平成13年度前学期国際ネットワーク大学コンソーシアム共同授業
知識社会論V


主会場:朝日大学
サテライト会場:(中濃)中部学院大学短期大学部

平成13年6月12日(火)第4回 文明の海洋史観        国際日本文化センター教授 川勝平太

 

 川勝平太さんは、1999年7月から9月までNHK教育テレビにおいて、「近代史はアジアの海から」というNHK人間講座で講義をされたことがある経済史家である。その独自の歴史に対する切り口は、従来の歴史学説に留まらず、海洋史観という独自の手法により、世界史と日本史が融合されて、新しい「地球史」という学問を提唱されています。
 残念なことに、私はNHK人間講座のテキストを持ちながら、第1回はビデオに録画して見たことがあるのに、第2回目以降はビデオの録画もしなかったし、一切見ていない。テキストも毎度のことながら禄に読んでおらず、まったく白紙状態での聴講であった。
 川勝氏は、今回の講義で、150年間で、日本は世界で第2番目のGDPの国家になり、非西洋圏随一の経済国家となったが、どうして日本がそれが可能だったのか?世界の中の日本を考えるに当たり、たくさんの学説があるので、学説を整理しながら、日本が欧米へのキャッチアップしてきた理由を考えたいとして講義を始めました。
 最初に、日本がキャッチアップの目標としたのが、イギリスである。なぜならば、世界で最初に力を付けたのは、イギリスだからである。
なぜイギリスが世界で一番力を付けたかと言えば、イギリスの農村の発展は、勤勉なイギリス人労働者によるのではないだろうかと川勝氏は言います。
 農業社会 → 工業社会 → 世界へ拡大
 日本史の説明方法に海、海洋史観を導入するという川勝氏の独自の方法は、陸地中心史観からの脱却し、海から文明が勃興していることに注目します。事例として、古代文明の発生は?中国、インド、メソポタミア文明のように大河から生じているのに、大陸の文明が衰退して、海洋文明が発展してきたのは何故なのだろか?という疑問から話は始まります。
 イギリス、ヨーロッパ、日本の関係はどうなっているのかといえば、16世紀後半ころから17世紀の初め(鎖国の以前)には、交易が行われており、日本の倭寇(海賊)は約300年間行われていた。中性のベニスの商人は、胡椒などを1350年前後から取引しており、ベネチアはこのころに商業で栄えていた。胡椒は薬として使用されたようである。
 中性のヨーロッパでは、黒死病の流行し、5年間で人口規模が激減し、150年間は人口が停滞する時代が続いていました。その後、スペイン、ポルトガルが世界に飛び出し、東方貿易を目指すことになるのである。
 コロンブスによって4回の航海が行われ、ヨーロッパでは、マルコ=ポーロの「東方見聞録」の影響により、黄金が東洋に存在すると勘違いしていたのである。マルコ=ポーロの著述は、中国に滞在中に著され、日本での平泉の黄金文化の情報を勘違いしていたようである。 そのころは、倭寇がが東南アジア地域へ出かけて、日本人街を作り上げていた時代でもあった。当時の中国は元時代であり、人口の規模は1億2000万人で非常に栄えていたが、それ以降は明の時代に6000万人に激減することになるのである。17世紀の東南アジア地域は、世界の貿易センターの役割を果たしており、オランダが中国人を相手に商売を行っていた。その後江戸時代には、日本人も、鎖国はするがオランダ人から中国製品を買っていた訳で、そのような流れを捉えて、川勝氏は「近代の世界史は、東南アジア地域から始まった!」と強調しました。
 ヨーロッパ人たちは、胡椒香辛料から、インドの木綿、中国の陶磁器等の商品を買うようになり、そのような地域を川勝氏は「海洋アジア」と呼びます。そのころ、海洋アジアも欧米も貿易を重視しており、ヨーロッパ人はアメリカから銀を持ち帰り、金は、東南アジア地域でモノを買うために持ち帰ってきていました。日本は、銀と銅の分離をできないために、日本は江戸時代まで中国の貨幣を交易に使用しており、銀を輸出していました。そして、中国から手に入れた貨幣で、モノを買っていたのです。
 次に、川勝氏は「同じ空間を共有したヨーロッパと日本はどうして違った方向に進んだのか?」という問いを放たれました。日本の銀は、戦国時代ころから輸出されて、中国の明やインドのムガール帝国に蓄積さました。インドの木綿がヨーロッパに輸入され、銀はインドに流出してしまいました。日本では、新井白石により、銅の流出を防ぐための国産化政策(自給自足)が図られました。
 そこで、川勝氏は「イギリスの産業革命と日本の勤勉革命」という議論を展開されました。綿糸、綿花等の出典は、インドから来ており、新井白石により、1700年代の日本は、インドの綿織物の輸入を禁止し、銀の流出を防ごうとしました。その10年後、徳川吉宗のインドの木綿使用禁止法により、日本国内では綿織物に対する需要が圧迫を受けてしまいました。そこで、日本では日本に来る海洋中国人から海洋アジアのインパクトを受けました。日本の綿製品への需要は、おもに戦国時代の衣料になどに使用されましたが、それだけでなく、火縄銃の火縄に木綿を使い、軍需品として、木綿は国産化していくことになりました。従って、鎖国による閉鎖経済の道を歩んでいきます。
 それに対して、イギリスの産業革命は、インドの綿製品に対するレスポンス(反応)として始まっています。輸入品から自立としての開放経済こそが、イギリスです。1830年代にイギリス人が、イギリス製品をインドで販売していくために、イギリスは労働節約型・資本集中型の生産方法をとりました。それに対して、日本では資本節約型・労働集中型の生産方法をとります。勤勉化を奨励して、1800年頃には、中国からの輸入品は皆無となり、国産化に成功しました。
 イギリスは労働生産性を上昇させ、日本は土地の生産性を向上させましたが、1860年のイギリスのフォーチュンは、日本の文化水準の高さを称えました。イギリス人には緑と花にあふれた文明に映り、 「日本の農業は、園芸である。」と評価されました。日本をガーデン・アイランズと考え、庭のある風景にイギリス人たちは憧れたのです。日本は、「美の文明」として憧れを受けるようになりました。
 川勝氏は、これからの国家設計は富国強兵ではなくて、小さな国でも大きな国を引きつける力を持つことが大切である。 生命のあふれる世界を日本が作っていくことが大切である。地球ガーデン・アイランズを目指して欲しい。「循環型社会の達成である」とまとめられたのでありました。

*現在、毎日新聞の日曜日の朝刊にて「時代の風」を執筆中です。(2004.8.5一部改訂)

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