国際ネットワーク大学コンソーシアム  平成12年11月20日(月)
第9回 情報と知識と知恵
             東亜大学長 山崎正和

 山崎正和氏と言えば、劇作家でありながら、「柔らかい個人主義の時代」というベストセラーが示すように、その時代を読む眼力は素晴らしいものがあります。
 山崎氏によれば、「情報化」という言葉が流行語であるが、「情報」とか何かという定義は難しいと言います。そこで、山崎氏は「情報」の定義を比較によって考えます。それにはまず、情報の正反対:モノ(物質あるいは物体とは呼ばない)を考えます。モノの特質とは以下の通りです。
・モノには、裏表がある
・モノには、様々なアスペクトがある
・モノは一度に全体を見ることができない

すなわちそこから、モノを認識する力=直観という概念が生まれます。そこで改めて情報とは何か?と考えると、「差し当たり見えるもの、1つ1つのアスペクトのこと」と定義されます。
 モノに付随する情報は、にじみ、ゆらぎという不確実な色彩を持ち、線にも太さや形に不確実なところがあり、音楽にも不確実な、複雑なゆらぎがあり、モノの1面しか表していない特徴があります。
 そのために、モノを理解するためには、そのアスペクト(情報)を取り出し、抽象化する必要があります。抽象化されたモノには、にじみやゆるぎは存在しないので、写真を撮ることに似ています。
 更に、モノと情報の違いとして、モノはいつか滅びてなくなるが、@情報はそのモノと共に滅びるとは限らない。Aモノは必ず場所にあるが、情報はどこにあるかは言えない。情報は場所を持たない。B情報は決して単独で存在しないので、情報のつなぎ合わせて抽象を綜合することにより知識が生まれます。 したがって自然科学者たちが扱うモノとは、既に抽象化された物体(知識)なのです。
 更に、山崎氏は「情報化の持つ2つの意味」として@モノから情報への変化とAITによる情報の量の増加を唱えました。 
 「モノよりも情報の意味が増えたということ」は、衣服には、デザインという情報が乗っており、色、形、イメージを求める傾向があると言います。大量消費社会が生まれた要因として、 モノの消費は価格で見ると良く分かるのではないかと思われます。Tシャツの値段の布代は100円、デザインが 2,900円という事例がその典型です。食べ物について考えると、モノとしての食べ物は、カロリーは嫌われ、「おいしい」という情報が好まれるし、旅行の考え方は、風景を楽しむ、物語を知る=情報を知るということが重視され、時間を消費するための仕掛けが必要になっています。
 「情報の量の増加」とは、様々なメディアが増えて文字を読める社会の到来(リテラシーが高い)しました。写真とラジオの発明により音声から情報が伝わり、カメラの小型化、普及、写真週刊誌の普及、テレビの誕生という一連のメディアにより生み出された情報が重視されるようになりました。電話の発展はお互いに情報が交換されるようになり、今でも放送と通信は法律で区別されています。そしてインターネットは放送も通信ができて、情報の共有化と生産効率の向上が期待されています。
 しかし、モノの上に乗ってやって来る情報は、必ず「にじみ」、「ゆらぎ」がつきものであるが、ITは「にじみ」、「ゆらぎ」をできるだけ最小限に縮小する。それは、何故かというと、ITの情報は普遍的であり、コンピューターのチップという小さなものに保存されてしまうからである。
 最近は、人間の身体が重要になっていますが、身体は情報そのものであるからである。劇場は役者が情報を発信するのみでなく、観客も情報を発信しています。観客の感動等も役者を刺激するというのがその理由であり、情報の生産は、流行を発信し、伝えることである。ITの存在は、人間の身体の意味を薄めてしまう傾向があるので、常にITを補足する必要、場所をつくる必要があります。それとともに、人間の身体だけでなく、自然も大切で無構造な、無秩序な情報も重要です。
 一番困るのは、断片としての情報に偏る傾向です。情報は、無数の断片的な知識であり、情報は、直ぐ陳腐化して古くなる傾向がある。
情報は新しいことが命で、知識は、情報のかたまりであるが、直ぐ古くなったり、陳腐化する訳ではない。知識としての連続性は残しおり、知識は成長する。
 情報に対するモノとして、知恵(ウィズダム)というモノがある。いわゆるおばあさんの知恵、お坊さんの知恵と呼ばれるような昔から知恵は、老人と古い共同体が持っていた力であった。知恵は、知識の発展により追いやられてきましたが、知恵は古いモノほど尊重される傾向がありますが、間違っていると、とんでもない事態を招く場合もあります。
 情報に疲れた人は、知恵に頼る傾向があります。例えば、変な占い、変な新興宗教、global standard(グローバル・スタンダード)という世界基準 de−fact standard(デファクト・スタンダード)という結果としての標準に頼ります。その結果、人権、民主主義、共産主義という社会的信条までもデファクト・スタンダードになりつつあります。それは更に、生命倫理の問題としてクローン人間への応用を禁止する、義手・義足、記憶チップの開発などのように、一方を禁止して他方を容認する矛盾なども発生させているのです。

                                                 (2001.4.29)

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