
(木) |
67 |
女性トレーナーに骨折のことで、本人の母(作者の祖母)も現在の母の年に尻餅をつき骨折したこと、また手術なしで92歳の現在まで元気なことを告げ手術は見合わせたとの相談をした |
| H12.09.28 |
(木) |
67 |
本日19時以降に整形外科の先生よりMRIの結果の報告があるとのこと、そして予定通り19時に面談、結果は手術無しで左脚は車椅子での移動前提の筋トレによるリハビリ(メニューは整形の先生が考えて下さるとのこと)となった、作者の述べた「手術をしない旨」の希望は実は他の整形先生達とも話し合って下さった結論とも一致していたとのこと、これを聞いたときに心底安心した、また本当に良い先生方だと感謝した、言い尽くせない程の感謝! |
| H12.09.28 |
(木) |
67 |
結局結論を言うと「生涯車椅子の生活が前提、しかし全く歩けないというわけではない、身の回りの事は出来るしその分の方向は可能」とのこと、本来ならば気落ちする結論かも知れないが本音を言うと安心・安堵、この日は安心して熟睡出来た、感謝
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| H12.09.29 |
(金) |
68 |
仕事の都合で病院へは行けず |
| H12.09.29 |
(金) |
68 |
朝の回診で他の先生が母に「家の作りは車椅子に向いているか。介助の人はいるのか。」などと仰ったそうだ、先生方もいろいろ気を遣って下さっているご様子、感謝、生涯車椅子で生活しなければならないということは本当に大変な事だと実感した |
| H12.09.29 |
(金) |
68 |
朝の回診時に現在作者が作成している「母の日記」をその時にいた看護婦さんに手渡したとのこと、資料に加えて頂けると幸いである |
| H12.09.29 |
(金) |
68 |
形成先生が左脚を観て下さったとのこと、結果は「やけど」か「かぶれ」のようなものとのこと、一応軟膏をいただいて塗っている、また一週間後に診察 |
| H12.09.30 |
(土) |
69 |
朝車椅子の患者対象の体操教室があったとのこと、初めて参加して自己紹介(実際には声が出ないので担当者が)したとのこと、母は「周囲は車椅子のおじいちゃんとおばあちゃんばかりだった」と(少し不満そうに)言っていた |
| H12.09.30 |
(土) |
69 |
昼間叔母に教会のオルガンのセットを教えたとのこと、そういうセットまで覚えていたのかと回復振りに驚く |
| H12.10.01 |
(日) |
70 |
今日から普通食の予定 |
| H12.10.01 |
(日) |
70 |
昼食は堅めのお粥、そして夕御飯がごはんだったそうだ、毎回の事だが「ここまで来たか!」と非常に感慨深い、安堵と感動 |
| H12.10.01 |
(日) |
70 |
9月3日に尋ねてきた教え子が昨日の同窓会の報告でいらっしゃったとのこと、その際写真とみんなからのメッセージの入ったカセットテープを持参して下さったとのこと、感謝 |
| H12.10.01 |
(日) |
70 |
夕方息子を連れて行った、入院後初めて少しだけ抱っこしてもらった、車椅子に乗った状態でそこで抱き締めるように抱っこしていた、本当に嬉しそうだった、安心したのと同時に未だ夢を見ているようだ |