ワルラスの純粋経済学とは?

 

 この会議室を主催するようになって、あまり会議室への参加者は多くないのですが、その影響力は結構あるようです。もっとも、参加者が多くなることを期待していた訳ではなく、この会議室を閲覧することによって、経済学に興味を抱く人が増えることを期待している訳です。春になりますと、雑誌界は決まって、経済学入門のような特集を組みたがる傾向があって、『週刊ダイヤモンド』(4月25日特大号)では、「みるみる分かるゼミナール日本経済入門」という特集を組みましたし、『週刊東洋経済』(5月2−9日特大号)では、「人気低迷!転機に立つ大学・経済学部」という特集を組んでいました。とにかく経済学部経済学科の学生は、「大学で何を学ぶべきか?」と迷いながらも、暗中模索のうちに4年間が経過してしまう傾向が強くて、司法試験とか公務員試験という具体的な目的もなく4年間を過ごしてしまう「アホウ学部、失礼、法学部の学生」と同じ境遇を経験するパターンが多いのです。

 かく言う僕自身も、理論経済学に手を染めなかったら単なる「バカ学生」で終わったことでしょう。しかし、そこに運命的な出会いがあった訳で、大東文化大学の石橋春男教授こそが、私の恩師であります。

 大学1年から4年まで(3年、4年はゼミ活動)、4年間も勉強させていただいた訳で、先生は、非常に教育熱心なお方で、教養部では経済学(ミクロ、マクロ)や経済原論を講義し、専門課程でのゼミ活動の外、付属の大学院の院生も指導するという活躍振りで、先生の執筆された教科書も岐阜県図書館で、探すことができるくらいです。

 前置きが長くなりましたが、石橋先生が研究されていたのは、レオン・ワルラスという新古典派経済学者でした。レオン・ワルラスと言えば、何と言っても、「一般均衡理論」が有名で、ノーベル経済学賞の受賞者の研究テーマは、新古典派経済学サイドの「一般均衡理論」の発展型と考えても良いくらいです。

 さて、レオン・ワルラスとはどんな経済学者であるかと言うと、限界革命のトリオの3人目で、珍しいフランスの経済学者で、ローザンヌ学派の経済学者であると言えるでしょう。

 もう少し詳しく説明しますと、「限界革命」とは、それまでの主流であった「労働価値説」を根底とする古典派経済学の価格の説明と交換比率の問題を「効用」(ワルラスの場合はラルケという「稀少性」を使用)という物の存在も忘れてもらっては困ると主張した訳です。

 労働価値説と稀少性の問題については、「水とダイヤモンド」の話があまりにも有名で、本会議室の「古典派経済学」の「価値と価格」を参照してください。次に、「トリオの3人目」ですが、イギリスのジェボンズ、オーストリアのメンガーそして、フランスのワルラスとなります。ワルラスの場合、古典派経済学と全く異なるのは、経済の関係というのは相互依存関係であると強調する点です。古典派の場合、因果関係を重視し、原因があって結果があるという考え方をするのですが、ワルラスはそうではありません。原因は結果になり、結果は原因になる、いろいろなものが絡み合って決まってくる、すなわち、相互依存関係というのが、「一般均衡理論」の骨子なのです。ここで、度々登場する「一般均衡理論」をごく簡単に説明しておきます。

 「一般均衡理論」とは、n個の財市場において、n−1個の財市場の需給が均衡すれば、残りのn個目の財市場も均衡するという「ワルラスの法則」というものに他なりません。 この内容を理解するためには、『ワルラス経済学入門』(根岸隆著、岩波セミナーブックス、1985年初版)を読んでいただければ良いと思います。

 何故ならば、いきなりワルラスの『純粋経済学要論』(久武雅夫訳、岩波書店)を読んでも訳が分かりませんし、「経済学の古典中の古典」と呼ばれるほど、「経済学の本の中で読まれない本」の代表だからです。

 『純粋経済学要論』にまつわる逸話はいくつもあって、日本では1930年代に手塚寿郎さんが最初にフランス語を翻訳しましたのに、上下巻合わせて岩波文庫から出版されたにもかかわらず、何万円という高い値段で、古本屋さんでもなかなか手に入らなかったそうです。                                     また、久武先生の新訳が出るまでは、手塚訳のその内容は現代の経済学界では考えられないほど、テクニカルターム(専門用語)がかけ離れた内容だったようです。

 これらのことから分かるように、ワルラス経済学を研究するということは、大変なエネルギーとフランス語と数学のセンスが必要で、私の恩師である石橋春男教授がローザンヌ大学に留学された時には、フランス語に没頭しすぎて日本語を忘れてしまうくらいだったそうです。

 最後に、ワルラスの経済学を「純粋経済学」と呼ぶ理由は想像がつくと思いますが、その著書である『純粋経済学要論』 の「純粋」を当てはめたのみならず、ワルラス自身、『要論』の中で、経済学を「純粋経済学」、「応用経済学」、「社会経済学」の3つに分類したことに端を発します。

 その代わりに、「応用経済学」と「社会経済学」は出版されることもなかったことも付け加えておきます。

 これで、経済学者はアダム=スミス、マルクス、ケインズしか知らなかった人もワルラスという偉大な経済学者の存在を認識することができたのではないでしょうか?

(1998.5.25)

マクロ経済学

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